アンリのちから
アンリはヒースの腕をぐいぐい引っ張ると、ハンからかなり距離を置いた所で止まった。
「君はここで待機ね」
アンリが、こちらも距離を取っているニアとクリフの方を見て、指示をする。
「――ニア!」
「はい!」
ニアは姿勢を正し、いい返事をした。やはりどうもこのアンリという妖精族の男は、ただの一般的な妖精族ではない様だ。ニアが「様」を付ける位なので、下手をすると王族っていう可能性だってあるんじゃないか、とヒースは睨んでいた。
「ここに来て、ヒースがあの人の所に行かない様に押さえててくれるかー?」
「はーい! 分かりました!」
「しっかりしがみついててね―!」
アンリがにこにこと言う。
「はー……え!?」
途端、ニアが顔を真っ赤にし始めた。これはどうやら、大分ヒースのことを意識し始めたという傾向ではないか。悪くない。
たったさっきまで闇の深淵を覗いていた気がしたのに、ニアを見ただけでこれだ。自分も単純なものだ、とヒースは思わず苦笑してしまった。
「ニアは制御腕輪付けてるから大丈夫でしょー! しっかりね! ヒースが逃げない様に!」
「えっ!? あっはい!! わ、分かりました!」
アンリはそれを聞くと、満足げにヒースから離れて行った。向かう先は、ハンの元だ。アンリがハンと何を話すのかは興味があったが、この距離だと聞こえないかもしれない。
なので、ヒースは潔く諦めることにし、代わりにくるりとニアの方を振り返ると、大きく手を広げて待った。
「ニア! しがみついていいよ!」
「え、あ、あははっちょっとヒースってば……!」
駆け寄って来ていたニアが、躊躇する様に速度を緩める。なので、ヒースはその分ニアに近付くことにした。ニアの足が止まり、ジリ、と後ずさりを始める。その顔には、照れと焦りが浮かんでいる様にヒースには見えた。嫌だな、という表情では決してない。多分。
「ヒ、ヒース! 私お風呂に入ってないし、その」
「さっきだって全然平気だったから、大丈夫」
ヒースはそう言うと、大きく一歩を踏み出して逃げかけていたニアをガバっと抱き締めた。
「ひっ」
「またいつものそれだ」
腰と後頭部に手を回し、自分の腕の中にすっぽりとニアを納める。ニアは縮こまり、ひと言でいうと、固まっている。
「ニア。俺のこと、捕まえてないと逃げちゃうよ」
アンリに逃がすなと言われているから、きっとニアはこれでヒースを抱き締め返してくれる筈だ。何とも卑怯な考えだが、体臭を気にしているニアにはこれ位言わないと、きっと逃げてしまう。
「ほら、逃げようかな」
そっと腕の力を抜くと、案の定ニアが慌ててヒースの胸回りに腕を回し、しがみついた。ちょっと駆け引きも上手くなって来たかもしれない。だったらそれは、獣人族のお陰だ。
「だっ駄目よ! ヒースはここにいないと駄目!」
作戦成功だ。ヒースは改めてニアをぎゅっと抱き締めると、ニアの髪に頬をぐりぐり擦り付けた。堪らなく落ち着くのは、ヒースがニアに恋してやまないからだろうか、それともアンリが何か言っていた様にニアが制御腕輪を着用しているからだろうか。
「ニアといると落ち着く」
心の中は、もう凪だ。風ひとつ吹かない、平穏そのものの世界。そうしてニアを堪能していると、ふいにカシャン、と金属音が聞こえてきた。
ヒースが顔を上げ音がした方を振り向くと、地面に落ちているのは先程までアンリの両足首にはまっていた足輪だった。それがふたつとも地面に放り出され、淋しそうに光っている。
「……ニア、あれってどういう意味?」
ヒースにしがみついてくれているニアに尋ねると、ニアは少し慄きを含んだ真剣な表情で答えた。
「アンリ様が、魔力全開でいくってことよ……!」
アンリが魔力全開にすると、一体どうなるのか。
「あのさ、ハンは大丈夫なのかそれ」
ハンは今、怪我をした上に、ナスコを失いかなり衝撃を受け弱っている。そんなハンに対し、訳の分からない魔力を放出して大事になってしまったら拙いのではないか。
