変な子
ひとつ、気になった点がある。
ここまでハンと共に空の道を来たヒースには、知らないことがあった。
「ハン、この間俺とシーゼルが降りて行った道以外に、獣人族の集落に行ける道はあるのか?」
「あ……!」
ハンの顔色が変わった。嫌な予感が的中してしまったことに、ヒースは瞬時に気付かされた。
ハンが焦って立ちあがろうとする。
「ヨハン隊達が来る時に気付いたかどうかは分からないが、ここから暫く戻った所に下に行ける場所がある!」
怪我をした足に力が入らないのだろう、ガクッと崩れ落ちそうになったハンの身体を、ヒースは慌てて抱えた。
「拙いぞ! 街に戻るよりも獣人族の集落に行った方が早いと気付いたら……!」
元々、集落の方に逃げようとしていたサイラスだ。もし道の存在を知っていたら、非常に拙いことになる。
ヒースは少し離れた場所からふたりを見下ろすアンリに、泣きそうな気持ちを抑えながら頼んだ。
「アンリ! ハンをカイネのところに連れて行ってくれないか⁉︎」
アンリは少し考えた後、ああ、という風に微笑んだ。
「カイネに縫合してもらうのかい?」
「それもあるけど、カイネはハンを知っている唯一の獣人なんだ!」
アンリの笑顔が消え、雰囲気が一変する。
ヒースは続けた。自分勝手なのは分かっていた。
「あそこにはザハリもいる、だからハンを……ハンを助けて欲しいんだ!」
ハンのこの出血量だと、かなり傷は深そうだ。急いで処置しないと、今後歩行に問題が出てきてしまっては拙い。最悪、死に至る可能性だってある。
対応は、早ければ早い程いい筈だから。
アンリは腰に手を当て、静かに尋ねた。何もかも見通す様なその表情は、これまでの少し頼りないものではない。人の上に立つことが当然だと思っている者の目だった。
「……で、お願いしたいことがまだあるんだろう?」
アンリは鋭い。ヒースは内心舌を巻きつつ、ハンを支えながら大きく頷いた。
「……ヴォルグに伝えて欲しいんだ」
アンリは無言で佇む。それだけで感じる圧は、王族なんてなったこともないヒースには畏怖の対象でしかない。だけど、だけど。
「一緒に竜人族の所に行くから、助けてと……!」
ヒースの言葉に、支えられているハンが顔色を変えて目を見開く。
「ヒース? 竜人族の所ってどういうことだ⁉︎ お前、獣人族と何か取引を⁉︎」
ハンが、ヒースの二の腕を力一杯掴んだ。怪我人とは思えない程の力で、皮膚がつれて痛い。
ハンは焦りを隠そうともせず、ヒースを問い詰めた。答えるまでは逃がさない、そんな必死な勢いだ。ヒースを渾身の力で揺さぶり続ける。
「ヒース! お前また、人の為に自分を犠牲に……!」
こんな状況だというのに、ハンこそ気にするのはそこなのか。
本当にこんな状況だというのに、ヒースの心はじんわりと暖かくなった。先程とは違う種類の涙が出そうになり、慌てて止める。今は僅かな時間とて惜しかった。
「ハン、説明は後だ、とにかく今はすぐ下に降りてシーゼル達と合流しないとだから!」
シーゼルと合流し、獣人族の集落へと続く道を守らなければ、獣人達の平和が壊れてしまう。
ミスラの幸せそうな笑顔。リオの可愛い寝顔が、ヒースの脳裏を横切った。
アンリが、冷ややかな目でヒースを見る。
「君のその条件は、ヴォルグにとって魅力的なものなのかな?」
「勝手を言っているのは分かってる……!」
ヒースが言っているのは、ヒースの願望ばかりだ。
ハンのことを助けて欲しいからカイネの所に連れて行ってというお願いも、アンリには何の関係もない。
人間同士の争いだって、そもそもこれはヒースが説得しろとヴォルグに言われていた件だ。それが訪れてみたら時すでに遅しで、どうにもならなかったことをヴォルグ本人に助けてもらおうとしている。
本を正せば、ヴォルグがザハリを攫ったことを発端とはしているが、でも傷付けた訳じゃない。ヴォルグはザハリに協力を仰いだだけだ。
現に、ザハリは族長の部屋に入り込んで勝手に酒を飲んだり、ヴォルグの姉のミスラと恋仲になったりしているじゃないか。
そういった大らかさが、あそこにはある。
まだ奪われていないからだ。大切な誰かを、大切な場所を。
だが、その平和が今動かないと破られてしまうかもしれないと思ったら、動くしかないじゃないか。
「だけど、俺は弱い……! 人間にだって勝てやしない、そんなのは俺が一番分かってる! だったら、皆を助けるには協力してもらうしか方法が思いつかないんだ!」
アンリが、首を傾げながら尋ねた。
「皆って、誰のこと?」
ヒースは苦しげな顔をガバッと上げ、半ば叫ぶ様に言った。この人も言うのか、種族のことを。逃げてきた癖に、それを言うのか!
