仲間の死
ヒースは、ニアと共に岩陰に近付く。気だるそうに足を投げ出しているハンと、目が合った。
ハンの目には力がなく、額には脂汗が浮き出ている。その肌には赤い砂埃が付着し、まるで赤壁と同化してしまった様に見えてしまった。顔色の悪さは、この砂埃の所為もありそうだった。
ハンの右足の付け根は止血の為だろう、布で縛ってある。灰色の生地だった筈のズボンは、赤黒い血の跡がべったりと付いていた。
「――ハン!」
「ヒース、よかった……来てくれたんだな」
顔色が悪いハンがほっとした様に笑う。目の下の黒くなったくまが、ハンがろくに寝ていないことを表していた。怪我が痛むのだろうか。どの程度の傷の深さか気になったが、見たところ出血はもう止まっている様ではある。
「一体どうしてこんな怪我を!?」
ヒースがハンの元に駆け寄りすぐ横に跪くと、ハンがボソリと言った。
「悪い……説得を試みたが、失敗した」
「ハン、それって……」
前回ここで会った時に、ヒースがハンにお願いしたことに違いない。
「俺が……俺がお願いしたこと、だよな?」
ヒースは獣人族を説得し、ハンはヨハン隊をそれぞれ説得し、争うことなく妖精界の接点まで通してもらうという作戦だ。ヒースにとっては、獣人族の説得の方が難易度は高いと思っていた。だが、ヴォルグと腹を割って話すことで、一応は通してもらえる方向まで持ってこれたのに、何故まだ楽だと思われた人間の方がこんなことになっているのか。
ヒースは辺りを見回す。
「他の人は……? ジオは!? カイラは!?」
他にも、ナスコやビクター。ヨハンにシーゼル、片玉のネビルだって。
ハンが、口を開け喋ろうとし、躊躇してそのまま閉じる。
「ハン!」
ハンは怪我人だ。分かっているが、だからといって聞かずにはいられなかった。
ハンが、泣きそうな目をした。実際に瞳は潤んでおり、何か最悪なことが起きたことを物語っていた。焦燥感が、ヒースを襲う。
暫くの後、ハンが枯れ気味の声を苦しそうに出した。
「……ナスコが、やられた」
「え……!」
つるっぱげの、豪快に笑う人のよさそうなおじさんのナスコ。班を取りまとめ、全体を見通せる目を持った人物だ。ウォーターベッドを作ってくれた記憶が蘇る。
「やられたって……」
まさか、死んだのか。あの人のよさそうな、敵を作らずうまくやるのに長けていそうな男が。
ハンが、悔しそうに俯く。
「相手も、殺す気はなかったんだとは思う。だけど、振り回した剣がナスコ班のひとりに当たりそうになって、ナスコが止めようと揉み合っている内に、ナスコの胸に刺さって……」
俯いたまま抑揚のない口調で話すハンに、一体何が言えよう。どんな慰めの言葉だって、ハンにはそれがただの慰めだと分かってしまう。これまでずっと仲間として生き抜いてきたナスコの死が仲間の手によってもたらされたことを一緒に悲しめる程、ヒースはまだナスコのことを深く知らない。そしてもう知る機会も永遠に奪われてしまった。
ヒースが無言のままハンの頭頂部を見つめていると、ハンがゆっくりと顔を上げた。頬に付いた砂埃が涙の跡に沿って流れ、綺麗な筋を作っている。もっと聞かないといけないことは一杯あるだろうに、ヒースはそれをただ眺めることしか出来なかった。
やがて、ハンが再び口を開いた。
「……たまたま、ヨハンとシーゼルと今後について話している時だった。俺達が近くにいれば、きっと止められただろうに……」
ハンは止めどなく流れる涙を拭くこともせず、夢を見ている様なぼんやりとした目つきでヒースを見つめる。ニアの前だから、ずっと泣くのを我慢していたのだろうか。それとも、今こうやって話すことにより、ナスコがもうこの世にいないと、今更ながらに心で理解したのか。
「ハン……」
