取引材料
項垂れるヴォルグは、どう見てもあの威風堂々としているいつもの姿からはかけ離れていた。
「だが……そうなると、竜人族の所にアイネを取り戻しにいく際も、連れて行かねばならなくなるじゃないか」
「連れて行けばいいじゃないか」
ヒースがそう返すと、ヴォルグがギロリと睨んだ。
「あいつが怪我をしたら、俺が嫌なんだ!」
「だったら、戦わなきゃいいじゃないか」
「ああ!?」
ヴォルグが声を上げ、ヒースの肩を掴む手に力を籠める。
「だって、竜人族を倒したいのはいいところをカイネに見せたいからなんだろ? だけど、カイネはそんなことしたって喜ばないよ。分からない?」
ヒースの冷静な言葉に、ヴォルグはうっと詰まってしまった。ヒースの肩から手を離すと、だらりと腕を下ろす。
「カイネが求めてるのは、皆が怪我をしないで死なないでいてくれることだよ。決して戦って強いところを見たい訳じゃない」
「……だが、それでは、どうやって取り返せばいいんだ……?」
ヴォルグが、再び大きな手で顔を覆ってしまった。
「どうやったらアイネは戻ってくる? どうやったらお前が言う様に戦わずにカイネに嫌われずにいてもらえるんだ?」
「だから、他の獣人と同じ扱いをすればいいんだってば」
堂々巡りだ。獣人族の男は、どうしても力で強さを証明したがる傾向にあるらしい。その価値観を変えろと言っても、幼い頃から刷り込まれたものは簡単には覆されないのか。
「言っただろ。カイネは、仲間が死んだりするのが嫌なんだよ。だから、戦うこと自体に反対をしてるよ」
ヒースがそう言うと、ヴォルグが指の隙間から恨めしそうにこちらを覗いてきた。
「……どうしてあいつは、お前には何でも話すんだ」
「俺が話を聞くからだよ。だって、ヴォルグは人の話は基本聞こうとしないだろ」
「お前な……」
ヴォルグが下唇を突き出していじけ顔になり始めたが、ヒースは容赦しないことにした。今は何気に最重要事項の話になってきている。ここをうまくヴォルグに理解してもらえたら、もしかして何とかなるのではないか。そんな気がしてきた。
「ヴォルグ、考えてみてよ。ヴォルグは、単にカイネと打ち解けて信頼してもらいたいんだろ?」
ヴォルグが、顔から手を離した。眉間に皺を寄せたまま、厳しい表情で頷く。もう少しこの顔をにこやかに出来たら印象もガラリと変わるとは思うが、これは元々こういう顔なのか、それとも威厳が増えると思ってやっていることなのか。さすがにそこまで聞くのは憚られれた。
「じゃあ、話は簡単だよ。さっきも言った様に、他の獣人と同じ扱いにすればいい」
「だが、怪我をしたら」
「だったら、皆が怪我をしない様にするには、皆が戦わなければいいだろ」
そう、先程と同じ内容の言葉を繰り返した。
ヒースは、ひとつの可能性に気が付いていた。これならもしかしたらいけるんじゃないか、というそのひとつの可能性に。
ヴォルグが、腰に手を当てて困った様な顔でヒースを見下ろした。
「じゃあ、アイネはどうやって返してもらえばいいんだ。カイネはアイネを救いたい筈だろう?」
アイネはヴォルグの許嫁だというのに、ここでもヴォルグの考え方の基本はカイネが救いたいと思っているかどうか、だけなのか。親が決めたものとはいえ、これではアイネも逃げ出したくもなるだろう。愛想のあの字もなく、しかも実の兄だけを愛しているのだから。
アイネは、ヴォルグがカイネのことを好きなのは分かっていたのだろうか。気になるところだった。
「ヴォルグ、蒼鉱石の剣はどうかな」
「――は?」
ヴォルグが、キョトンとしてヒースを見返した。
シーゼルの蒼鉱石の剣は、ザハリの師匠の作品だとザハリが言っていた。そして、あれは竜人が大事にしていた物で、それをもらいうけたのがシーゼルだ。
「ヴォルグ、蒼鉱石の剣は、戦うだけの物じゃない。取引にだって、十分使える価値のある物なんじゃないか?」
