カイネの想い
そこは、開けた盆地になっていた。
ぐるりと円形に囲むそびえる赤壁と、床一面にびっしりと咲いた背の低い白い花。花の形は細長く、それが天へと向いていた。盆地の中心部に向かって傾斜しており、その中心にあるあれは何だろうか。月明かりを反射して、キラキラと小さく輝いている。
カイネが右手にある階段を指差した。
「あそこから降りることが出来る」
カイネが階段を降り始めたので、ヒースもその後を付いていった。シーゼルは背後の気配を探っているのか、下に降りて行く様子は見受けられなかった。まあ妖精界との接点は、シーゼルには正直関わりのない話だ。興味が沸かなくとも仕方がないのだろう。
幅の広い高さが低い階段を下って行くと、暫くして広場の中心に辿り着いた。花がぐるりと囲む中心にあったのは。
「蒼鉱石……?」
「そうだ」
青みを帯びた金属の円盤がそこには置かれていた。大きさは、ヒースが両手両足を広げて寝転がってピッタリ位だろうか。ヒースは円盤の端にしゃがみ込むと、そっと円盤に触れてみた。銀色の中に青みがかった、綺麗な表面。凹凸などどこにもない。まるで風のない水面の様だ。
「これは……誰が」
ヒースはこれを作るのが如何に大変な作業なのか、たった一日蒼鉱石に触れただけだが想像がついた。とんでもない労力と技術が必要になる。時間だって相当掛かっただろう。何ヶ月では済まない程に。
カイネにその大変さが理解出来たかは不明だが、カイネは神妙な面持ちで答えてくれた。
「この接点は、昔からここに設置されていると聞いた」
「じゃあ、誰が作ったかは分からないんだ」
相当な腕の持ち主なことは、この表面を見て分かった。凄いな、素直にそう思ってどきどきしてしまい、表面を指の腹で何度も撫でた。そして、初めて自覚した。ああ、自分は鍛冶屋の仕事が好きなのだと。
奴隷から解放されてジオの家に転がり込んだ時は、ジオがやっているから単純にジオと一緒にいたくて鍛冶屋になることを選んだ。だけど今は、作られた作品を見て素晴らしいと思える様になった。そしてわくわくする。どれだけ修行を積んだらこんな凄いものが出来上がるんだと。
「ヒース?」
カイネが怪訝そうな顔でいつまでもしゃがんだままのヒースを見下ろす。
カイネには、ヒースのこの興奮は分からないだろう。ヒースは苦笑すると、立ち上がってカイネの隣に並んだ。
空の中心には、まだ欠けている月が浮かんでいる。じっと足元の花を見続けていると、それが仄かに発光していることに気が付いた。ああやって光を蓄えているのだろう。
夜風が風呂上がりの身体には心地よくて、ヒースは暫し無言でその場に佇んでいた。
すると、カイネがポツリと話し始めた。
「ここに妖精族の接点が元々あったのか、それともこの円盤を設置することで接点を新たに作ったのかは分からない」
「そっか、何も伝わってないんだ?」
カイネはこくりと頷く。切りたての肩の上で揃った髪が、風になびいた。
「この土地は、元々は人間が住んでいたんじゃないかと父さんが言っていたことがある」
「あ……そうか、場所が場所だもんね」
「そうだ。僕達魔族が住むには、人間族の街に近過ぎている。だからずっと不思議に思っていたんだ」
この深い渓谷を北に抜けると、そこには砂漠が広がっているとハンが教えてくれた。実際、ヨハン隊と合流する際には空から砂漠の一部が見えている。その砂漠をぐるっと右回りに回っていくと、その先には魔族の国がある、らしい。
魔族の国の広さも知らなければ人口がどれくらいかも知らないが、作業現場にはとっかえひっかえ魔族達がやって来ては交代していったりしていたから、それなりに普通に栄えているのだろうな、とは思う。