ようやくヒースも声が出た。恐る恐る、ハンの頭に手を伸ばす。ハンの明るい茶色の髪に触れると、怪我による汗からか、それはしっとりと濡れている様に感じた。
ヒースは、ハンの頭をゆっくりと撫でる。ハンが、ゆっくりとヒースのその手に自分の手を重ねた。
その手が小刻みに震え。
「う……うあああ……っ」
慟哭に身体を震わせながら、ハンがヒースの肩に額を付ける。ヒースは息が詰まってしまい、何も言葉が出てこない。飄々としたハンが、こんなにも悲しみに打ちひしがれている。その事実が、思わぬ程の動揺をヒースにもたらした。
「ハン、ハン、泣かないで……っ」
一緒に泣ける程ヒースはナスコのことなど知らない筈なのに、ハンを抱き寄せると、激しい程の悲しみがヒースを襲った。
それは、温かみがあった気持ちに吹き込んできた孤独だった。押し寄せる後悔の念に、ヒースの心は恐怖で占められる。
身体の一部がもぎ取られる様な感覚。溢れ出す涙がハンの髪を濡らしていく。
複数あった光が次々と萎んでいき、残ったのは激しい後悔の念と恐怖だ。
「あああ……!」
ハンに縋る様に抱き寄せ、ヒースはハンと共に慟哭する。耐え切れず目を閉じると、外は明るいというのに瞼を通しても光は伝わってこず、ああ、これは心の闇を覗いているんだ、とヒースは泣いて混乱する頭でどこか冷静に考える。
おかしいのは分かっていた。これはおかしい、ヒースはこんなに泣ける程の気持ちを持ってはいない。冷たい様だが、それが事実なのは自分が一番よく分かっていた。
「あああ! ナスコが、ナスコが俺の所為で……!」
ハンの悲痛な泣き声に、心臓を鷲掴みされた様な息苦しさを覚えた。待て、これはまずい、駄目だ、引っ張られ――!
「はい、離れる!」
背後から、ヒースの両脇を抱え上げ立ち上がらせる者がいた。
ズルズル、と泣きじゃくるハンの元から引き剥がされる。ハンから三歩でも届かない距離になった途端、スウッと冷静さが戻ったのが分かった。
「あれ……?」
慌てて自分の足で立ち、ヒースを引きずる背後の人物を見上げる。ここでそこそこ身体つきのいいヒースを引っ張れる者など彼以外にいないのは分かり切ったことだというのに、ここにいることをすっかり忘れていたヒースは、あからさまに驚いてしまった。
「アンリ……? え? なんで?」
「なんで、じゃないよ。呑まれたら駄目でしょ」
め、と小さい子を叱る様に言ったアンリは苦笑しながらヒースを真っ直ぐに立たせた。まじまじと、ヒースの目を覗き込む。
「あ、あのアンリ?」
アンリは実に興味深そうに色んな角度からヒースを観察し始めてしまい、ヒースの居心地は最高に悪かった。
ぐるぐるとヒースの周りを何度か回った後、ポツリと独り言の様に呟く。
「やっぱり……誰かに封じられてるのが、解けかかってるのかな」
「へ?」
「君、もう成人してるんだっけ?」
アンリが超至近距離でヒースを覗き込んできた。近い。
「う、うん」
「……君のこれまでの話を是非じっくりと聞きたいんだけど」
「あ、あの、今はそれどころじゃなくて!」
ヒースがタジタジになっていると、いつの間にか距離を置いていたニアが、声を張り上げた。
「アンリ様ー! それは後回しにして下さーい!」
何故あんなに距離を置くのか。不思議に思ったが、そうだ、今は下にいる人達の状況を確認しなければならない。
ヒースが再び膝に顔を埋めているハンに近寄ろうとすると、アンリがヒースの腕を掴んで引き戻した。何を、と思いヒースは抗議する。
「アンリ!」
「駄目だ、今のお前は近付く相手の感情が強いと呑まれる状態になっている。近付くな」
思ったよりもはっきりとしたアンリの言い方に、ヒースは何も言えずアンリを見ることしか出来なかった。
次話は木曜日投稿予定です。