「取引……」
シーゼルが言っていたではないか。竜人族は、よその種族の血が混じるのをよしとしていないと。それに、アイネはまだ十三歳の子供だ。そこから導き出されるひとつの可能性、それは、アイネを連れて行った竜人はともかく、竜人族の集落においてはあまり歓迎されていないのでは、ということだ。
獣人も竜人も、魔族は人間よりも個体数が少なく、種族存続の危機を迎えていると言っていたのは誰だったか。だが、奴らには拐っていった人間の女がいる。そして、人間と交わっている限りは、魔族としての特性は薄まりはしろ、他の魔族との交わりと違い、魔族の種族の特性が混合することはない。
プライドの高い竜人族にとって、獣人は竜人族よりも下等種族だ。奴隷時代の作業現場で、それはあからさまだったから、多分間違いではない。なら、他の種族の血で純血が汚れていくのを厭うんじゃないか。
こういうものの見方は、もしかしたら冷たいものなのかもしれない。だが、アイネはひとりの女性で意思だってあるのは分かっているからこそ、その要素は外して要因だけの足し算と引き算で考えていかなければならないのではないか。何故なら、大半の竜人族がそうだからだ。
ヒースが知る限り、竜人族は非常に冷静で冷徹だ。シーゼルにとち狂った竜人がいるのだから実際はそうでもないのかもしれないが、ものの考え方は非常に現実的だと考えた方がいい。そもそも、人間の男を奴隷として管理するのに、刻印で判別し、魔力がある者は危険だと処分していたことからも、その現実的で冷酷な考え方が窺えようというものだ。
だったら、各々の感情よりも、種としての意思を優先するのでは。
ならば、蒼鉱石の剣を数本貢物として用意したら、アイネと交換できるのではないか。それだけの価値が蒼鉱石の剣にはあり、それだけの価値しか獣人の未成年の女性にはない、と判断するのではないか。
「アイネを、蒼鉱石の剣と交換する。それってどうかな?」
「お前……アイネを物の様に……!」
獣人の男だって女を所有物にしてるじゃないかと思ったが、あれは所有物というよりも自分の群れを守るという、どちらかというと動物的本能に近いのかもしれないな、とここにきてヒースは思った。物というよりも、仲間意識といった方が近いのか。強いものが群れの頂点に立つ代わりに、群れの安全を守る。うん、きっとこれだ。
竜人は、個々が強い。だから、群れる必要がない。その為、種全体を通してそれが利となるかならないかで判断をするのではないか。
「ヴォルグ、これは俺の考えじゃないよ」
「どういうことだ?」
「竜人族だったら、そう考えるんじゃないかっていうことだよ」
ヒースがそう言うと、ヴォルグが馬鹿にした様に鼻を鳴らした。
「お前の様な人間の子供が、竜人の何を知ってるんだ。知った風な口を聞くな」
「そりゃ大して知らないけど、全く知らない訳じゃないよ」
「何故だ。お前に竜人を知る機会など」
「俺、奴隷だったから」
ヴォルグが、ピタリと止まった。
「十歳の時に竜人に父さんを目の前で殺されたのが、初めて見た竜人だったよ。その後は、作業現場で一番上の監督者が竜人だったから、仲良くなったりなんて勿論なかったけど、あの人達がどんな命令をしててどんなことで怒ったりしてたのかは、俺は知ってるよ」
「……ヒース……」
竜人は、父さんを殺した。だけどジェフを殺したのは獣人だ。目の前にいるヴォルグじゃないから、この集落にいる誰でもないから、だからどうとは言わないけど。
ミスラにパイプをあげた竜人は、もしかしたらアイネを連れて行った竜人と同一人物か、それか親しい者なんじゃないか。
様々な考えが、ヒースの頭の中をぐるぐると回る。
ヒースは、それらの考えを一旦横に置いた。
「蒼鉱石の剣を取引の材料に使うなら、俺ももっと協力出来ると思う」
ヒースは、ヴォルグを見上げながらそう言った。
次話は書けたら明日投稿します。




