レイス一家
レイスを乗せた担架を運ぶ男達の後に、カイネが続く。その後ろを、ヒースを小脇に抱えたままのヴォルグが続いた。
「ヒース、また明日ー! 隊長との夜の話、たっぷり聞かせてあげるからねー!」
物凄く機嫌のいいシーゼルが、にっこにこの笑顔でヒースに手を振った。ヒースは、仕方ないので手を小さく振り返した。別にヨハンと夜をどう過ごそうがヒースには一切関係ないし興味もないが、シーゼルの機嫌を損なうと色々と面倒臭い。
シーゼルが嬉しそうにカイネの家の中に戻って行くのを見届けたヒースは、次いで自分を抱えてずんずん歩くヴォルグを見上げた。
軽々と持たれてはいるが、だからといって自分の体重がかからない訳ではない。つまり、ヴォルグの腕も手の指も、お腹にそこそこ食い込んでくる。これがヒースの身体にどう作用するかというと、つまりは吐き気を誘発するということだ。
「うぷっ」
ヒースが胃酸混じりのゲップをすると、ヴォルグが実に嫌そうにヒースを見下ろした。
「……お前は本当に胃腸が弱いな」
「そういう問題じゃないと思う……」
どうせ持つなら、もう少し優しく持って欲しい。というか、何故持たれたままなのかもよく分からない。
「あのさ、逃げないから降ろしてくれないかな?」
「……本当に逃げないか?」
「一体どこに逃げられるって言うんだよ」
ヒースが青ざめた顔でぶつくさ言うと、ヴォルグがにやりと笑った。もしかしたら本人は優しい笑顔のつもりかもしれないが、如何せんごつすぎて凄んでいる様にしか見えない。
「まあ、それもそうだな」
ヴォルグはそう言うと、ヒースの脇を抱えて地面に降ろした。ヒースはその場で大きく深呼吸をすると、呆れた様に見下ろすヴォルグに向かってこれだけは言っておこうと思い、言った。
「あのねヴォルグ、脇腹もお腹も、掴まれると気持ち悪くなるんだよ!」
「ひ弱だな」
「ひ弱とかの問題じゃないって……。吐かれたくなかったら、次からもう少し運ぶ時は方法を考えてほしいんだけど」
「……ふん」
ふん、じゃない。ヒースはヴォルグの袖を引っ張り自分に注意を向けさせると、前に聞こえない様に口を手で隠してヴォルグに言った。
「カイネに同じことする?」
「しない」
即答だった。一瞬あまりにも愕然とし過ぎて言葉を失ったが、ヒースは気を取り直してヴォルグとの交渉を再開した。
「カイネと同じ程度とは言わないから、せめて半分程度は考えてよ」
「何故だ?」
「じゃないと吐くからだよ」
「……」
今度はヴォルグが黙った。それに、また食事を食いっぱぐれた。夕方以降、何度も何度も吐き気に襲われてもういい加減胃に優しいことをしてあげたいのはやまやまだったが、まだまだ道のりは長そうだった。
◇
レイスの家には、妻と思われる細身の女の獣人と、集落に来る時に見かけた少年の獣人がいた。平屋の木造の家には大して物もなく質素なものだが、敷かれている絨毯は色鮮やかでとても印象的だ。
「サナ、今夜はひと晩中カイネが付きそうことになった」
「ヴォルグ様、夫の容態はどうなんですか……?」
不安そうに、サナと呼ばれたレイスの妻がヴォルグを見上げた。目にはいっぱいの涙が溜まっているのが、哀れみを誘う。
固い布が張られた寝所の上に寝かされたレイスは、呼吸は粗いが顔色は先程に比べ悪くはない様に見えた。その横にあぐらをかいて座り込んだカイネが、サナを振り返って説明をする。
「腕の傷はきちんと縫合出来た。消毒もしてあるし、暴れなければ傷も開かないだろう。だが、魔物の毒が体内に入ってしまっている。その所為で、時折酷く暴れることがあると思う」
「毒……」
「今までの例だと、一日程度あれば抜けると思うんだが、僕では獣化したレイスに対抗出来ない。そこでヴォルグに来てもらった」
カイネがそう言うと、サナはヴォルグに向かって深々とお辞儀をした。
