獣人族の集落二日目の朝
何だかふわふわした興奮状態でカイネの家に帰ったヒースは、カイネに部屋の奥の一角に案内された。少し前に寝た時に使った様な大きな座布団が積まれており、毛布が畳んで置いてある。これはミスラが用意してくれたのだろうか? 風呂に行く前にはなかった筈だ。
そしてザハリはいない。カイネ曰く、こういう時は大抵ティアンの所へ行き酒を酌み交わしているそうだ。
「ヒースはここに寝てくれ。シーゼルは……」
カイネがヒースの隣を差そうとすると、シーゼルはすぐさま首を横に振った。
「僕は入り口の方」
そしてヒースの寝床の隣に積んであった毛布をひとつ持つと、入り口付近の壁に背中を預けて座ってしまった。
「シーゼル、横にならなくて大丈夫?」
座ったまま寝たら、疲れが取れないんじゃないか。シーゼルだって今日は移動にヴォルグとの戦闘に、そうだそれに肩に傷も負っている。
ヒースが余程心配そうな顔をしていたのか、シーゼルの眉尻が優しく下がり、柔和な笑顔をヒースに惜しげもなく見せた。
「僕は大丈夫。どんな体勢でも寝られるし、ゆっくり横になることなんて滅多にないから」
ヒースは、何も言えなかった。ヒースの奴隷生活は、確かに行動の自由などはなかった。だけど、余程変なことをしない限り命を取られることはなかった。夜だって基本外でごろ寝だったけど、暖かい毛皮は用意されていた。
だけどシーゼルは、ずっと死と隣り合わせの生活を送ってきたのだ。それこそ、横になって休むことも出来ない位の生活を。
「ほら、寝ちゃいなよ」
シーゼルはそう言うと、鞘ごと剣を縦に大事そうに抱え、柄に手を当てて縮こまった。
「……うん、おやすみ」
シーゼルに何を言ったところで無駄だろう。シーゼルが心から安全で安心だと思えない限りは、ぐっすりと寝ることなど出来やしないのではないか。
それを思うと涙が出そうになり、ヒースはそんな顔を隠す為に急いで横になると毛布で顔を隠した。
隣でニアが笑い、カイネが自由で、シーゼルが安心して寝られる様な世界が欲しい。
心から願った。
◇
ツンツン、と頬を突く爪があった。この触り方はシーゼルだろう。
「ヒース、朝だよ」
やっぱりシーゼルだった。ヒースが頑張って目を開けると、思ったよりもすぐ近くにシーゼルの顔があった。やけににこにことしているが、寝ている間に何もされていないだろうか。
「ヒースって本当によく寝るよね」
しゃがんで手に顎をついている。どれ位そうして寝顔を眺めていたんだろうか。ヒースがのっそりと起き上がると、シーゼルがくす、と笑った。
「ほっぺに寝跡が付いてるよ。可愛い」
そう言うと、ヒースの頬をしなやかな指ですっと撫でていった。思わずぞく、としてしまったのは内緒だ。本当に顔に出ない質でよかった、とヒースは思った。
「カイネは?」
辺りを見渡すと、カイネが寝ていた場所はきちんと整えられておりカイネがいない。少し離れたところでは、ザハリが仰向けになってくかー、くかー、と気持ちの良さそうな寝息を立てていた。
「朝のご挨拶だって。自分の父親に、わざわざ挨拶をしに伺うんだってさ。お坊ちゃんはやっぱり違うよねえ」
ふふ、と笑いながらシーゼルが立ち上がった瞬間。
「おおおおおおおおおお!!」
という叫び声が鳴り響いた。シーゼルはさっとヒースを背中に庇い、辺りを警戒する。ヒースは何事かと思い耳を澄ませていると、次の声が聞こえてきた。
「カイネ!! なんで! なんで切ってしまったんだああああ!!」
外と繋がっている窓の上の方からと家の上階の方からと、両方向から響き渡ってきたその声は、ティアンのものだった。あまりにも悲痛なその叫び声に思わず同情してしまいそうになるが、その内容はあまりにもくだらない。そしてシーゼルもそれに気が付いたのだろう、警戒していた身体からふっと力が抜けた。
