もう無理だから
ヒースは、ハンとニアにこれまでの状況を語った。
獣人族は、人間が思っている程こちらのことを敵対視していないこと。というか、そもそも相手にしていない。彼らの価値観は強さにあり、自分達の方が圧倒的に強いと思っている彼らにとって、人間はどうとでもなる相手に過ぎないのだ。
例外的に、例えばシーゼルの様な剣技や、ザハリの炎の魔法などといった突出した強さを持つ相手には、人間だからといって馬鹿にしたりはせず、強者として扱う。トップに近いヴォルグがそういった反応を示したということは、この推測はあながち間違っていないであろうということも伝えた。
自分より弱い者は自分の所有という認識が強く、手を出した者には容赦しない。言うならば、矜持の塊か。縄張り意識という意味合いも強いのかもしれない。
竜人族への攻撃については、まだ話す余地がありそうなことも言った。上に立つ二人を説得すれば、何とかなるのではと、ヒースはまだ希望を捨てていなかったからだ。
すると、ハンが片眉を上げつつ、苦笑いした。
「ヒースは、まるで獣人族も味方みたいな考えなんだな」
「え? どういうこと?」
ヒースには、ハンの言葉の意味が分からなかった。はは、とハンが笑うとヒースの肩をぽんと叩いた。
「本当、そういうところがヒースらしいよ」
「え? ごめん本当に意味分かんない」
ヒースは首を傾げた。何故笑われているのかも、さっぱりだった。すると、ハンが噛み砕く様に話し始めた。
「ヒース、今ヒースはな、獣人族が竜人族のところに攻め込むことを止めようとしているんだよな?」
「? うん、そうだよ」
「それって、人間には関係あるか?」
ハンのその言葉に、ヒースは詰まる。
「え……」
すると、ハンがあはは、と笑った。相手を馬鹿にするような笑いではなく、仕方ないなあ、といった風な柔らかい笑いだ。ハンには、いつも暖かさがあるから。
「いいんだよヒース。お前はそれでいいと俺は思う」
「……だって、聞いていたよりも全然いい人達だから」
「うん、ヒースがそう思ったならそれでいい」
ハンはにこにこして頷くが、確かに言われてみれば、妖精界との接点に用があるヒース達にとって、接点に無事に辿り着いてシオンをこちらに連れてくることと、拐われた鍛冶屋のザハリの救出が済んでしまえば、あとは獣人族達がどうなろうが本来は関係がないのだ。
だけど。
「ハン、もう無理だよ」
「無理?」
ヒースは真剣な顔で頷いた。
「だって、カイネだってもう俺の友達だ。俺と友達になれたことを、心から喜んでくれてる。ザハリだって、始めは拐われてきたのは確かだけど、すっかりあそこに馴染んで、それに獣人族の女の人と結婚する気になってる」
「へ!? ザハリが!?」
ハンの声が裏返った。ヒースはこくりと頷く。
「その女の人はミスラっていうんだけどね、すごくいい人なんだ。ご飯だって、人間の口に合う様にって色々研究して作ってくれたりしてるんだ」
「ヒース……」
今言わないと、取り返しのつかないことになるのではという不安感がヒースに押し寄せていた。ヨハン隊は、聞いていたよりはヨハンの抑止力が働いているから勝手に獣人族の集落を襲ったりはないが、それだっていつまで保つかは分からない。万が一ヨハンが許可を出してしまったら、族長一族とその周りにいるミスラだって危ない。来る時に見かけた、あの獣人の子供達だって、皆。
人間は獣人族よりも確かに弱いかもしれない、だけど多分獣人族にはないずる賢さがある。そして、何よりも魔族に対する恨みがある。魔族ひとりを倒すのに、自分の命をかけてしまう怖さが。
「だから駄目だよ、絶対争っちゃ駄目だ」
ヒースはハンを見つめた。分かってほしい。きっとハンなら分かってくれる、そう願いながら。
