アンリ
無言のヴォルグの横を、ヒースも無言で歩いた。
森の小道には落ちた葉や小枝が落ちており、それが踏みしめられて細かく砕かれている所為か、地面はふかふかな感触だ。
時折見上げるヴォルグの表情は、浮かない。だが、それも仕方のないものにヒースには思えた。
ヴォルグの望みは、ないものねだりだ。ヴォルグの次期族長としての立場でアイネを娶るならば、その横にアイネの兄であるカイネをただ自分のものとして置くことは出来る筈もない。そんなことは考えたらすぐに分かるだろうに、それでも何とかなるのではないかと淡い期待を抱いてしまう程には、ヴォルグのカイネに対する執着に近い愛情は深いものなのかもしれなかった。
しかし、一体どこまで行くのだろうか。本来妖精族は獣人族とは敵対しているというのがこれまで聞いた話だったが、この集落では人間のみならず妖精族まで受け入れられているのか。会いに行くということはそうなのだろうが、とするとそれはティアンの種族に拘らない懐の広さが影響しているのかもしれないな、とヒースは思った。
赤壁に近い森の奥へと小道に沿って進んで行くと、やがて少し開けた場所に出た。大分先にだが、砂漠の入り口が見える。
「――あそこだ」
ようやくヴォルグが口を開いたと思うと、森との境界線に隠れる様に立てられた木造の小さな平家を指差した。
煙突からは、黒い煙がもくもくと立ち昇っている。中に人がいるらしい。
ヴォルグは砂漠側に面した扉をガンガン! と叩いた。
「アンリ! 俺だ、ヴォルグだ!」
が、中からは一向に返事がない。ヴォルグははあー、と長い溜息をつくと、ボソリと言った。
「入るからな」
扉には鍵は掛けられておらず、あっさりと中へ向かって開いた。
「アンリ?」
ヴォルグには少し低い扉を屈みながら潜ると、中からゴリゴリと変な音がする。ヒースも中に顔を入れると、何やら変な匂いがした。何だこれ。ヒースは思い切り顔を顰めると、鼻を摘んだ。
「おい、アンリ!」
部屋は薄暗く、暖炉の火は燻っており、全体的に煙い。窓際に布団がぐしゃぐしゃに丸められたベッドがあり、その周りには本が山積みされているが、半分は雪崩れが起きて床に滑り落ちていた。
ヒースが身体も中に入れると、部屋の奥の暗闇の中に、床に敷物を広げて胡座をかいて何やら動いている影があることに気付いた。
「アンリ! 聞いてるのか⁉︎」
ヴォルグが苛立たしげに言うと、その影が億劫そうにヴォルグを振り返り見上げた。
「――なんだ、ヴォルグか」
「なんだじゃない! 何度も話しかけたぞ!」
男の声だった。ヴォルグよりは遥かに高い声で、ヒースとは同じか少し高い位のそれは、弱々しい程の小声だったのに、何故か自信に満ち溢れている様にヒースには聞こえた。
アンリと呼ばれた男を、ヒースは観察した。
腰まで届く真っ直ぐの金髪は、どれだけ梳かしていないのか、端の方が豪快に絡み合ってしまっている。真っ白の肌は非健康的な青白さで、身体も細かった。
顔もげっそりと頬がこけ、どれだけ寝ていないのか、眼孔は青く窪み、スッと通った鼻筋とは対照的に愚鈍な印象を与えた。
だが、柔和そうな曲線を描く目を見て、ああ、この人は悪い人じゃないな、とヒースは直感的に思った。そして、何より印象的なのはその瞳の色だ。金の色素の薄い色合いの中心に、茶色い瞳孔がある。その周りの青みがかった虹彩は、ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうだった。
「その子、誰?」
アンリがヒースを見て言った。その時初めて、ヒースは暫くこの目の前のガリガリの男に魅入られた様に動けずにいたことに気が付いた。
「人間の鍛冶屋だ」
「へえ……こんな若い子が?」
