慣れないことをしてみる
ヒースがヴォルグと二人きりで話をしたいとミスラに言うと、快諾してくれるだろうというヒースの予想はあっさりと覆された。
それまで取り立てて機嫌も悪くなさそうだったミスラの表情が、みるみる内に曇ってしまったのだ。
「うーん……やめた方がいいよ」
「え? どうして?」
「多分、ヒースはあまり好かれていないから」
ミスラが困った様に笑った。
「ええ……」
ヒースは思わず考え込んでしまった。
今回の騒動で全ての鍵を握っているのは、ヴォルグだ。ヒースはそう確信していた。だから、ヴォルグの本意と隠された想いがあるのならそれがどういったものなのかを知る必要がある。竜人族と正面から戦わずとも、後続のヨハンやナスコ達とも戦わずに済む方法を何とか見つけたかったから。
竜人族に攻撃を仕掛けるには、まだ日数がかかる。現時点で、どれ位の蒼鉱石の剣がすでに出来上がりあとどれ位必要なのかは、ザハリに聞くしかない。そこからあとどれ程日数がかかるのかを逆算出来るが、蒼鉱石の剣でなくともいいとヴォルグが判断してしまえば、出発の時期が早まってしまう。
ヴォルグは、本当に竜人族との戦いを望んでいるのだろうか。
昨夜、我を失い風呂場へと乱入してきたヴォルグの中にあるのは、ただひたすらにカイネに対する嫉妬だった。だが、それが勘違いだったと分かると、カイネからの叱責のお陰もあったのだろうが、ヴォルグは意外にもあっさりと冷静さを取り戻した。
それまでこの一族の頂点に立つティアンの激情をこの身で体感したヒースは、獣人族の男は激高しやすいということを学んだ。だが、考えてみればティアンも周りに宥められて比較的すぐに、腹立たしい表情は隠そうともしなかったが冷静さを取り戻していた。
そこから推測されるのは、上に立つ獣人族の傾向だ。他の獣人族を知らないのでこれはあくまで予測だが、激高した後にすぐに冷静さを取り戻せる器がある者が上に立てるのではないか。
つまり、ヴォルグは冷静に物事を考えることが出来るのでは。
ヴォルグがティアンやカイネに語った理由と目的は、本当にヴォルグの真意なのか。昨夜のヴォルグの様子を後で冷静に思い返した時、そこに疑問を覚えたのだ。
「俺が嫌われてるって、なんで?」
「ん? 多分、カイネと友人になりたいってずっと思ってるあいつからしてみたら、後から来たヒースがあっさりカイネと仲良くしてるのが面白くないんだろうね」
ミスラから見ても、ヴォルグがカイネに執着しているのは一目瞭然の様だ。ただ、ティアンと同様、そこにあるのは男同士の友情だけだと思っているらしい。
ヒースは食い下がることにした。次にいつミスラと二人きりになれるかも分からないのに、みすみすこの機会を失う訳にはいかない。
「お願いミスラ! そうしたら、ミスラも一緒に話を聞いてていいから!」
ヒースはミスラの手を取ると、懇願する様にじっと見つめた。すると、ミスラがほんわかした笑顔に変わる。
「か、可愛くお願いされると、私は弱いんだよね……」
ボソリと呟いた。正直チョロいと思ってしまったが、そこは勿論おくびにも出さない。出したら任務は失敗する。だから、ヒースは精一杯上目遣いで得意でない甘える声を出してみることにした。
他に人がいなくてよかった。心から思った。
「ねえミスラ。俺、カイネもミスラも、皆に怪我なんてしてほしくないんだ! だから、何とかヴォルグと話がしたいんだよ、お願いだよ」
「う……うう、そんなキラキラした目で言わないでおくれよ……っ」
ミスラは目を逸らそうとしたが、やはり年下は可愛いのか、顔は横に向きながらも頬をピンク色に染め口元をにやつかせている。もうひと押しだ。
