違和感
ヒース達がサナの給仕で朝食を食べていると、レイスが目を覚ました。
怪我をしたのは腕だけだ。身体全体に問題はないようで、のっそりと起きてくると、そこにヴォルグとカイネとついでに人間のヒースがいることに大いに驚いた。
「ヴォ、ヴォルグ様!? カイネ様まで!」
「レイス、起きたか。具合はどうだ?」
ヴォルグが低い声で唸るように問う。レイスはヴォルグよりも大分年上で、少しほっそりとした顔は息子のリオとよく似ている。
レイスは、自分の息子が見たこともない明らかに獣人ではない男の膝の上に乗っているのを見て、口をパカっと開けた。
「ええと……? これは一体どういう状況で……?」
レイスにとっては、ヴォルグもカイネも目上の人間だ。自分の子供が見ず知らずの男の上に座っていても、ヴォルグとカイネがそれに意を唱えていない以上、抗議の言葉を口にすることは出来ない。
「父ちゃん! もう大丈夫なのか!?」
リオは飛ぶように立ち上がると、ふらつく父親を支えようと駆け寄る。レイスは心なしかほっとした表情を見せた。
「カイネ様が傷を縫ってくれて、暴れる父ちゃんをヴォルグ様が押さえててくれたんだよ!」
リオの言葉に、レイスは一族で二番目と三番目に権力を持つ二人を驚愕の表情で見る。
「え……そうだったんですか?」
レイスは何も覚えていないのか、昨日の暴れ様からは想像出来ない程穏やかな雰囲気だ。
「……で、その少年は?」
レイスがヒースを見ながら、リオに尋ねる。リオはパッと笑顔になり言った。
「人間!」
そりゃそうだが、その紹介の仕方はないんじゃないか。ヒースはそう思ったが、レイスが「そうか」と笑顔でリオの頭を撫でているので、意見を述べるのはやめることにした。言っても詮ないことだ。
「魔物の毒が体内に入ったんだ。暴れると縫合した傷口が開く可能性があったからな、悪いが酔木を使って眠ってもらった」
カイネが真面目な表情で言うと、レイスが不思議そうな顔をする。
「酔木、ですか? 珍しい物ですが、一体どうやって」
「ヒースが持ってたんだ!」
リオが目を輝かせて言った。
「ヒース?」
「その人間の兄ちゃんだよ!」
「この子はヒースっていうのかい?」
レイスがヒースを見た。まだまだ訝しげな表情を浮かべていたが、これは当然と言えば当然のことだろう。得体の知れない人間が、余所者が入り込みにくい辺境の集落の一軒家で当たり前のように受け入られて食事をしているのだ。一体自分が寝ている間に何があったかと思っても不思議ではない。
「ヒースはな、鍛冶屋なんだぞ!」
「鍛冶屋? ああ、それで……」
ヴォルグと行動を共にする程の立場の男だ、ヴォルグの計画も把握しているのだろう。
「初めまして」
ヒースがぺこりと挨拶をすると、レイスはまだ不思議そうにではあったが、会釈を返した。
「レイス、午後に一度傷口の様子を見せてもらいたい」
「では、こちらから伺います」
レイスの言葉に、リオが笑顔になって言う。
「俺が父ちゃんについていってやるよ! 任せとけ!」
「はは、頼もしいなリオ。レイスのことを頼んだぞ」
「カイネ様、任せて!」
父親の役に立てるのが嬉しいのか、大人の仲間入りをしたいのか、はたまたその両方か。やる気を見せるリオは見ていて好ましく、ヒースは自然と笑顔になった。
「――ヒース、早く食え。アンリが来てしまうぞ」
「あ、そうだった!」
ヴォルグに急かされ、ヒースはパンを口に放り込むと立ち上がった。
「では後ほどな」
カイネの言葉を合図に、ヴォルグ、カイネとヒースはレイスの家を後にしたのだった。
◇
カイネの家に戻ると、一階の一段上がって腰かけられる場所でザハリが支度をしているところだった。長い白髪を後ろにきゅっと結ぶ姿は、いかにも職人といった風情だ。
そして、周りにはミスラもシーゼルもいなかった。
「ザハリ、ただいま!」
「おう、ご苦労だったな」
