ヴォルグの本音
どうしてヴォルグは、すぐ人の襟首を掴むのか。
「ぐ、ぐるじいいいっ」
「お前が余計なことを言うから……!」
ヴォルグの、一応周りに配慮したと思われる低い声が、耳元で唸った。
ヒースはヴォルグの腕に必死でしがみつくと、ヴォルグはヒースをくっつけたままズルズルと移動する。
「ヒース!?」
シーゼルが剣の柄に手をやると、ヴォルグがふん、と鼻で笑った。
「傷つけはせん、ちょっと話をするだけだ。お前はそこで待っていろ」
「ちょっと、本当だろうね?」
「俺は嘘はつかん」
ヴォルグがそう言うと、シーゼルが目を更に細めた。
「……あとで、ヒースの身体に傷がついてないか丁寧に確認するから。ついてたら、容赦しないよ」
「ふん、馬鹿にするな」
そして、ヒースを半眼で見下ろしつつ、言った。
「という訳だ、来い」
「ぐえええっ」
これは絶対ボコボコにされるやつだ、とヒースは精一杯抗ったが、無駄だった。足で蹴っても、自分が跳ね上がるだけ。ジロリと恐ろしい形相で睨まれ、ヒースは抵抗をやめた。もう、こうなったら話を聞いてやるしかないだろう。ヴォルグに果たして話をする気があるのかは謎だったが。
ヒースが大人しくなったのを見て、ヴォルグが襟元の力を緩めた。
「外で話すぞ。俺と話したいんだろう?」
ヒースはゴホッと咳をすると、涙目になっていた自分の目を拭った。今、このタイミングで話をすると言っているのか? いや、状況からして絶対におかしい。だけど逃げられないし、シーゼルに助けを求めたら確実に流血騒ぎになって取り返しがつかなくなる。ヒースは無言でこくこくと頷いた。
外へと出ると、一気に空気が変わった。ヴォルグは辺りを見回すと、
「吐くな」
とひと言述べた後、ヒースの脇を掴んでいきなり飛んだ。
「ゔっ」
さっきようやく治まったばかりの吐き気が、すぐさま戻ってきた。ヒースが慌てて口を手で覆うと、ヴォルグが実に嫌そうな顔をする。この人は、無理ばっかり言う。勘弁して欲しかった。
トントン、と崖の上に到達すると、ヴォルグがヒースを地面に降ろした。ああ、また胃がひくひく言っている。もう嫌だ、この吐き気。ヒースは冷たい地面に寝転び、時折オエ、と言いながら息を整えた。
「全く……お前を見てると怒りも萎む」
ヴォルグはそう言うと、ヒースから少し離れたところに足を伸ばして座った。
「……あれは、俺の所為じゃない」
「半分はお前の所為だ」
滅茶苦茶な言い分だ。さすがにこれにはヒースも腹が立って、芋虫の様に身体をくねらせて回転させつつヴォルグに顔を向けた。
「……なんだ、その顔は」
「ヴォルグは、ちょっと勝手過ぎる」
「殺されたいか?」
「シーゼルに、俺のことを傷つけないって言ってただろ。族長候補が平気で嘘ついていいのか?」
ヒースが口を尖らせながら抗議すると、ヴォルグの腕が一瞬獣化し、すぐに戻った。まあわかり易い人だ。ヒースは内心呆れながら、ヴォルグの顔をじっと見つめた。ヴォルグは、ヒースに横顔を見せている。時折こちらをちら、と見る、何ともいえない表情。これまでとは打って変わって、随分と情けない表情だ。もしかしたら、こちらが素のヴォルグなのかもな、とふと思った。
ヴォルグが、実に言いにくそうに、ぼそりと聞いた。
「……お前は、どうして気付いた?」
「カイネから聞いた」
ヒースが即答すると、ヴォルグが頬を手で覆った。
「やっぱりな……カイネにはさすがに分かるか」
「ミスラもティアンも分かってない方が俺には驚きだったよ」
「お前な……」
ヴォルグが、手の隙間からハアアア、と大きな溜息を吐いた。まさか、あれだけやっていて、カイネ本人に気持ちがばれていないと思っていたのか? ヒースはヴォルグのその考えに驚愕を覚えた。
