認める意味の違い
ぶる、と震えてヒースは目を覚ました。二人で使っていた筈の毛布が、全部リオに奪われている。そりゃあ寒い筈だった。
ヒースはムクリと起き上がると、昨夜何度も往復した裏の井戸へと顔を洗いに向かった。大して寝ていないからか、まだ頭がぼうっとしている。
外に出ると、森の木々から発せられる新鮮な空気を濃く感じ、久々にジオの家に戻ってきた様な感覚に陥った。あふ、と欠伸をしつつ、綺麗に石が組まれた井戸へと進むと、井戸の水を頭から被っているおかしな人がいるじゃないか。
「あのー、ヴォルグ?」
ヒースが話しかけると、濡れた頭をぶるぶるっと振って水滴を飛ばしたヴォルグが振り返りつつ立ち上がった。ぽた、と前髪から雫が滴っており、なかなかに寒そうだ。
「……お前か」
「おはよう。ていうか、何してんの?」
こんな涼しい朝に頭から冷水を被っている人がいたら、一体何の修行かと思うかもしれない。
すると、ヴォルグが真剣な顔でヒースに尋ねた。
「……どうだ、俺の顔はまだ赤いか?」
「は?」
ヒースはまじまじとヴォルグの顔を見上げた。……確かに、ちょっと赤いかもしれない。
「そうだね、言われてみれば」
「――まだ足りないか」
ヴォルグはそう言うなり、また井戸から水を組み上げるべく縄付きのバケツを井戸の中に放り投げた。
「ちょ、ちょっと待って待って、意味が分からないんだけど、さっきから何やってんの? 風邪引いちゃうよ?」
すると、縄を手繰り寄せながら、ヴォルグがフンと鼻で笑った。
「混血でもあるまいし、そう簡単に風邪なんか引くか」
「あ、そういう言い方駄目だと思うよ」
「ああっ!?」
ヴォルグが凄むが、正直もうちっとも怖くない。何故なら、ヴォルグがこちらに手を出そうとしていないことが明白だからだ。これまでは何度か手を出されたが、あれも殺す気はなかった……筈だ。
「確かさ、俺達が初めて会った時も、カイネに混血混血って言ってたよね」
「それがどうした」
いきなり襲いかかってきたヴォルグをシーゼルが剣で受け止めた時の話だ。あの時は随分と乱暴な人だと思ったが、それも混血のカイネをただ守りたかっただけ、というよりも、人間の男と仲良くしているのを見て嫉妬してしまったというヴォルグの心理が分かってしまえばなんてことはない。
「カイネは、混血は力が弱いから言われると嫌なんだよ」
すると、ヴォルグが首を傾げた。
「混血の力が弱いのは当たり前のことだろうが」
「いや、そうかもしれないけど、カイネは強くなりたいって思ってるんだから」
ヒースが説明しても、ヴォルグは理解出来ないらしい。
「それは俺がいるから必要ないだろうが。そんなことよりも、縫合の様な細かい作業こそカイネが得意とするところだ。そこを追求すればいいだけの話だろう」
取り付く島もない。
「素直に俺の後ろにいて、戦いから離れているのがあいつの身の安全の為にはいい」
そう言って、腕組みなんぞしている。
「いやまあそうなんだけど、カイネだって戦いたいんだよ」
「どうしてだ?」
ヴォルグがもう一度ぶるぶるっと頭を盛大に振って辺りに水滴を撒き散らすと、ヒースの前に偉そうに立った。
「ひとりの獣人として認めてもらいたいからだよ」
「だから、あいつにはあいつの役割があるだろうが。混血は弱い。弱い分俺が時期族長としてあいつを守ってやれる」
ああ言えばこう言う。というか、頑固で譲らない。この辺りはティアンと似通っている様だ。まいったな、とヒースは腕組みをして考えた。
ヴォルグも同じ様に腕組みをして立っているので、二人向かい合わせに一体何をしているんだと言われたら何と答えるべきなのか分からない異様な光景になっていそうだったが、ヒースは真剣に考えた。