頭の中が、怒りと焦燥で溢れる。
「俺の好きな人達のことだよ‼︎」
ひと息挟み、続けた。
「ハンだってニアだってジオだってシーゼルだって! カイネだってミスラだってリオだってヴォルグだって、俺は皆好きなんだ‼︎ そんな人達を傷付けさせたくないって思って何が悪い!」
ヒースの叫びに、ハンが驚いた様に呟く。
「ヒース……お前って奴は……」
そんなハンを見て、アンリがフッと笑った。途端、先程までの恐ろしげな雰囲気がなりを潜める。
「変な子」
「――え」
アンリがクスクスしながらこちらに一歩近付いて来ると、先程の効果を思い出したのか、ハンがあからさまにビクッとした。
「まああそこの平穏が崩れるのは僕も望んでいないから、協力してあげるよ」
アンリがハンの両脇を抱え、ぐいっと持ち上げた。制御の魔具を付けているというのに、触れた途端にハンが恍惚の表情に変わる。
――やはりこの力は恐ろしい。つくづく自分には効かなくてよかった、と心から思った。
アンリが、爽やかな笑顔でさらりと言う。
「君の好きな人の中に僕の名前が入っていないことが、最高に気に入ったしね」
「え」
一瞬、何を言われているか分からなかった。やがて、理解が追いついてくる。
「触れても一切好かれないって、こんなにいいものなんだね。僕、初めての経験かもしれないなあ」
ハンは、自らアンリに抱きついていった。もう、ヒースを目で追うことすらしない。
「ニア、君は一緒においで」
アンリが羽根を出しながらそう言うと、離れた場所にいたニアが大声で答えた。
「嫌です! 私はここに残りますから!」
ヒースがニアを振り返ると、ニアは決死の形相だった。ニアには傍にいて欲しい、でも怪我はして欲しくない。矛盾してる思いに挟まれ、ヒースは何も言えなかった。
アンリが諭す様に言う。
「君とヒースの髪の毛、それって属性を付けたってことだろう?」
「は……はい」
アンリが年長者らしく優しく微笑んだ。
「よく考えたね、さすがは我が師の娘だ」
「ア、アンリ様……?」
ニアは話が見えないのだろう、ヒースとアンリを交互に見て戸惑っている。
「ニア、君が僕の隣にいることは、ヒースの命にとって保険となる。この意味が、聡明な君なら分かるね?」
「アンリ様……」
アンリは穏やかな口調だったが、有無を言わさぬ圧力があった。
アンリは今度はヒースを見ると、言った。
「行っておいで。君の大切なものを守る為に」
啖呵を切った以上は死ぬ気でやれ、という意味に受け取ったヒースは、こくりと頷いてみせた。
怪我をしても助けてやる、思う存分にやれということでもあるのだろう。
「――クリフ!」
「ヒース、まかせて!」
クリフはニアの元からヒースに駆け寄ってくると、鹿の姿へと戻った。
アンリが目を輝かせる。
「後でじっくり見させてね」
ニアが不安そうな目でこちらを見ているが、ヒースはそれには笑顔で応えることにした。
「ニアも、後で!」
「……ヒース!」
こちらに手を伸ばしてくるニアから視線を引き剥がして、ヒースはクリフに跨った。
次話は明日投稿します!




