妖精族の兄ちゃん
ヴォルグは、ヒースの腕を掴むとズルズルとヒースを引っ張って行く。
「ちょっとちょっと!」
ヒースは目一杯抵抗したが、でかくて頑丈なヴォルグはびくともしない。踏ん張ってその場に留まろうと努力するも、ヴォルグには一切関係なかった。
「どこに行くんだよ! 朝ごはん食べてないし!」
食事は大事だ。ここのところとにかく腹が減るので、寝起きだがヒースの腹はとっくに限界を迎えていた。が、ヴォルグは振り返ろうともせずリオの家とは反対方向へと進んで行く。
こうなったら仕方ない。ヒースは唖然として様子を窺っているリオに助けを求めた。
「リオ! ヴォルグに何か言ってよ!」
ヒースの半泣きの表情に、リオがハッとした。こくりと頷くと、さすがは獣人、ぴょんとひと飛びでヴォルグの前に立ちはだかる。
「どうしたリオ」
「どうしたじゃないよヴォルグ様! ヒースを連れてどこに行くんだ!?」
「言っただろう。会わせてやるんだ」
何を言っているんだと言わんばかりのヴォルグの態度に、ヒースは怒りを通り越して呆れ果てた。やっぱり獣人はあれだ、自己完結型。直情的というか、単純というか、とにかく一般的な人間とは一線を画している。
リオはまだ子供で柔軟だからか、あまりそういう傾向は見られない。ミスラも単純でかなりチョロい印象だが、ティアンやヴォルグの様な激しい思い込みは現時点で見受けられないところを見ると、獣人の女性の方が男性よりも周囲との調和を尊ぶ傾向にあるのかもしれなかった。
そっちの方が、ヒースにとっては話しやすくていいが、今後リオもヴォルグ達の様になってしまうとすると、ちょっと心配だった。
「ヴォルグ様、誰の所に連れていくつもりだよ」
「だから、アンリの所だ」
「あー」
リオは納得した様だが、ヒースは相変わらず何も分からないままだ。そしてヴォルグに掴まれた腕が痛い。
「ねえ、アンリって誰?」
初めて聞く名前だ。すると、リオが教えてくれた。
「この集落に住んでる妖精族の兄ちゃんだよ!」
「――え?」
そういえば、前に妖精族がこの集落にいるとカイネが言っていたかもしれない。主にヴォルグ絡みの騒動があれこれあり過ぎてすっかり頭から抜け落ちていたが。
でも、その説明でようやく腑に落ちた。人間との交渉の場に獣人を連れて行くと無駄に争いが起きる可能性がある、とヴォルグは意外にも冷静に述べていたが、確かに獣人の代わりに妖精族にヨハン達の所まで連れて行ってもらえたら早いし争いにはなりにくい。代替わりした妖精王はともかく、ジオの話を聞く限りは、妖精族は人間と共存の道を選んできているから。
「そっか、妖精族の人に持ち上げてもらって運んでもらえってことか」
「そういうことだ」
ヴォルグがもっともらしく頷いたが、そういうのはひと言先に説明すればいいのに、とヒースは文句を言いたくなった。勿論後々面倒なことになりそうだと思ったので、何も言わないが。
と、リオが腕組みをして首を傾げた。
「でもさー、あの兄ちゃんじゃヒースは持ち上げられないんじゃないか?」
どういうことだろうか。ヒースはヴォルグの返事を待った。
ヴォルグは、唸るような低い声で返事をする。
「あれでも一応妖精族だろうが」
「にしたってひょろひょろじゃないか」
ヒースの頭の中では妖精族の男は皆ムキムキだったので、リオの言葉は意外に感じた。ニアの話では、妖精族の体型は抱えている魔力量によって左右される。魔力量が多い程男性は筋肉質で身体も大きく立派になり、女性は美しく、いわゆる女性的な体型になる。アシュリーなんてどこもかしこも柔らかそうだったから、妖精王の娘だし相当魔力量が多いのだろう。