そして、焦った様なカイネの叫び声も聞こえてきた。
「父さん! 落ち着いて下さい!」
「髪の毛! あのアイリーンみたいな髪の毛はどこに行ってしまったんだあああ!」
「父さん! しがみつかないで下さいいいいっ!!」
何やら大変なことになっているらしいが、これはあの親子が解決すべき問題だ。下手にヒース達が口を挟んだところで、拗れるだけだろう。ヒースは自分をそうやって納得させると、シーゼルに言った。
「朝ごはん何かな?」
「僕、ヒースのそういうところ好きだよ」
シーゼルはそう言って微笑むと、ひょいとザハリを跨いで先に部屋を出た。そして、階段まで来るとヒースが来るのを待った。勿論剣の柄には手を添えている。上から錯乱したティアンの攻撃がないかを警戒しているのだろうか。
「ヒースは先に下へ」
やはりそうだ。ヒースは言われるがままに先に階下へと向かうことにした。逆らっても何の得もないし、固辞する理由もない。
一階へと出ると、美味しそうな香りが漂っていた。席は昨日の食事の時と同じ様に整えられていたが、ミスラの姿はない。
ヒースはちらりとシーゼルを見た。
「シーゼル、俺、ミスラを手伝ってくるから、席に座って待っててよ」
すると、シーゼルは片眉だけ上げて階段の横の壁にもたれかかった。
「うん? 僕はここにいるよ。ちょっとあのティアンって人何するか分からなさそうだし」
確かにティアンの行動は全く読めない。かなりの激しい動揺の最中にいる今、ここも完全に安全といえないのは確かだった。そして、それが逆にヒースには助かった。
「じゃあいってくる」
「うん」
ヒースは一階を先に進み、炊事場へと続く通路をそっと覗き込んでみた。中は折れ曲がっており先までは見通せないが、ミスラの歌う柔らかい声が聞こえるから、ミスラはどうやら中にいるらしい。
「ミスラ、入るよ」
一応声をかけてから、ヒースは一歩中に踏み入った。岩を掘り進めた様な通路を進んで湾曲した先を折れると、そこには使い勝手の良さそうな広々とした炊事場があった。竈があり、洗い場があり、そして奥の方は外へと繋がっている勝手口の様な扉まである。一体この岸壁の中はどうなっているんだろうか。上の方には換気口も付けられ、そこから外の青い空がちらっと見えた。
明かりは松明で、水は汲取式になっている。集まりがある際にそこに料理を準備しておくのか、ヒース側には平らな台があった。美味しそうな香りは、そこにある汁が入った鍋から漂っている。ヒースの腹が、ぐうう、と鳴った。
先程のヒースの声が聞こえていなかったのか、ミスラは歌を歌い続けながら肉をジュージューと焼いている。それもそれでかなり美味しそうだ。
「ミスラ?」
ヒースが再度声をかけると、ミスラがびくっとして振り返った。それがヒースだと分かると、安心した様に笑う。一体誰だと思ったんだろうと思い、ザハリ以外にあり得ないじゃないかと即座に思った。そういえば、昨夜はあの後どうなったんだろうか。
「あ、こら! 子供でも男はここに入ってきちゃ駄目だよ!」
そう言って、め! とヒースに人差し指を差してちょっと怒った顔を作るミスラ。ヒースから見たらミスラは年上のお姉さんでニアという惚れた子がいる以上はヒースにとっては対象外だが、この仕草は正直可愛いと思ってしまった。
「誰もいない内に、ちょっとミスラにお願いしたいことがあって」
「え? お願い? 何か希望の料理でもあるのかい?」
キョトンとするミスラに一歩近付くと、ヒースは背後に誰もいないことを確認しつつ、小声で話しかけた。
「他の人にばれない様に、ヴォルグと二人きりで話がしたいんだ」
「え? ヴォルグと?」
ミスラの表情が、曇った。
次回は明日、描けたら投稿します。




