恐怖の魔力
ヒースは、言われた通り地面に落ちていた足輪をふたつとも拾うと、アンリの元へと向かった。アンリの手に頬を当て、幸せそうに微笑むハンの表情を近くで見る。
ニアが、絶対にアンリに近寄るまいとしていた理由が、よく分かった。
あれ程までナスコの死を嘆いていたハンだったのに、今、その目にあの激しかった感情は微塵も残っていないとしか思えなかった。
「アンリ」
「うん、ありがとう」
ヒースがアンリに話しかけても、ハンはひと目たりとこちらを見ようとはしない。視線はアンリに釘づけのままだ。
アンリは足輪をまずは一本空いている方の手で受け取ると、それを左足にはめる。次いで残りを受け取り、右足にはめた。
未だ手を握るハンを、少し顔を引き攣らせつつ見下ろす。
「ハン、だっけ? 目を覚まして」
アンリの声に、ハンはぼーっと恍惚の表情を浮かべたまま微動だにしなかったが、アンリがふう、と溜息をついた後に手を引っこ抜くと、ようやくハッと動いた。
周りをゆっくりと見回し、自分の前に苦笑しながら立っているアンリを見、次いで横で驚いた表情をさすがに隠せずにいたヒースを見る。
「あ……あれ?」
「落ち着いた?」
憑き物が落ちた様な様子のハンは、訳が分からないという風に何度もヒースとアンリを見比べ続けた。
アンリが、ポンとハンの頭に手を置く。
「君が取り乱しててヒースが引っ張られちゃったから、悪いけど僕の魔力を開放させてもらったよ」
「ヒースが引っ張られ……? 魔力開放?」
ハンは意味が分からないのだろう、不思議そうにしていたが、やがて自分が血だらけの足で膝立ちをしたままなのに気付くと、急に痛がり出し尻もちをついた。
「いっ……いて! 俺は一体何を!? え!?」
「傷の痛みを忘れる位、僕に夢中になっちゃったんだよ」
「夢中!? え、あ、まあそれは、あ、あははは……」
アンリを見上げるハンの顔は、赤かった。これは、魔力を制御した後も効果が残ってしまってるんじゃないだろうか? 誰彼構わず惚れさせるアンリの能力は、物凄い効力がある様だった。恐ろし過ぎる。
何故だか分からないが自分に効かなくてよかった、とヒースは胸を撫で下ろした。悪いが、アンリに恋したくはない。それに万が一恋をしてみろ、ニアへの恋心がかき消されてしまっては困るじゃないか。
「ハン、君の僕への想いは強制的なものだから、偽物だと思っていいからね」
「あの想いが……偽物?」
ハンが残念そうな表情を浮かべているのは、一体どういう心理によるものなのだろうか。
アンリは、ゆっくりと後ずさった。ハンが、名残惜しそうに手を伸ばし、そして諦めた様に下ろした。
「僕はこの魔力の所為で、妖精界にいる時は散々な目に遭ってね。次期妖精王には目を付けられるし、老若男女問わず僕に惚れるからもう嫌で嫌で、それでこっちに逃げてきたんだ、はは」
アンリは情けない表情で笑っているが、余程うんざりする環境だったのは、ちょっと想像しただけで分かった。そして、気になった点がひとつ。ヒースは伝えることにした。
「あ、アンリ」
「うん?」
「妖精王は亡くなって、その次期妖精王が今の妖精王らしいよ」
「――え?」
ヒースの言葉に、アンリが驚く。そして、淋しそうに笑った。
「そうか、お祖父様は亡くなられたのか……」
アシュリーの従兄弟と聞いていたのでてっきり母親のシオンの繋がりかと思っていたが、どうやらそうじゃないらしい。前妖精王が祖父ということは、現妖精王の兄弟がアンリの親。つまり、王族の直系ということになるのか。
それで先程の言葉の意味が分かった。現妖精王に疎まれているのは、この能力によって直系であるアンリに地位を脅かされる可能性があるからではないか。
