記憶にある慰め方
思い出しつつやってみたヒース。
ヒースとジオは今、赤い髪の妖精の女が取り乱し泉の中に上半身を突っ込んでいるのを必死で引っ張り上げようとしていた。
「ガバボボッ」
「阿呆かこの女、溺れ死ぬぞ! ヒース腰持って引っ張れ!」
「こっ腰持っていいのか⁉︎」
「触り過ぎるなよ!」
ヒースはそれは一体どういうことなのか一瞬悩んだが、よく分からないのでとりあえず背後から女の腰に右腕を回した。一応なるべくお尻には触れない様に気を付けてはみたが、いかんせん女が足をバタバタさせているのでヒースの脇腹に結構な頻度で当たる。細いし小さいが、思ったよりもそれは柔らかかった。
しかし腰も折れそうな程に細い。アシュリーの部下らしいのにまともな物も食っていなかったのか。
こちらは女の暴れる腕を背中からぐるっと押さえたジオが言った。あれ、ジオはがっつり胸を触ってないか?
「ヒース! そのまま持ち上げろ! せーの!」
「よいしょおおお!」
ザバーン! と音を立てて、落ちかけていた女を二人がかりで持ち上げた。
「ぐほおっかはっ」
水を思い切り飲んだのだろう、激しくむせながらも女は更に暴れた。細い身体に見合わずかなりの力である。
「離せっ! アシュリー様! アシュリー様あああ!」
「落ち着け! もう繋がってない!」
ジオが思い切り顔を掴まれていて変な顔になっているが、さすがに女には拳骨を落とさないらしい。ヒースに対するものに比べ、対応が穏やかだった。落ちないように腕を掴んでいるが、それだけだ。
「中に入ってももう繋がってねえんだよ、さっき接点が閉じたのはあんたも見ただろう!」
「だって! だってアシュリー様お一人では! 私がお助けせねばっ」
上半身ずぶ濡れの女が騒ぎ立てる。それを一所懸命ジオが宥めているが、女の耳には入っていない様だった。
ヒースはいらっとした。こいつ、アシュリーの話なんざ聞いちゃいねえ。ヒースにはアシュリーが何故こいつをこっちに寄越したのかすぐに理解出来た。だって、アシュリーがした行ないはジェフがヒースにしたものとそっくりそのまま同じだったから。
ヒースはまだ泉に乗り出そうとしている女の肩を力任せに引っ張り、自分に向かせて両肩を掴み顔を覗き込んだ。
「おい、お前本当に分かんねえのか? アシュリーのやったことの意味が分かんねえなら、つける薬がない位阿呆だ」
ずぶ濡れの女の顔にある大きな瞳は、宝石の様な紺色をしていた。それが悲しそうに歪んでいる。
「阿呆……? 貴様、今私のことを阿呆と言ったか?」
「そうだよ、妖精界は今大変なことになってんだろ? 接点を閉じないとここが危ないからってわざと閉じたんだろ? そこにお前を寄越したんだ、その意味が分かんねえか?」
「え……」
女の焦りが少し治まった様に見えた。少し冷静になったのだろうか。でも分からないのか分かりたくないのか、返事は一向に聞こえてこない。
「分かんねえなら教えてやる。妖精界で妖精王になったアシュリーの父ちゃんとアシュリーは戦うっつってたろ? そうなると傍にいるお前が危ないから、お前が大事だから逃したんだよ」
ヒースはジェフの笑顔を思い出しながら言った。どれだけ大事だったかなんて知らない。ヒースの知ったことではない。アシュリーは気になる人だったが、まだ何も知らなかった。知る機会さえもう奪われてしまった。だけどこれは分かる。分かってしまった。
「アシュリーは俺達を信用してくれたんだ。というか、シオンがずっと惚れているジオがいるから信用してくれたんだろうな。俺達ならシオンとお前両方託してもいいかなって賭けに出たんだ。賭けに出ないといけない位、あっちはやばいってことなんだろ」