アンリはそう言うと、ゴリゴリと何かを擦っていた器を横の背の低いテーブルの上に置くと、億劫そうに立ち上がる。細いが、それなりに引き締まった身体つきだ。多分、この人は魔力量が多いのに違いない、とヒースは考えた。
背はヒースと同じ位だが、ヒースよりもひと回り肉が薄い所為か、小さく見える。
アンリはヒースの目をじっと見つめながら、ヒースの前まで歩いて来た。ヒースはどうしていいのか分からず、同じ様にアンリを見返す。アンリの顔の作りはそこそこで、病的に痩せていなければかなりの美男子なのではないかと思われる造作をしていた。これもまた、魔力量が多い証明になる。
アンリは無言のままヒースを更に見つめていたかと思うと、へへ、と何とも子供っぽい顔になって笑った。この人、一体いくつ位なんだろうか。痩せて判別が付きにくいが、骨格は大人のそれの様に見えた。
「君、面白そうなの持ってるね」
「え?」
なんだろう? あ、ニアの髪の毛からニアの力が漏れてるんだろうか? ヒースが両耳の横に垂れ下がるニアの髪の毛を摘むと、アンリは首を横に振った。
「それもあれだけど、そうじゃない……なんだろう、抑えられててハッキリしないけど、あるよ、なんかあるよ……」
「あ、あの……?」
喜色に溢れたアンリの表情は、正直言って不気味だった。
「ちょっとじっくり観察をしたいな。君、いつまでここにいるの?」
「ヴォ、ヴォルグ……っ」
あまりの不可解さに思わずヒースがヴォルグの背中に隠れると、ヴォルグがはあー、と更に深い溜息をついた。
「アンリ、怖がらせるな」
だが、アンリは聞いちゃいない。ヴォルグの背中までヒースを追いかけて来ると、ヒースの目を至近距離で覗き込んだ。
「ヴォルグ、この子も君と一緒であんまり僕の魔力の影響を受けてないみたいだ。不思議だ、凄いなあ」
そしてよく分からないことを言って喜んでいる。もう全く意味が分からなかった。
ヒースが更にぐるっとヴォルグの周りを回って前の方に逃げると、アンリがすすす、と追いかけてくる。ヒースは叫びたいのを堪えた。
ヴォルグが、眉間に深い皺を刻みながら言う。
「俺の魔力量は少ないからな。ヒースもそうなんだろう」
すると、アンリはヴォルグのその言葉には首を横に振った。
「いや、それはない筈だ。ああ不思議だ、こんなに魔力で溢れてるのに、何故だろう?」
更に追いかけられるので再びヒースがヴォルグの背中に隠れようとしたところ、ヴォルグが追いかけて来たアンリの首根っこをむんずと掴んでつまみ上げた。
「話をしに来た。聞け」
「何だよ、こんなに面白そうな研究対象が目の前にいるのに」
アンリはジタバタと手足を揺らしているが、ヴォルグには届かずぷらぷらとして情けない。
「お前には、昨日渡した魔物の毒の解毒について調べるという仕事があるだろうが」
「あ、そうだった、それね、殆ど出来上がってるんだけど、もっと毒ないの? あれだけじゃ足りなくてさ」
「……分かった、昨日死体を捨てた所にまだあるか後で見て来てやる」
「出来たら実験もしたいんだけど」
「……考えておく」
ヴォルグが三度深い深い溜息をついたところで、アンリがへらっと笑いながら問うてきた。
「で、何の用だったんだ?」
「……こいつを連れて飛んで欲しい」
「え? 俺、研究進めたいんだけど」
アンリは、相手がヴォルグだろうと平気で主張している。なかなかに肝の座った人物の様だった。――大いに変わり者な様だが。
「……うまくいったら、こいつを観察する時間は出来ると思うが」
「ちょっとヴォルグ!?」
「え、本当? うへへっじゃあやろうかな」
「とにかく一旦風呂に入れ。お前の身体中から変な匂いがするぞ」
ヴォルグが鼻をひくつかせながら言うと、アンリはヒースを嬉しそうに見つめながら頷いたのだった。
次話は、明日できたら投稿します!




