ヨハンの気持ち
ヒースの笑いが収まった頃には、シーゼルもすっかりいつもの調子を取り戻していた。
「なんでだろう? 僕、ヒースにはいつも気を許しちゃうんだよね。もしやこれって運命?」
なんて言いながら、ヒースの腕に腕を絡ませ頬を寄せている。もう全然問題なさそうだった。というか、近い。前よりも遥かに近い。
ヒースがそっと腕を抜こうとすると、シーゼルはヒースの腕をぎゅっと掴んで確保した。多分、ヨハンの代理にされている。そんな気がぷんぷんしたが、まあ落ち込まれるよりはマシだろう。
「今ネビルが寝てるところだから、ここで話そうか」
シーゼルはそう言うと、ヒースと語ったことのある崖の端に座り、足をプラプラさせ始めた。ヒースの手首を引っ張り、隣に座る様に促す。
ヒースは大人しくそれに従うと、シーゼルの隣に腰掛けた。ちょっと怖いので、足は引っ込めて膝を抱えて座る。これまで散々空を飛んできたが、基本飛べる相手にしがみついているだけだ。今落ちたら、この場にヒースを掬い上げてくれる者はいない。念には念を、だ。
「ハンにひと通りは説明をしてもらったけど、ハンも取り乱してて」
「ああ、うん、だろうね。あの傷じゃ」
シーゼルがいつもの飄々とした顔で答えた。
「傷よりも、ナスコが……」
そういえば、ナスコの遺体はどこに安置されているのだろうか。ヒースは辺りをキョロキョロと見回したが、それらしきものはない。
「ナスコか……よりによってあの人が殺されるとはねえ」
シーゼルが、しょんぼりしながら言った。おや、人に懐かないシーゼルだが、もしかしたらナスコには懐いていたのだろうか。二人が絡んでいるところを最後まで見る機会がなかったので、二人の関係性はヒースには分からない。
すると、シーゼルが答えを教えてくれた。
「ハンってさ、結構勝手だろう? あっちへフラフラこっちへフラフラしてるし、何をしたいかもはっきり言わないし、人の顔色を窺っちゃあそんなのも無視して突き進む時もあるし」
シーゼルも言いたい放題ではあるが、言いたいことはよく分かった。ハンは、自分の信念を持っている。だが、それを他者に押し付けてまで通していいものだろうか、という迷いが時折見えるのだ。シーゼルが言っているのは、そういうことだろう。
単独行動は多いし、今回だってヒースを先にヨハン隊の元に連れて行くのことを勝手に決めている。なのにヒースには済まないなんて言ってたのだから、ハンも常に道を手探りで進んでいる状態なのだとは思う。
「その中で、どっしりと皆を束ねていたのがナスコだったんだよね。まあ僕は隊長の言うことしか興味ないけど、でもあの人の統率力はなんていうか乱暴じゃなくてよかったと思うよ。僕から見ても」
「そっか、そうだったんだね……」
ナスコとは数日行程を共にしただけで、大して関わらなかった。ニアのことがあるので警戒をしていたし、それにヒースはハンに連れられて途中で班から離れてしまった。落ち着いた大人という印象があったが、せいぜいがその程度だ。
「ハンが自由に動けたのも、ナスコの存在が大きかったと思うよ。基本うちの隊は他の連中は嫌って近寄って来ないしさ、ナスコとハン位だったかも。僕に普通に挨拶する人」
「他の人は挨拶もしなかったの?」
「しなかったよ。僕の美貌に驚いたのかな」
それはどうなんだと思ったが、同じ場所で過ごしているだけで親しい間柄でなければ、確かに挨拶なんてしないかもしれない。奴隷時代、どいつもこいつも顔見知りだらけだったが、自分の周りにいるまだ安全な奴以外には挨拶なんてしなかった記憶が蘇った。まあ、その程度だったんだろう。ヒースは納得した。
「で?」
「……ヒースって本当動じないよね」
「ほら、時間ないから」
ヒースが急かすと、シーゼルが口を尖らせた。それでも説明は続けてくれた。
「でまあ、ネビルがぶっ刺されて、まあ僕もひとり斬っちゃったけど、どうもそれを見てサイラスの奴は自分も殺されるって思ったみたいでねえ。ハンを斬ったのもそういうことじゃない?」
ヒースは、念の為確認した。
「……シーゼルは、サイラスも殺すつもりだったんじゃないの?」