「俺、落とされるのは嫌だよ」
身体がひょろひょろってことは、魔力量も少ないってことだ。次にあちらに行った時に、クリフを連れてきた方がいいかもしれなかった。あっちの方が、余程安心して乗っていられる。
ヒースの情けない言葉に、ヴォルグが深い溜息をついた。
「そもそもお前がサクサク移動出来ないからこういった対処を考えているんだろうが」
「しょうがないだろ、俺は人間だし」
「シーゼルだって人間だろうが」
「あの人のあれは特別だって!」
シーゼルの動きは、人間の中で比べると明らかに突出している。蒼鉱石の剣の効果もあるだろうが、それにしたって早い。あの線の細さであの力と素早さは、人間離れしているのだ。
ヒースの言葉に、ヴォルグが意外そうに眉を上げる。
「……あれは人間の標準で言うとどれ位になるんだ?」
「もう上も上」
「ほう」
ヴォルグは顎をしゃくると、何かを考えている様だ。
「いつか手合わせしてみたいものだな」
「いや、もうやり合ったよね?」
思わずツッコミを入れたが、ヴォルグはそれをさらっと聞き流した。
「まあいい」
「いやよくないでしょ」
「では向かうぞ」
「ねえ、せめて朝ご飯食べてからにしない?」
「ぐだぐだ言うな」
ヒースは、この人の話を聞こうとしない獣人にどうしても嫌味のひとつでも言いたくなってしまった。毎回毎回、勝手過ぎる。確かに獣人と竜人は戦わないで話し合った方がいいと提案したのはヒースだけど、そもそもなんで人間のヒースがそんな恐ろしい場所に交渉人みたいな立場になって立ち会わないといけないのか。後でカイネを説得しよう、とヒースは固く心に誓った。
「リオは家に戻っていろ。サナが心配するぞ」
「あー、分かった! 朝ご飯、用意しておくから」
「ああ」
ああ、じゃない。
「リオ―!」
「ヒース、後でな!」
リオはにこにこ顔でヒースに手を振ると、踵を返してぴょんと飛んでいってしまった。ああ、救いの手、いなくなる。ヒースは凹んだ。
「さっさと自力で歩け」
「じゃあこの手を離してよ。歩きにくくて仕方ないんだけど」
ヒースが思い切り不貞腐れ顔で返すと、ヴォルグは眉間に深い皺を寄せながらも、手を離した。
この集落に入ってきた時とは違う横道をヴォルグは進む。森の中の小道といった風情で、やはりジオと過ごした森を思い出した。――あそこに帰れる日は来るんだろうか。段々と不安になってきたヒースだった。
「ヴォルグさ」
「……なんだ」
ヴォルグは横目でヒースを見下ろす。見上げる程の身長差があるので、ずっと見ていると首が痛くなりそうだ。
「さっきも言ったけど、ヴォルグはもっと相手の意見を聞かないと駄目だと思う」
「ああ!?」
ヴォルグは脅す様に顔を近付けてくるが、ヒースは負けなかった。人相の悪さだけなら、ジオで慣れている。
「獣人が皆そうなのかは知らないけど、相手が何を望んでいるのかもっとよく考えなよ」
「お前な!」
ヴォルグが牙を剥くが、それすらももうちっとも怖くはなかった。
「だって聞いてると皆勝手な思い込みばっかじゃないか」
「人が大人しく聞いていればズケズケと……!」
「矜持と好きな人のどっちが大事なんだってことだよ」
「うっ」
ほら、こうやって簡単に詰まる。考えずに自分の考えだけ押し付けるからこうなるのだ。
「カイネとどうなりたいかもちゃんと考えてるのか?」
「……そ、それは」
「自分はアイネと結婚して、傍にカイネを縛り付けておきたいのはただの我儘だよ」
「ぐっ……」
ヒースの言葉に、ヴォルグはしょんぼりと項垂れて無言となってしまった。
次話は明日目標です!