「だけど……アシュリー様は私を右腕だと! ずっと頼りにしてるって!」
こいつはまさか自分が放り出されてしまうなんて考えてもいなかったんだろう。この様子だと、一緒に戦ってやるって位意気込んでいたに違いない。
すると、ジオが静かに言った。
「お嬢さんよ。頼りにしててもずっと一緒にいたくったってよ、そいつが大事なら大事な程、そいつが死んじまうかもしれないって考えたら一緒に戦ってくれなんて言えねえんだよ」
「ジオ……」
ジオの言葉には重みがあった。そうだ、ジオはずっとシオンが好きだったのに、こっちに呼び寄せた場合の危険性を考えて呼ばなかった。ただ毎回満月に会う、それで我慢すれば愛する人を守れると信じてずっと耐えていたのだ。
今までは、妖精界の方が安全だったから。
ヒースは女を見つめた。ヒースの言葉は届かなくても、ジオの今の言葉なら届くんじゃないか、そう願って。
「ヒック……うわああああっ」
女が号泣し始めた。まるで子供の様に、涙を拭くこともせず顔を上げてぼたぼたと涙を流している。その姿にヒースは戸惑いを隠せなかった。
これは一体どうしたらいいものか。物心ついてから一度だって泣いた女を慰めたことなどない。
母はどうだっただろうか? ヒースにどうしてくれただろうか? もう顔も思い出せなかったが、でもそのぬくもりは覚えている。
朧げではあったが。
「⁉︎ おいヒース……」
「いい子いい子」
ヒースはびしょ濡れの女を抱き寄せると、背中をトントンして言った。抱き寄せられた瞬間女がビクッとしたが、涙は止まらないのだろう、そのままヒースの肩に頭を乗せると大声で泣き続けた。
どれくらいそうしていただろうか。女の嗚咽が段々小さくなってきたが、ヒースはトントンするのを止めなかった。母はヒースがそのまま寝るまでこうやってくれていたが、果たしてこの女は寝るんだろうか?
ヒースもびしょびしょになってしまって少し身体が冷えてきていた。これだと女もかなり寒いのではないか。それにこんなに濡れてちゃそもそも寝れないに違いない。
「ほら、風邪引いちまうぞ。ジオんちには風呂あるから入って暖まろう、な?」
ヒースが子供を諭す様に言うと、女がようやく顔を上げた。目の下が赤くふやけているが、涙はもう大分引っ込んできた様だった。
思ってたよりも可愛い顔をしている。さっきは怒っていたからキツい顔立ちに見えたのかもしれない。
女が口を開いた。
「……私の面倒を見るつもりなのか?」
逆にこの状況で見られないつもりだったのか。ヒースは念の為手持ち無沙汰そうにクリフを撫でていたジオに尋ねた。
「なあジオ、別にいいよな?」
「当たり前だろうが。こんなとこに置いていけるか」
「だって。俺ヒース。あれはジオ。あの鹿はクリフ。お前は?」
「おいヒース、あれはねぇだろうあれは。俺は曲がりなりにもお前の師匠だぞ」
すると、女が笑った。お、笑うともっと可愛い。ちょっとまだ子供っぽいが。
「私はニアだ。取り乱して申し訳なかった。ジオ殿、ヒース殿、よろしく頼む」
何だか固い。
「ヒースでいいよ、ニア」
ヒースが笑顔で言いつつ立ち上がりニアに手を貸そうと差し出すと、飛び込んできたのはピッタリと濡れた服。
小さいが、ちゃんと膨らみがある。
口を「お」の字にして自分の胸を凝視しているヒースに気付いたニアが、真っ赤になって叫んだ。
「この狼藉者が!」
「あっ隠さないで!」
「ぎゃああああ!」
「ヒースこら止めろ!」
満月の夜。深い森の中に何とも情けない声が鳴り響いたのだった。
次話は明日か明後日投稿予定です。




