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クリフの首にしがみつくと、クリフが半透明の翼をバサッと広げた。
ハンがしがみついたアンリと、不服そうな表情を浮かべたニアがこちらを見ている。
「アンリ、お願い!」
ニアに抱きつきたかった。でも今は自分の欲求を優先している場合ではないこと位、いくら日頃馬鹿だ阿呆だと言われているヒースにだって分かっていた。
懸命に笑顔を作って、手を振る。
「ニア! あとでな!」
クリフが地面を蹴り、宙に舞い上がった。その後を追う様に、ニアが手を伸ばす。
「……ヒース!」
ニアの泣きそうな声に、途端クリフから飛び降りて戻りたくなったが、駄目だ駄目だ。ヒースはぐっと唇を噛み締めて自制すると、ニアにもう一度手を振る。
「ヒース! お願いだから無事でいて!」
ニアの心からの叫びに、ヒースの心はじんわりと温かくなった。好きな人に心配されるというのは、こんなにも嬉しいものなのか。
勇気が湧いてきた気がした。
「ああ! 必ず!」
これで自分は大丈夫だ。ヒースはもうニアを振り返ることはやめた。これ以上未練がましくしては、前を向けないから。
今は、為すべきことを為すのだ。
ポン、とクリフのゴワゴワした、だけど温かい首を軽く叩く。
「クリフ、ジオの元に連れて行ってくれ」
「うん!」
クリフは可愛らしい声で答えると、地面を走っているかの様に宙を駆けた。下降気味になるとどうしても胃が浮いた感覚となり気持ち悪さが前面に押し出されるが、我慢するしかない。
だが、前屈みになってクリフの首にしがみついていると、吐き気が少し遠のいていく気がした。これなら何とかいけそうだ。
暫くして振り返ると、先程までいた頂上はもう眺めることが出来なかった。
――大丈夫だ、ニアは妖精族だけど、あの場所はアンリを受け入れるだけの大らかさがある。それにハンは、恐らくはあそこの住人とは顔見知りだ。魔族の襲撃がある前までは普通に行商に行っていた、とハンが語っていたじゃないか。
もう十七年も昔の話ではあるが、ハンの見た目は多分殆ど変わっていない。ある程度年配の者なら、ハンのことを覚えているのではないか。
カイネがハンのことを知っていることが、せめてもの安心材料だった。
一気に下に降りるのはクリフには難しいのだろう、クリフは深く抉れた谷の上を旋回しながら徐々に降りていく。すると、崖の中腹にある切り込みの様な場所が見えてきた。
「ん?」
どうも壁の形が違わないか。ヒースが目を凝らして見ると、以前ヒースが蛇を捕まえた辺りの地面が盛り上がり、煮炊きをしていた場所にすぐに入っていけないような作りに変わっているではないか。
「クリフ、あれってもしかしてジオがしたのか?」
「クリフ分かんない」
「そっか……」
他の人間が土魔法が得意だとは聞いていないから、ハン達が上に逃げた後にバリケードを作ったのかもしれない。
「クリフ、そうしたら広い方に行って」
「分かった!」
クリフがどんどん降りていくと、やがて赤い地面にクリフの影が映し出される。
すると、その影に気が付いたのか、切れ込みの屋根になっている部分から銀色の頭が出てきた。
「――シーゼル!」
ヒースが声を張り上げて呼ぶと、日の光を受けてほぼ白に近い髪がキラキラと煌めく。
「……ヒース!」
シーゼルが、地面に降り立つクリフに駆け寄った。
「クリフ、ご苦労様!」
ヒースがクリフの首をポンポン撫でながら降りると、クリフは褒められて嬉しかったのだろう、ぐりぐりと鼻面をヒースの腹に擦り付けた。クリフが小鹿の頃からよくやる仕草だった。
「クリフ、ヒースの役に立つもん!」
「ああ、助かったよ」
誇らしげなクリフが可愛くて、ヒースはクリフの鼻面を撫でた。クリフが気持ちよさそうに目を閉じる。
「シーゼル、怪我はない?」