「暴れなくなれば、あとは毎日清潔にして包帯を変えていれば、肉もくっつく。頃合いを見て糸を取れば、完治するだろう」
「ああ……よかった、よかった……!」
サナがカイネにも深々と頭を下げた。
そこで、とカイネは続ける。
「早く毒を体外に出す為に、白湯を飲ませたい。水差しは持ってきたから、サナは白湯を用意してくれるか?」
すると、ほっそりとした少年がカイネの前にやってきて座ると、カイネをキッと見上げた。
「カイネ様、俺には!? 俺には何か父ちゃんの為に出来ることはないか!?」
ふわ、と何とも美しい顔で、カイネが少年に笑いかける。
「レイスはいい息子を持ったな。そうだな……リオは、拭く物を用意してくれるか?」
「拭く? 何を拭く物?」
少年がカイネに詰め寄る。後ろでひとつにちょこんと結ばれた髪が、ぴょんと跳ねた。
「汗に、毒が染み出してくる。だから汗を拭いて、服も定期的に交換が必要だ。リオの役目は、拭く物を用意して、汚れた物を洗ってきて欲しい。出来るか?」
カイネが優しくそう言うと、少年が真剣な眼差しでこくこうと頷いた。
「じゃあ用意してくる!」
少年が、勢いよく立ち上がると外へと飛び出して行った。ヴォルグが、いつレイスが暴れても押さえつけられる様にカイネの横に座る。サナは、白湯を用意しに消えてしまった。
ひとり残されたヒースは、カイネに尋ねた。
「あのー、俺は何をすればいいんだ?」
「お前はそこにいてくれればいい」
カイネがにこ、と笑いかける。いや、ただいてくれと言われても、明らかに手持ち無沙汰になることは目に見えている。ヒースは、めげずに今度はヴォルグに尋ねた。
「ヴォルグ、俺も何かしたいんだけど」
「ひ弱な人間だ、何も出来まい」
「細かい作業なら出来るけど」
少なくとも、ヴォルグみたいに何でも力任せではない。カイネを見ると、無言で酔木を削っている。
「……帰ってご飯食べてきていいか?」
ダメ元で提案してみた。すると、カイネとヴォルグが同時に言った。
「「駄目だ!」」
「だってさ……お腹空いたし、やることないし」
見知らぬ獣人の家で、何もすることもないままひと晩過ごせと言われても、回りが皆忙しなく働いているのに寝てる訳にもいかないだろう。
ヒースは困り果てた。
すると、リオと呼ばれた少年が手ぬぐいを抱えて持ってきた。
「カイネ様、これでいいか?」
「沢山集めたな、よくやったな」
「近所から分けてもらったんだ!」
「ああ、偉いぞ」
カイネに褒められたリオは、とても嬉しそうだ。
その様子を眺めていたヒースは、自分の立場は弱いんだと嘆いていたカイネの主観が間違っているのでは、という考えになっていた。多分、カイネのそれは、ヴォルグの影響で刷り込まれてしまっただけで、多分回りはカイネのことは族長の息子として立てているし、それにしっかりと信頼されている。
つまりは、ヴォルグの偏った愛情と口下手が相まって、カイネの価値観が歪んでしまっているということではないだろうか。
ヴォルグの庇護下になくとも、カイネは立派にやってるじゃないか。それを自分の庇護下に置こうとしてしまうから、全てが歪んでしまうのだ。
ヒースが更に考えようとしたその時。
ぐぎゅるるるるるるるっ!
とヒースの腹が盛大に鳴った。
振り返るヴォルグの冷たい目線に、カイネの笑いを含んだ目。もしかしてと思いリオの方を見ると、おかしそうに笑いを堪えているじゃないか。
「……なあ、うちにあるもん何か食うか?」
リオが、ヒースに尋ねてきた。もしかしたら、餌を与える気持ちなのかもしれないとふと思ったが、元々奴隷だったヒースにはどうでもよかった。
今はとにかく、食欲優先。
「食べる」
ヒースは深く深く頷いたのだった。
明日は祝日でした!
次話は金曜日に投稿予定です!