考えろ、考えるんだヒース。ヴォルグは頑固ではあるが、別にこれはカイネに悪意がある訳ではなく、単純に自分が守ってあげるから心配する必要なんてないだろうという思考回路なのだ。だけど、確実に言えることがただひとつある。
それは、ヴォルグが出来たらカイネに好かれたいと思っている、ということだ。
人の気持ちを利用するのは嫌だ。だけど、このままではうまくいくものもいかなくなってしまう気がした。
だから、ヒースは意を決して言った。
「ヴォルグ、カイネに少しでも気を許してもらいたいなら、カイネを一人前の獣人の男として認めてあげることだよ」
すると案の定、ヴォルグの耳がピクリと動いた。
「昨日だって、カイネのことを認めてない訳じゃない、ただ怪我をしないか心配してるんだって分かったら、ひと晩中隣にいることが出来ただろ?」
「お……おお、そう……かもな」
よしよし、少し話を聞く気になってきた様だ。
ヒースは、大きく頷いてみせた。
「つまり、カイネを一人前と認めてあげることが、カイネとヴォルグの関係改善には必要だと思うんだ」
だが、残念ながらヴォルグには届かなかった様だ。
「俺は、いつもカイネを認めている」
「だから、そういう認めるじゃないんだってば!」
「お前の言っていることは難しくてよく分からん」
そう言って、眉間に皺を寄せて首を傾げてしまった。
「そうじゃないんだってば! ヴォルグは、カイネが怪我しちゃうから怪我させない様にって危険からカイネを遠ざけてるだろ?」
「ああ、そうだな」
「カイネは、そこにもちゃんと獣人の男のひとりとして参加させてもらいたいって思ってるってことだよ!」
「だが、それでは危ないだろうが」
「いや、そりゃそうなんだけどね……ああ、もう!」
ヒースは頭を抱えたくなった。分かる。ヴォルグの気持ちは痛い程分かる。何故なら、ヒースは同じことを経験済だからだ。ヒースは、ニアとクリフに同じことをしようとして、そして怒られたから。
どう言ったら伝わるのか、ヒースには分からなかった。だから、半ばやけくそで言った。
「いつまでもそんな過保護なこと言ってると、カイネはヴォルグの前からいなくなっちゃうかもしれないぞ!?」
それは、ある意味あり得ることだとヒースは思っていた。何故なら、カイネは窮屈そうだったから。ヒースと関わっている内に、段々と獣人の常識に縛られない外の世界に興味を示し始めているのは事実だったから。
「そんなんだと、カイネに見切られるぞ!」
ヒースがダメ押しのひと言を言った瞬間、ヴォルグの腕がザワワッと獣化しかけたが、――それはすぐに止んだ。そして、なんと両手で顔を覆って俯いてしまったではないか。
だけど、ヒースより大分大きいので、俯いててもまだヒースが見上げている。そして、指の隙間からは泣きそうに歪んだ顔が見えた。
「……じゃあ、どうすればいいんだ」
「簡単だよ、他の獣人と同じ扱いにすればいい」
ヒースがそう言うと、ヴォルグがぐわっとヒースの両肩を掴んだ。
「だが! 万が一あいつに怪我でもしてみろ! 俺は、俺はその後どう償えばいい!?」
「多分、カイネは償いなんて求めてないよ」
多分、それはヴォルグだって分かっている筈だ。ヴォルグが恐れているのはそういうことじゃない。分かっていて、だけど自分の中に立派な獣人の男らしからぬ恐怖が存在するのを認めるのが怖いだけだ。
「いい加減、素直になりなよヴォルグ」
ヒースがそう言うと、ヴォルグは牙を剥いて反論しようとしたが、言葉は何も出てこなかった。
「カイネを失うのが怖いんだよ。ヴォルグはそれが怖いから、だからカイネを縛り付けてるだけなんだよ」
ヴォルグの瞳が、悲しそうに揺れる。
「でも、今のままだとお互い理解出来ないままカイネを失っちゃうよ」
ヒースの言葉に、ヴォルグはしゅんと項垂れてしまったのだった。
次話は書けたら明日投稿します!