そう、この集落は、魔族が住むには西ダルタン連立王国に明らかに近過ぎていると同時に、魔族の国からは離れ過ぎているのだ。砂漠の中に魔族の国があるとはハンも言っていなかったから、多分間違いはない筈だ。
ヒースはハッとした。
「そうか、だからここに接点があるのか……!」
カイネは真剣な面持ちで頷いてみせた。
「魔族にとって妖精族は相反する存在で交わうことはないからな、こんなご丁寧にわざわざ蒼鉱石で円盤を作る程の関係がある筈がないんだ」
言われてみれば確かにそうだ。そのことからも、ここが元は人間の居住区域だったという説には説得力がある。
「僕達一族がいつからここに住んでいるのかは、父さんに聞いてもあやふやで分からなかった。伝承にも残っていないけど、でも僕はこう思うんだ」
カイネの瞳に月が映り込んで、赤い瞳が一瞬橙色に染まった様に見えた。
「きっと、魔族と人間が共存していた土地だったんじゃないかって。人間がいなくなった理由は分からないけど、だから僕達はずっとここにいて、彼らが帰ってくるのを待ってるんじゃないかって」
カイネが月光を鈍く反射する円盤を見下ろした。
「だから僕達一族は、彼らが残したこの場所を理由も分からず言い伝えの通りに守り続けているんじゃないかと」
「言い伝え?」
ヒースが聞き返すと、カイネが小さく笑った。
「そう、言い伝えが僕の一族にはあるんだ。この接点は何があろうと荒らしてはならない。ここは最後に残される橋だからと」
「橋……?」
一体どういう意味だろうか? 水も流れていないのに、橋?
「言い伝えはたったそれだけだから、僕もその内容についてまでは分からない。だけど、僕は子供の頃にそれを聞いて、何だか誇らしく思えたんだ」
ヒースはカイネをじっと見た。カイネは嬉しそうだ。でもなんでだろう?
ヒースの疑問に気付いたかの様に、カイネが照れくさそうに笑って言った。
「僕は混血だ。そしてヒースは人間だ。でも種族は違えど、僕らは分かり合えたと僕は思っている。だから友人になれたのだと」
「カイネ……」
ずっと友人を望んでいたカイネ。集落の中では、恐らくヴォルグの威圧の所為で誰も寄ってこなかったこれまでの人生。妹がいたから、だからその穴は埋められていたのかもしれない。
それでもカイネは欲していたのだ。友を。
何だか照れくさいが、ヒースのことをそう思ってくれているのを知るのはヒースも嬉しい。時折この人大丈夫だろうかと心配になる時はあったが、それだってヒースがカイネに好意を抱いていなければ思わないことだろうから。
「それはこの場所だったから可能だったんじゃないか。僕がこの集落で生まれ育ったから、だから人間のお前とこうしていられるんじゃないかとそう思ったら、僕はここにいることが誇らしく思えたんだ」
はは、とカイネが頭を掻いた。そして顔を上げると、清々しい表情になって大きく伸びをした。
「ザハリが言っていたんだ。世界はここだけじゃないと」
「……うん」
ヒースもそう思う。狭かったヒースの世界は、ジェフが背中を押してくれたことで一変した。
「僕の世界は狭い。そのことが、ヒースと会って分かった」
「俺もまだまだ狭いと思うよ」
ヒースなど、大人達に比べたら何も知らない小僧にしか映っていないに違いない。
ヒースがそう言うと、カイネが目を輝かせて言った。
「ではヒース。僕はヒースと一緒に広い世界を体験していきたい!」
ヴォルグが怒り出しそうなことを口にしたカイネだったが。
でも、その考えは悪くないかもしれない。
だからヒースは笑顔になって頷いた。
「いいねそれ」
「だろう?」
今二人は、この先何が起きるかが分からない、あやふやな場所に立っている。
でもそれでも、ワクワクする様な未来を夢見ていたい。
二人は、暫くそのままその場に無言のまま景色を眺めていたのだった。
次回は月曜日に投稿予定です。