ニアが、真剣な眼差しでヒースを見た後、アンリ達の方を凝視した。
「ヒースはアンリ様の魔力がどんなものか知らないんだよね?」
「うん、まだ何も聞いてないよ」
「じゃあ、見てて」
「うん?」
ニアが言うならとりあえず危害は加えられないのだろうが、その割にはニアは恐れている様に見える。まあ、もう見てみるしかないだろう、とヒースはニアにすりすりしたまま様子を見守ることにした。
大岩に力なくもたれかかりながら俯いていたハンが、近くに来たアンリの影に気付いたからかゆっくりと顔を上げる。
「……ハンは、魔力が強い方だから効果がてきめんだと思う」
「魔力が強いと人の魔力の影響を受けるって、さっきアンリから聞いた。それのこと?」
ニアがアンリ達を見たまま頷いた。
「そうよ。アンリ様はその魔力の性質の所為で、魔力が強い人が多い妖精界での生活が嫌になってしまったの」
「ああ、それでこっちの世界に住んでたのか」
ハンのアンリを見る視線が、釘付けになっている。口を薄く開け、まるで僥倖に出会ったかの様な恍惚の表情を浮かべ始めた。……あれは一体、どういうことだろうか。
「ていうか、アンリのことを様付けしてるけど、偉い人なの?」
「それも聞いてないの?」
「うん。何か魔物の毒の解析してたってこと位しか」
ヒース達が話している間にも、ハンは足の怪我を忘れたかの様にゆっくりと膝立ちすると、目の前に立つアンリの手を取った。一体、何が起こっているんだろうか。
「アンリ様は、アシュリー様の従兄弟にあたるお方よ」
ということは、やっぱり王族だったのか。従兄弟ということは、直系ではないから自由に妖精界を出ることが出来たのかな、なんて何となく考えてみたが、実際のところはどうなんだろうか。
「ふうん。でも王族が妖精界からいなくなっちゃっていいの?」
「……アンリ様は、どちらかというと今の妖精王に忌み嫌われていたから」
「どういうこと?」
ニアが、ふたりを指差した。
「見ていれば分かるから」
ヒースは、ニアに倣ってアンリとハンの様子を見守ることにした。
ハンは、アンリに何か話しかけている様だ。アンリは、そんなハンの頭をぽんぽんと撫でている。すると、ハンが心底嬉しそうな顔をした。
あれじゃまるで恋をしている様にしか見えない。あ、ハンがアンリの手にすりすりと頬ずりをし始めた。ちょっとこれは今、一体何を見せられているのだろうか。
ヒースが唖然としていると、アンリがゆっくりとこちらを振り返った。その顔にはやれやれといった表情を浮かべている。
「ヒース、足輪取ってくれる?」
「あ、うん」
ヒースがニアを抱いたまま移動しようとしたところ、ニアの思わぬ程強力な抵抗を受けた。思い切り足を踏ん張り、逃げようとしている。
「ヒース、私は近づかないから!」
「え?」
「なんでヒースが平気なのか分からないけど、私はアンリ様の影響を受けるのは嫌だから!」
影響? まだよく分かっていないヒースだったが、その答えはアンリ本人の口から出て来た。
「僕、こうやって無差別に崇拝されちゃうんだよね、あはは」
「す、崇拝?」
ヒースが顔を引き攣らせながら聞き返すと、背後からニアの真剣な声がした。
「恐ろしい能力よ……!」
「だよね、僕も勘弁してほしいんだけどさあ」
アンリが笑いながら言うと、怪我が痛々しいハンが、アンリの手に縋りながら言った。
「アンリ、愛してます……!」
「あーうん、もう元気になったみたいだね」
若干引き気味な笑顔を浮かべつつアンリがヒースを見る。
「頼む、早くそれを拾ってくれないか。――居心地悪いから」
「あ……わ、分かった」
ヒースにも、アンリの魔力の恐ろしさが段々と理解出来始めていた。
それは、誰彼構わず惚れされる、とんでもない能力だった。
次話は明日書けたら投稿します。