「あの人達は、ヨハン隊やナスコの班にいる人達の仇じゃないよ」
「ヒース……それが、伝わればいいんだが」
ハンの歯切れは悪い。ヒースには、それが信じられなかった。
「ハンが! ハンがそういった未来を望んでるって言ったじゃないか!」
ヒースは思わず声を上げた。ハンの瞳が揺らぐ。カイネとカイラがこちらに注目したのが分かった。
「俺に話したことを、何で言わないんだよ! ナスコの班の人達には、話し合いをしたいって言ったじゃないか! なんでヨハン隊の人達にはそれを言っちゃいけないんだよ!」
「言ったさ!!」
ハンが怒鳴り返した。何故か泣きそうな目をしながら。
「言ったんだよ、もう何度も何度も伝えたんだよ! でも笑われただけだった!」
「笑われた? どうして」
「あいつらにとっては、魔族は全員敵なんだよ! そう思わないと生きてこられなかった! そう割り切らないと殺されたから!」
ヒースは愕然とした。ヒースにも、ハンの言っている意味が分かったからだ。
「生きる為に恨んだ……魔族を滅ぼすことが、あいつらの生きる目的になっちまってるんだよ……!」
もう、家族も恋人もいなくなった。皆、魔族によって奪われてしまった。平和だった生活も、家も、何もかも全て。だから、生きがいは魔族を滅ぼすことだけ。
「皆が皆、ヒースみたいに割り切れる訳じゃないんだ」
奴隷時代、男達には未来がなかった。だけど死ぬ勇気もなければ、魔族に逆らう力もなかった。そういった者だけがあの場に集められていたからだ。特技もなく、魔力もなく、労働力を提供する代わりに最低限の衣食住を確保する。その中での唯一の楽しみが、ひと言で表すならば性欲の発散だったのだろう。逆に、それが許されていなければ、さすがに暴動が起きていたのではないか。
あの閉じられた環境でジェフの庇護下で生き抜いてきたヒースは、外の世界に出ただけで自由だと思えた。奴隷時代に、魔族とは会話を交わすことだって勿論あったから、奴らがただの乱暴な為政者な訳じゃなく、魔族の中には圧を受けている種族がいることも、奴らが決して楽しんで人を殺していた訳でもないことをヒースは感覚で理解していた。多分、あの場で生活していた人間なら、大なり小なりそういった感想は持つに違いない、とヒースは思っている。
だが、始めからずっと外にいた人間は、きっと知らないのだ。彼らもまた家族がいて、自分達の意思でないところで命令されて人間を襲った魔族だっていることを。それこそ、ティアンの様に。
シーゼルだって平気で魔族は殺すが、あの人は駄目だと判断したら種族に関係なく人間だって殺す。反対に、問題ないと思ったら、相手が竜人だって生かしたままにしている。何故か。
あの人も、ずっと捉えられていた側の人間だからだ。だから知っている。種族だけが憎む対象ではないことを。憎むべき対象を、シーゼルは身を持って理解しているから。
「殺したら、今度はあの集落の獣人達が人間を殺すよ」
あの見かけた獣人の男の子と女の子も、きっと人間全てを恨む様になってしまう。それは嫌だった。子供の未来を、選択肢を、大人が奪ってどうする。
ヒースみたいな経験をする子供は、もうヒースで最後でいい。
「ティアンとヴォルグを、説得する」
「ティアン? ヴォルグ?」
「族長と、その跡目候補だよ」
「……え!?」
他に方法はない。話し合いの場に引っ張り出すしか、もうきっと手はない。
ヒースは、ハンに言った。
「だから、それまでにちゃんとハンも話をしてよ」
「ヒース……」
「一回で分かってくれなかったら、何度でも言ってよ。俺も頑張るから」
すると、カイネがヒースの元へとやって来た。
「僕も一緒にやるから」
カイネとヒースに見つめられたハンは、――やがて静かに頷いたのだった。
次話、明日投稿目指して頑張ります!