「レイスの件は、カイネの判断だから。だから俺に怒られても困るし、人命救助でしょ? 怒っちゃまずいんじゃないのか?」
ヒースがそう言うと、ヴォルグの下唇が尖るのが見えた。
「だからお前を口実に外に逃げたんだ。他の奴らは、俺がまさかカイネを……だなんて思ってないだろうし、あのままだと俺は怒りを抑えられなくなりそうだったからな……」
まあ、双子のミスラだって分かってないのだから、他の獣人も分かってない可能性は高いのだろう。
ようやく胃が落ち着いてきたヒースだったが、起き上がる必要を感じなかったので、自分の腕枕でその場でごろごろし続けることにした。
「……ねえヴォルグ」
「なんだ」
「どうしても竜人族と戦わないといけないのか?」
「……お前には関係のないことだ」
ヴォルグが、ハンと同じ様なことを言った。言い方は大分違うが。
「本当に、本当に、ティアンやカイネに言ったのが本当の目的なのか?」
「……どういう意味だ」
「だって、アイネが自分で竜人族の男とここを出て行ったって、ヴォルグは許嫁なんだから知ってるんだろ?」
「……」
ヴォルグは黙り込んでしまった。やはり知っているのだ。
「……見ていた、他の奴らからは、慰めるつもりなのか、そう聞いた」
ひと言ひと言、確かめる様に、区切って言う。
「じゃあ戦う理由がないことも、本当は分かってるんだよね?」
ヴォルグがそっぽを向いてしまったので、ヒースはよっこらせと起き上がって、這いずってヴォルグの顔が見える位置まで移動した。
「何か、目的があるんじゃないのか?」
「どうして……お前はそう見てきたかの様なことを言うんだ」
カイネと同じ様なことを言われた。多分それは、獣人族がよく言えば素直、悪く言えば単純だからだ。だから、そんなことは口が裂けても言えない。
「俺、ヴォルグにお願いしたいことがあるんだ」
そして、ここからがいよいよ交渉の始まりだ。思ったよりもヴォルグがしゅんとしているので、何とかここまで辿り着くことが出来た。あとは、持って行き方だ。
「俺の師匠が、妖精族の女の人をこっちに連れてきて、結婚したいんだ」
「は?」
ヴォルグの眉が、見たこともない角度に歪んだ。
「お前が何を言い出したのか、さっぱり分からん」
ちょっと焦りすぎたらしい。ヒースはヴォルグの足の横に膝を寄せて座ると、ヴォルグに説明をすることにした。
奴隷だったこと。そこから偶然逃げ出せて、鍛冶屋のジオに弟子入りしたこと。そのジオには妖精族の恋人がいて、こちらに連れてきて一緒になりたいこと。ジオの家の近くの妖精の泉は閉じてしまって、そこから一番近い妖精界の接点がこの集落にあること。ヴォルグがザハリを拐ってきた為に、人間が結束して取り戻さんとこちらに向かっていること。だけど、皆が皆、戦いたい訳じゃないこと。
ヒースが話す間、ヴォルグは何も言わず、時折頷いたり首を傾げたりするだけで、最後まで静かに聞いていた。
「だけど、肝心のザハリはミスラと結婚する気だから、多分もうここを離れたくないんじゃないかと思うんだよね」
「ミスラと、け、結婚!?」
「うん。気付かなかった?」
「おお……ミスラが結婚……」
ヴォルグの顔に、なんと笑みが浮かんでいる。あれ、ミスラのことはどうでもいい訳ではなかったらしい。
「ヴォルグ、嬉しいの?」
すると、ヴォルグが若干頬を紅潮させつつ頷いた。
「当然だろう。一向にいい相手が現れず、完全にいき遅れだったからな、俺も随分と心配をしていたんだ」
自分が原因だとは思ってもいないらしい。成程、ここにも誤解がひとつ。
「そうか、そうか……」
噛みしめる様に頷くと、ヴォルグがヒースを見て尋ねた。
「それで、お前の願いとは何なんだ?」
本題がきた。ヒースは、居住まいを正した。
次回は明日、書けたら投稿します!




