逆らえない
この落下の吐き気とは大分近しい関係にはなったが、だからといって好きになれるかというとなれる筈もなく。
地面に降ろされた瞬間、ヒースはまたしゃがみ込んで二つ折りになった。すぐ横にあったヴォルグの太い足が、声のする方へと歩いていく。
ヴォルグと入れ違いに、ヒースの元にやってきた足があった。
「ヒース、何もされなかった? 大丈夫?」
「シーゼル……」
ムカムカする胃に耐えながら顔を上げると、シーゼルのきめ細かい肌が目に入ってきた。正面からヒースの両脇を抱えると、相変わらずの馬鹿力でヒースをぐんっ! と持ち上げる。
ヒースを抱き抱える様にして立ったシーゼルが、心配そうな表情を浮かべながら、言った。
「怪我とかない? 心配だから、ちょっと見せてよ」
「ない。大丈夫」
ヒースは即答した。シーゼルとは風呂で裸を見せ合った仲とはいえ、怪我もないのに見せるのはさすがに抵抗がある。
そういえば、ヴォルグに向かって、ヒースの身体に傷がついてないか丁寧に確認するから、と宣言していた様な記憶があった。本当に実行されたら、溜まったものではない。
「本当? 隠してない?」
素直に心配してるのか、それともちょっと見たいなという気持ちからくる発言なのか、ヒースには判別がつかない。だから、きっぱりと言った。
「大丈夫! 何もされてない!」
「本当? ……へえ、あの獣人、案外律儀なんだねえ」
ちろりと舌を出すのはやめて欲しい。この人、ヨハンにベタ惚れだったんじゃないのか。あ、でも想いが伝えられない時、竜人の恋人になったりしてたんだった。
ヒースは、これ以上深く考えるのをやめた。
シーゼルに半ば引き摺られる様に歩きながら、表で固まって話している獣人の男達を横目で見る。担架から、だらりと腕がぶら下がっていた。
男達の会話から、傷の縫合は終わり、魔物の持つ毒の影響から幻覚を見ていたことが分かった。どうやら、獣人達は知っている種類の魔物の様だ。
今は酔木の煙を直接吸い込んだことで意識が混濁しているが、毒が抜けるのが先か、目が覚めるのが先かで対応が変わる為、今日はひと晩カイネが看病する、とカイネが言った瞬間。
「駄目だ! 駄目だ駄目だ駄目だ!」
ヴォルグが反対した。よせばいいのに、それに対し案の定カイネがムキになる。
「縫合をしたのは僕だ! それに、酔木の効果がこの中で一番薄いのは僕なんだから、僕が適任だろう!」
「駄目だ!」
ヴォルグは駄目の一点張りだ。周りの獣人達は、また始まった、とばかりに肩をすくめて二人のやりとりを見守っている。どちらかというと、皆カイネに同情的な目線を送っている様に見えた。
「どうしてお前はいつもそうやって僕のやること為すことに反対ばかりするんだ!」
カイネが叫ぶ様に言うと、周りにいた獣人が頷きながらヴォルグに声をかけた。
「ヴォルグ様、今回は本当にカイネ様のお陰だったんですよ。いつもそうやって押さえつけてばかりだから、温厚なカイネ様がとうとう切れちゃったじゃないですか」
カイネは温厚なのか? という疑問はさておき、今まではヴォルグの主張に縮こまっていたらしいカイネなので、カイネがここまで反抗するのは珍しいらしい。
「そろそろ認めてやってはいかがです?」
他の獣人が、更にカイネの肩を持つ。ああ、ヴォルグの肩がプルプルいっている。
怒気というのは目に見えるものなんだな、とヒースは一歩引いたところでこのやり取りを傍観していた。色は見えずとも、空気が揺らめいているかにの様に見える。
「俺は……別に認めてない訳じゃない!」
ヒースは心の中で頷いた。知っている。ヴォルグはただ、またレイスに煙を口移しされる可能性を思って嫉妬に狂っているだけだ。
だけど、勿論そんなことは言えない。確かにそれは辛かろう、とヒースは思った。応援は出来ないが。