ヒースはミスラの手を少し持ち上げて引き寄せると、出来得る限り心細そうな声色を出した。
「俺、ミスラの美味しいご飯をこれからも食べたいよ……」
「はううっっ」
ミスラが、顔面を思い切り笑みで歪ませた。
「ひ、ヒースってば……っも、もう、仕方ないな!」
ミスラ、陥落。だけどダメ押しのもう一回だ。
「ありがとう、ミスラ!」
普段は殆ど笑わない所為で上がりにくい口角を思い切り上げて、ヒースは今自分に出来る最大級の笑顔をミスラに見せた。
「おっお姉さんに任せておきなさい! 後で会った時に、ヴォルグに言っておいてやるから!」
「本当!? ありがとうミスラ!」
頑張れヒース。ヒースは心の中で自分を鼓舞した。段々頬の筋肉が引き攣れてきたが、ここは我慢だ。
「じゃあ、ヴォルグと会える時間とかが分かったら、誰にも知られない様にこっそり教えてね」
ヒースがそう言うと、ミスラはうんうんと笑顔で頷いた。
「分かったよヒース。カイネにもザハリにも、それとあの銀髪の男にも言っちゃ駄目なんだろ?」
「うん。ザハリは反対しないかもしれないけど、どこから漏れるか分からないから絶対秘密ね」
「分かった分かった、私に任せときな」
「ミスラ、頼りになるね」
「うへっへへへっヒースってば可愛いこと言うんだから……」
ミスラはでろでろだ。もうこれ以上引き伸ばすと、ミスラの表情筋が緩みすぎて崩れ落ちてしまうかもしれない。そう思ったヒースは、ぱっとミスラの手を離すと、並べられていた料理の方に駆け寄った。
「ミスラ、これはもう運んでもいい?」
「ああ、頼むよヒース」
「うん」
昨日と似た形状の大皿に盛られた巻かれた料理を両手に持ち、ヒースは炊事場の外へと向かった。通路を抜けて広間に出ると、そこには息も絶え絶えのカイネが床にうつ伏せで寝転がっているのが見えた。それを、食事をする一段上がった場所に腰掛けて膝を組んでシーゼルが冷たい目で眺めている。
何となくどういう状況かは予測がついたが、これは触れない方がいいのだろうか。
ヒースが無言でカイネの横を通り過ぎて皿を敷物の上によっこらせと置くと、何だか視線を感じる。そうっと振り返ってみると、床に突っ伏していたカイネが、死んだ様な目をしてヒースを見つめていた。
ヒースはごくりと唾を呑み込んだ。
「ヒースには分かるまい……」
そしてボソボソと突然語り出した。
「髪を切っただけで親に足に縋りつかられ涙混じりにどうしてだと繰り返し問い質される僕の気持ちは……」
「まあ親はもういないしね」
ちょっと面倒だったので、ヒースはさらっと流すことにした。すると、カイネが「あ」という顔になってしまった。慌てて起き上がると、ぺこりと頭を下げた。
「す、済まないヒース。そういうつもりじゃ」
「別に嫌味とかで言ってる訳じゃないし、何とも思ってないよ。ただ事実を言っただけだから」
もし生きていたら父親には会ってみたかったが、あの出血量ではまあ助からないだろう。母親は病気や事故で亡くなっていない限りは恐らく魔族の国のどこかで生きているだろうが、如何せん顔を覚えていないので、すれ違ったところで分からないだろうし、きっと向こうもヒースに声を掛けようなどとは思わないだろう。
だけど今は、ジオやハンにニア、それに最近ではシーゼルにカイネだっているから。
「ヒース……」
それでもカイネはまだしょんぼりとしている。やっぱり獣人は素直だな、とつい笑みが溢れた。
「カイネ、一緒に運ぶのを手伝ってよ」
「あ、ああ! 勿論だ!」
ヒースがカイネを誘うと、ぱっと笑顔に戻ったカイネが嬉しそうに駆け寄って来たのだった。
次回は明日、書けたら投稿します。
 