ヒースが駆け寄ると、ザハリがご機嫌な様子で声を掛けてくれた。表情も心なしか明るい。どうしたのだろうか。
「ザハリ、何かいいことでもあったのか?」
ヒースが尋ねると、ザハリはすっとぼけた表情になり目線を上に逸らす。あまりにもわざとらしい。これは、是非とも聞いてくれ、ということに違いない。
「ザハリ、教えてよ」
ヒースが尋ねると、ザハリがチラ、とヒースを見、口角を上げた。
「当ててみろ」
面倒くさい。だがザハリは蒼鉱石の剣を鍛える師匠でもあるので、おざなりには出来ない。
「ええと……よく寝れた?」
「お前らがいなかったから静かだったな」
どうやら不正解らしい。ヒースは考えてみた。
昨夜、この家にいたのはザハリ、シーゼル、ミスラ、ティアンの四人だ。シーゼルは、きっと食後にヨハンの所に向かっている。
ヒースはハッとしてザハリに尋ねた。
「シーゼルは?」
当てっこが中断されてしまいザハリは途端に不機嫌そうな顔になったが、ヒースの質問には答えてくれた。
「それがよ、晩飯の後に『明け方には戻る』って言ってたのに、まだ帰ってきてねえんだよ」
「え? それ本当?」
ヒースの顔から笑顔が消えると、代わりにザハリがニヤリとする。
「恋人に会いに行ったんだろ? 離れ難くなっちまってんじゃねえか? 恋人といやあ俺も昨夜さ……」
「おかしい!」
ザハリは何か言いかけていたが、ヒースはそれを遮った。ザハリは途中で止められてまた不貞腐れ顔になったが、悪いがそれどころではなかった。
おかしいのだ。シーゼルとはまだそこまで付き合いは長くないが、それでもシーゼルが自分の都合で約束したことを破る人間ではないのは、もうヒースには分かっている。
ザハリは頭をぼりぼりと掻きながら、面倒くさそうに言った。
「大袈裟だな、ちょっと名残惜しくて遅れてるだけじゃねえか?」
だが、その言葉にヒースは首を横にぶんぶん振った。
「そんなことないんだよ! シーゼルは、やると言ったことは絶対にやる人なんだから!」
明け方に帰ると言ったなら、必ず帰る。それがシーゼルだ。何人たりともシーゼルを止めることは出来ない。
「……おい、一体どうした?」
それまで様子を窺っていたヴォルグが、ヒースに問うた。訳が分からないのだろう、カイネも訝しげにヒースを見ているだけだ。
誰ひとり、ヒースが覚えたこの焦燥感を理解していないのだ。
ヒースは急ぎ表に出ると、ニアがいる方向に集中する。時折感じられるニアの気配、それを意図的に感じることが出来ないかと思ったのだ。
だが、ニアの気配は分からなかった。あれはもしかしたら、ニアもヒースのことを考えて始めて通じるものなのかもしれない。
ニアの吸収の力によって流れ込んできた感覚も、ここ暫くはない。
「ヒース? どうしたんだ」
カイネが家の中から出てくると、不審げに問う。
「分からない、分からないけど、不安なんだ」
シーゼルが時間通りに帰ってこなかったのは、帰って来られない理由があるのではないか。そんな嫌な考えが、一瞬でヒースの中に溢れてしまった。
「アンリが来たら、急いであそこに向かう」
「え? ちょっと待て、今朝からお前もヴォルグもよく分からないんだが」
カイネは何も聞いていない。確かに混乱するだろう。
「簡単に説明する。一回で理解して」
「――分かった」
アンリが来るまでは、どちらにせよ動けない。
カイネを連れて家の中に戻ると、ヒースがかなり省略してこれまでヴォルグと話し合って決めた内容を説明していると、ふら、とザハリが上の階に上がって行ってしまった。どうしたのか。
ヒースがカイネにかいつまんで説明を続けていると、家の入り口から「あのおー」という声が聞こえてきた。
「アンリ、来たか」
ヴォルグが視線だけ入り口に向く。そこには、先程よりは大分さっぱりした様子のアンリが薄い笑みを浮かべながら中の様子を窺っていた。
次話、明日の投稿頑張ります!