ヴォルグの言葉に、カイネが顔を上げた。
「そ、そうなのか?」
「そうだ! お前にはお前の得意なことがある!」
唸る様に言葉を紡ぐヴォルグに、カイネの目がキラキラと輝いた。ヴォルグの、眩しそうなものを見る目つき。カイネは罪作りだな、とヒースは心の中でフッと笑った。
「だが、レイスが獣化して暴れたらお前では勝てん!」
すると、周りの獣人が驚いた様に言った。
「なんだ、ヴォルグ様、ただカイネ様の心配をされてただけなんですか?」
ヴォルグがそいつをぎろりとひと睨みすると、男の前にずい、とカイネが庇う様に立った。
「そう……だったのか。ならば、誰か他の者にも付いていてもらえば問題ないだろう?」
「うっ……!」
自分の脆弱な論理の穴を突かれ、ヴォルグは詰まった。ああ、可哀想に。
「……さ、ヒース、中に入ろう」
「う、うん、そうだね」
ここでただ見学をしていても仕方ない。止まりかけていた足を動かし始めると。
「お、俺が付いている!」
なんとヴォルグがそう言った。
「えっ」
途端にカイネが見せる、どうしようという困った顔。すると、立ち去ろうとしていたヒースの真後ろまでヴォルグがピョンと飛んでくると、襟首を掴んで持ち上げてしまった。
「ぐええっ!」
「あれれ」
シーゼルが笑う。いや、笑ってないで助けて欲しい。いや、でも剣を向けられても困る。ああもう嫌だ。シーゼルはヒースの護衛だったんじゃないのか。
ヴォルグが主張した。
「こいつも一緒にだ!」
周りの獣人達は、は? という顔になった。当然だろう。ヒースは、この場に一切関係がないのだから。
すると、カイネが重々しく頷いた。
「ならばいいだろう」
「よし、決まりだな」
「グハァッ」
ヴォルグはヒースを降ろすと、ヒースを小脇に抱え直しシーゼルを振り返った。周りの男達は、ヴォルグの意図が掴めないのだろう、遠巻きに眺めているだけだ。
誰でもいい、止めてくれ。ヒースは思った。
「お前の大事なヒースを傷つけなかったのは、先程ので証明出来ただろう?」
「まあ、そうだね。僕、素直に感心しちゃったよ。思ったよりいい男なんだね、ヴォルグって」
ヴォルグの目尻がピク、と動いたが、ヴォルグはシーゼルの艶然とした笑みには反応しないことに決めたようだ。
「経緯は聞いての通りだ。ヒースを借りていくが、傷ひとつ付けはしない。約束しよう」
今つい先程襟首を掴まれ息が詰まって死にそうになったヒースであったが、息を整えるので精一杯で、一切反論出来なかった。もう滅茶苦茶だ、この人。
「まあ、それなら安心かな。ヴォルグは強いし、ヒースを預けるには十分過ぎる護衛だしね」
すると、なんとシーゼルまで頷いてしまったじゃないか。そして、ふふ、と笑った。
「僕、ちょっと隊長に会いにひと晩くらい戻りたいなって思ってたところだったんだよね」
それを聞いて、ヒースは愕然とした。つまり、これまではヴォルグ達が危険でカイネじゃ守りきれないと思っていたが、ここにきてこの集落で格段に強いヴォルグがヒースの護衛になり得ると判断した為、これでようやく心置きなくヨハンとの逢瀬を楽しめるぞ、ということか。
ヴォルグの謝罪が、余程好感度があったのか。
「隊長、というのは?」
ヴォルグが尋ねると、シーゼルが頬をぽっと染めて言った。
「僕の恋人」
「……そうか。安心して行ってくれ」
「うん、なんだやっぱりヴォルグっていい奴じゃないのさ」
ヒースはヴォルグの小脇に抱えられながら、頭痛を覚えていた。一番やばい人達同士の協力体勢。これはもう絶対逃げられないやつだ。
「さあヒース、行くぞ」
ヴォルグが、情けなく眉を垂らすヒースに向かって言った。
次話は明日、書けてたら投稿します。
 