ヒースの近くまで近付いてきたシーゼルだったが、何も言わずに佇んでいる。
ヒースが真顔に戻り真っ直ぐ向くと、シーゼルがこちらを見つめ返してきた。
知らない人が見たら、涼しげで綺麗なその顔は、冷徹にすら見えるのだろう。灰色の服に付いた血痕も相まって、得も言われぬ美しさがそこにはあった。
だけど、ヒースは見つけてしまった。細いシーゼルの目の奥が、怯えていることを。
「……シーゼル、大丈夫?」
いつも強く、確固たる自分を持つシーゼル。そんな彼が揺らぐのは、ヨハンについてだけだ。
ヒースは先程のハンの話を思い出していた。ヨハンはシーゼルにここに残る様に言い渡すと、自分の隊の後始末をする為に追いかけて行った、と。
シーゼルが、ポツリと言った。
「ヒース、どうしよう」
シーゼルの声は、震えていた。シーゼルが、自分を抱き締める様に縮こまる。
「隊長が、あいつらを追いかけて行っちゃった」
「うん……ハンに聞いたよ」
ヒースが答えると、シーゼルの瞳が潤んだ様に見えた。目の下がピクピクと動き、唇が小さく震えている。
ヒースは耐えられなくなって、シーゼルを抱き締めた。
魔力が強い者の感情に引っ張られる、アンリはその様なことを言っていた。だけど、それを心配してこんなにも弱っているこの人を、自分の身の安全の為だけに放っておくなどヒースに出来る訳がなかった。
ならば、引っ張られない様にこちらから魔力の壁を作ることは出来ないか。
前にハンが教えてくれた様に、よく分からないながらも、ヒースはシーゼルから流れ込むものを押し込み横に流す姿を頭の中で描く。
シーゼルの頭を撫でながら、こちらに流れ込まない想像を続けた。
「シーゼル、大丈夫、ヨハンは強いから大丈夫だ」
シーゼルが、ヒースの腕の中で震え続ける。可哀想で何とかしてあげたいとは思ったが、ハンの時の様にシーゼルの想いに呑まれることはなかった。
「ヒース、どうしよう……っ隊長は、僕みたいに割り切れないんだ、自分の仲間だった人間を、隊長は切れないよ……!」
ぶるぶると震えるシーゼルが小さな子供みたいで、ヒースは壁ではなく、大きくシーゼルを抱き込む姿を頭に描く。
「シーゼル、ヨハンが今更君を置いていく様なことをすると思う?」
「隊長は……」
目に涙を浮かべながら、シーゼルがヒースを見つめた。ヒースは、安心させる様に微笑む。
「ヨハンはシーゼルのことが大好きだよ。だからね、ヨハンは必ず戻ってくる」
これについては、ヒースは本当にそう思っていた。だって、あの独占欲丸出しの男が、誰よりも自分のことを好いているシーゼルを他に渡す訳がない。
「本当に……?」
ヨハンのことでしか取り乱さないシーゼルは、自分がどれだけ強欲な男に愛されているのかを理解していないのかもしれない。
ヒースは大きく頷いてみせた。
「ヨハンがシーゼルのことを諦める訳がないんだ。だから何があろうと帰ってくるよ」
頭の中で、ヒースはぐるりとシーゼルを囲む。シーゼルの怯えは、やがてヒースの言葉に上塗りされ、――消えた。
「あ……れ? 僕、なんでヒースに抱きつかれてるの?」
唐突に夢から覚めたかの様に、シーゼルが目をパチクリとさせた。
まさかな、たまたま偶然だろう。そう思う反面、今のはもしや自分がやったのか、という疑惑が浮かび上がる。
でもまあ、シーゼルが元気を取り戻したなら今はいい。
ヒースはもう一度シーゼルをぎゅっとすると、ゆっくりと腕を離した。急に離したら、また元に戻ってしまわないか不安で。
「ヒース、実は僕のこと大好きだった?」
シーゼルがそんなことを言うので、すっかり元に戻ったシーゼルに安堵したヒースは、素直に答えた。
「当たり前だろ」
「……えっ」
ぽぽぽ、と頬をピンクに染めるシーゼルを見て、ヒースは「ははっ!」と笑い出すのを止めることが出来なくなったのだった。
次話は明日投稿します。




