何故かすぐに懐かれた
リオが用意してくれたのは、今夜レイスに取っておいた夕餉の残り物だった。
「ヴォルグ様もカイネ様も、どうぞ」
サナが給仕をすると、カイネは「ありがとう」と礼を言ったが、ヴォルグはゆっくりと頷いただけだった。こういうところが、ヴォルグの威圧感を増している原因のひとつだとヒースは思う。
「リオはもう食べたのか?」
「食べたよ。だから安心して食べなよ」
「うん、ありがと」
ヒースが色んな野菜と何かの肉が入った雑炊をハフハフ言いながら口に入れると、口の中に広がったのは素朴な素材の味だった。肉は肉、野菜は野菜、そして米は米の味がする。
久々に、奴隷時代の料理を思い出した。あれよりはもう少し味が染み出しているが、なんというか非常に味気ない。ミスラは出汁の取り方を学んだと言っていたので、やはりこれが一般の獣人の味覚の様だった。
「どうだ? うまいか?」
リオが、まるで飢えた子犬が餌を食べるか心配しているかの様な憐れみの目線でヒースを見る。色々と言いたいことはあったが、今はやめておこう。父親が怪我で臥せっている時に可哀想、という気持ちもあった。
「美味しいよ、ありがとうリオ」
ヒースがリオの名前を呼ぶと、リオの耳がピン! と立った。どうやら、嬉しいらしい。
「へへっ……! なあ、お前名前は何ていうんだ?」
「俺はヒースだよ」
「ヒース? へえー、初めて聞く名前だ」
「あんまりいないかもね。俺も他には聞いたことないから」
ふうん、とリオが納得したのか知らないが頷いた。そして、じっとヒースを観察する様に見ている。非常に食べにくいことこの上ない。多分、人間が珍しいのだろう。
「なあヒース、その顔の横に付いてるのって耳だろ?」
ヒースは次々に料理を口の中に放り込みながら、こくこくと頷いた。
「ここにたまーにくる竜人にもそのあたりに耳があるけど、あれはもっと長くて大きいもんなあ。なあ、触っていいか?」
「食事が終わってからね」
「やったあ!」
ヒースが始めに会った時は随分と警戒している様だったが、あれはもしかしたらヒースではなくシーゼルの殺気に警戒していたのだろうか。それか、カイネとヴォルグというこの集落でもかなり偉い獣人がふたりも一緒にいるので、なんとでもなると思っているのかもしれない。
「これリオ、その人はザハリさんのお手伝いで来られた鍛冶屋さんなのよ。あなたの遊び相手じゃないんだから」
おや、どうやら獣人の大人には、ヒースの情報はもう伝わっているらしい。まあ、ヴォルグに連れられてああも堂々と集落に入ってきたのだ、ヴォルグなりカイネなりが、住民に説明をしていたとしてもちっともおかしくはない。
ヒースがおかわりをもらい、それも食べ終わると、リオが食器を下げてくれた。そして、目を実に楽しそうに輝かせ、ヒースの元にやってきた。
「約束だぞ、耳」
「あ、うん。引っ張ったりしないでよ、痛いから」
「分かってるって!」
リオはそう言うと、ヒースの耳たぶを思い切り掴んだ。そしてぐいぐい、と引っ張る。
「なにこれー!」
そして、実に嬉しそうに笑っている。何がそんなにおかしいのか、ヒースにはちっとも理解出来ないが、怪我をした父親を目の前にし凹まれるよりは、幾分かマシかもしれないと思った。
「なあ、人間って変身したら何になるんだ?」
リオが、目をキラキラさせたまま、ヒースのすぐ目の前に胡座をかいて座り込んだ。
「人間は、変身しないんだ」
「え!? だって獣人族は獣化するだろ? 竜人族は竜になるだろ? 爬虫類族は変身したのは見たことないけど、変身出来るって聞いたぞ!」
あまりにも交流がないので、この子にとっては人間は敵でも何でもなく、ただ未知の生物の様だった。つまりは珍獣を見ている気分なのだろう。