ヒースは、まだチラチラとアンリを少々艶っぽい眼差しで見ているハンと少し距離を置いているアンリを眺めながら、思った。
恐ろしい求心力だ。それまでの激しい感情も身体の痛みさえも、全て忘れさせて自分への恋慕と変えさせてしまうのだから。やる気さえあれば、自分を慕う者を束ねて反旗を翻すことなど容易に違いない。現妖精王はかなりの野心家の様だから、疎まれてしまうのは納得せざるを得なかった。
「とりあえず、ハン? 落ち着いたかな?」
「あ、ああ……済まない、取り乱してしまって」
ハンは夢から覚めたかの様な、先程よりもすっきりとした表情で答えた。
アンリが、安堵の表情を浮かべる。
「ハン、君は魔力が大分多いから、ヒースの傍にいる時は感情の吐露に気をつけた方がいい」
アンリの言葉に、ハンが訝しげな顔をし、ゆっくりとヒースを見た。
「ヒースの傍にいる時? それはどういう意味だ?」
「そのままの意味だよ。強い魔力を持っている者は、強い魔力を持つ他者に影響を及ぼし易い。だから君には僕の能力はてきめんに効いただろう?」
「てきめん……あ、はい」
ハンが顔を赤くして照れ笑いをする。やっぱり惚れた感情はすぐには消えるものではないらしい。恐ろしい魔力だ。
「ヒースも持っている魔力はかなり多い。僕がみる限り、どうも何らかの方法で封印されていた様だけど、それが今解けかかっている様だよ」
「封印……」
アンリが頷く。ヒースはやっぱりよく分からないので、静かにふたりの会話に耳を傾けることにした。後ろをちらりと見ると、ニアとクリフはまだ遠くで待機している。どうしても近寄りたくない気持ちはよく分かったので、ヒースは呼ぶのはやめることにした。だって、ニアがアンリに惚れるところなんて見たくないじゃないか。
「ヒースは、魔族の襲撃があった前後のことをはっきりと覚えていないらしい」
ハンが言うと、アンリがヒースに「本当?」という顔で見てきたので、ヒースは頷いた。ハンが続ける。
「俺も、おかしいとは思っていたんだ」
「おかしいとは?」
アンリの問いに、ようやく顔色が通常に戻りつつあるハンが真剣な眼差しで答えた。
「奴隷だよ。ヒースは子供の頃から奴隷として作業現場に割り当てられたと言っていた。だけど、奴隷は基本魔力が弱い人間を集めている筈なんだ」
「奴隷……」
アンリが考え込む様に顎を押さえる。
「そうか、魔法を使って抵抗されたらいけないからね」
「そう、そういうことだ。子供の内は魔力量が少ない場合も勿論あるが、アンリが言う様に魔力量がそんなに多いなら、元々何らかの封印が施されてそれで魔族にばれなかったという可能性が考えられる」
ハンは、ヒースの魔力量までは分からないのか。ヒースが疑問に思っていると。
「ヒースのは見てもよく分からなかったんだが、アンリはそれが見えるんだな」
「まあ、僕もある意味規格外だからね」
ということは、ヒースも規格外という意味だろうか。これまでろくに魔法なんて使ったことも使えるとも思っていなかったヒースにしてみれば、このふたりが何を話しているのか正直さっぱり分からなかった。
「まあ、とにかくヒースは他人の感情に、特に魔力が強い人間の感情に引っ張られやすい傾向があるみたいだから、気をつけて」
「あ、ああ、分かった。……ヒース、済まなかったな」
ハンが、淋しそうに笑った。そういう笑い方は、見ていると胸が苦しくなる。
「……ううん」
ヒースが答えると、ハンは改めてヒースを見て言った。
「何が起きたか、今度こそ冷静に伝える。取り乱しそうになったら離れてくれ」
ハンが、これまでの経緯を語り始めた。
次話は月曜日投稿予定です!