「あ、ばれた? さすがヒース」
シーゼルは舌をぺろっと出した。ぺろ、じゃない。今は人ひとりを殺す殺さないの話をしているのに。
さすがにヒースが二の句が継げないでいると、シーゼルはやれやれといった風に肩を竦め、再度説明を再開した。
「僕が斬ったのはニールっていう奴で、ほら、ヒースのことをちらちら狙ってた奴なんだけど、気付いてた?」
「うん」
「さっすがヒース!」
「どうも」
先程まで凹みまくっていた人だとは思えない明るさだ。ヒースが取った行動には、何か副作用でもあるんだろうか。ヒースは不安になった。
「そう、そのニールは、隊長が目で合図を送ったから、僕は遠慮なく斬った。ナスコを傷つけた以上、あいつを斬るしかあの場を収める手段はなかったからね」
話し合いをして解決出来る程、円満な関係ではなかったということだ。悲しいことだが、これもヒースには理解が出来たので頷いてみせた。
「問題はカイラを狙っていたサイラスの方で、隊長を見たけど指示があやふやでさ。多分、迷ってたんだと思う」
それはそうだろう。サイラスはきっかけを作ったが、その時点では自分の隊の人間を傷つけただけで、そのまま投降すればまだ収まる可能性はあった。自分の隊に所属する人間を、しかも自由に動ける人間が珍しいこの時代に、簡単に失っていいのか。ヨハンは、そう思って判断を迷ったのではないのか。
シーゼルは淡々と続ける。
「でも、この騒動のきっかけはあいつじゃない? それに同じ隊のネビルを刺しちゃったし、これまでの素行も考えたら今斬っておいた方がいいかなって思ったんだよね。――隊長は嫌がりそうだったけど」
ヒースは静かに続きを待った。
「そうしたら、獣人族の集落の方に逃げようとしたじゃない。ハンは丸腰だったのに、止まってくれるなんて甘いことを考えてたのかねえ。サイラスは躊躇ってなかった様に見えたよ」
「多分、止まってくれるとは思ってなくても、止まってほしいとは思ってたんだと思う」
ヒースがそう言うと、シーゼルは鼻で笑った。
「ふん、相変わらず甘いね」
「でも、シーゼルだって俺が同じことしたら止めようと思わなかった?」
ヒースが尋ねると、シーゼルがヒースの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ヒースはサイラスと全然違うだろ」
それがシーゼルの湾曲的な回答だった。相手がヒースならば、シーゼルは止めに入るということだ。……ちょっと嬉しいと思っても、仕方ないと思う。
「まあハンとサイラスの関係性は知らないけどさ、ハンが思っている程サイラスはハンのことは信用してなかったってことだよね」
シーゼルの意見はその通りなのだが、辛辣だった。
「……で、その後はどうなったの?」
「ナスコ班の奴らが、サイラスを捕まえようとしたんだけど、もうその前にヨハン隊対ナスコ班の対立が出来ちゃっててさ、サイラスが『お前らもニールと同じ様に斬られるぞ!』なんて適当なことを言うもんだから、あいつら信じちゃってさ」
彼らは、これまで散々暴れてきた過去がある。それが周りにどういった印象を与えていたのか、それを考えたら、この場に残ることが死に繋がる可能性もあるという結論に達したのか。
「皆、サイラスについて行ったよ。で、ナスコ班が追いかけようとしたから、隊長がけじめをつける為に一緒に行くって言い出してさ」
シーゼルが下唇を突き出した。この人は時折こういう可愛い表情を自分がしている認識はあるのだろうか。
「僕にはここに残れって。万が一に備えろって」
ヒースには、ヨハンの気持ちが少し分かった気がした。多分、何もしていない隊員の助命を乞う為に、ヨハンは自分で追いかけることにしたのだろう。シーゼルだと、ヨハンの立場を脅かす存在は全て斬り捨ててしまうから。
「あいつら馬鹿だから、隊長が自分を殺しにきたって思うんじゃないか、そうしたら隊長は多分あいつらは殺せないから、だから……!」
シーゼルは、自分の膝の上に肘を付くと、手のひらで顔を覆ってしまった。
次話は明日投稿します。