「リオ、獣人族も竜人族も爬虫類族も、皆魔族だから。人間は人間族だろ? だから別物なんだよ」
「え? そうなの?」
リオがちょっと残念そうな顔になった。
「だから、人間族に近い亜人達は変身しないと思うよ」
「あじん? なんだそれ」
「ええと、人間よりちっちゃい小人族とか、長寿のエルフとか。他にも種類はあるみたいだけど、俺が見たことあるのはそのふた種族だけかな」
「へええええ! 聞きたい! 話聞かせてくれよヒース!」
リオはもう前のめり過ぎて、ヒースの膝に両手を乗せてしまっている。随分と好奇心旺盛な子だ。ヒースは、カイネとヴォルグを振り返った。獣人族の子供に、何をどこまで話していいか、さっぱり分からなかったのだ。何か喋ってはいけないことでもあったら、ヴォルグに何をされるのか分からない。
「なあヴォルグ、別にいいのか?」
ヒースが尋ねると、ちらりと睨みつけるような目で振り返ったヴォルグが、ぼそりと言った。
「構わん。ただ、子供だ。あまり余計なことは話すな」
「余計なこと、ね。分かった」
余計なこと。それはきっと、ヒースが奴隷であったことや、人間と魔族の争いのことだろう。確かに子供が聞く必要のないことだ。知っておく必要はいずれはあっても、それが今夜である必要はない。
憎しみを伝えるより、ヒースという人間がどういった人物だったのかを知ってもらえたら、この子に将来人間と争うことがあったとしても、考え方が少しは変わってくるのではないか。
誰かの考えを変えたいなんて、そんな大それたことは思わない。変えられるとも思わない。だけど、初めて会った人間はこうだった、と覚えていてくれたら。
そしてそれが、もし悪い印象じゃなかったら、この子の未来が少しでも優しい方向に進む可能性があるなら。
「俺もあんまり知らないけど、じゃあ俺が知ってる話をしようか」
「やったあ!」
リオが嬉しそうに胡座をかいたヒースの上にぴょんと乗ってきた。おやおや、随分と人懐っこい子だ。
すると、カイネがぎょっとした様にヒースを見た。
「……お前は一体、何をしたらそうやってすぐに懐かれるんだ?」
「え? この子って元々こんな感じの子じゃないの?」
すると、カイネだけでなく、母親のサナまで首をぶるぶると横に振るではないか。ヒースは、胡座の中のリオを見下ろす。リオは、期待に満ちた赤い瞳でヒースを見上げている。
「俺のこと、怖くないの?」
「ぜーんぜん! だってヒース、怖い感じ全然しないもんな!」
「普通、獣化出来る様になる前の子供は警戒心が強いもんなんだけどな……」
カイネが、呆れた様にそう言うが、意味が分からない。
「獣化出来る前? なに、子供って獣化出来ないの?」
カイネがこくりと頷く。
「いわゆる成体になる際に獣化が出来る様になるんだ」
「へえ……。リオはまだちっちゃいもんな」
ヒースがそう言うと、真下からはしゃいだ声が聞こえた。
「ヒースは全然怖くないけど、じゃあもしかして俺の獣化ももう近いのかもな!?」
「さすがにまだ早いんじゃないか?」
低い声でヴォルグが言う。すると、リオがキッとなって食って掛かった。
「ふん! ヴォルグ様、見てろよ! 俺はきっとすんげーカッコイイ獣化が出来る様になって、そんで集落一の強い男になってみせるんだからな!」
ぐ! と拳を握り締めて宣言をするリオに、カイネは少しだけ切なそうな表情を浮かべつつ、言った。
「リオならなれるさ。なんせ勇敢なレイスの息子だからな」
「へへー!」
「さ、リオ。レイスが起きてしまうから、少し声を抑えてくれ」
カイネが優しくそう言うと、リオがハッとして口を手で押さえた。ヒースを見上げると、目だけで笑った。
ヒースはリオを乗せたままレイスから少し離れた壁の方に移動すると、リオに話をしてやることにしたのだった。
次話は月曜日投稿予定です。




