遅れてきた反抗期
シーゼルの背中を洗い終えると、ヒースはさっと自分の前身を洗った。もう多少汚かろうがいい。これ以上自分の身を危険に晒したくはなかった。
この人も、これさえなければいいのに。いや、それ以外にも色々あった。うん、まあ、好かれている内はいい人だ。とりあえず気付かない間にぐさっとやられる心配はない。多分。
カイネがそわそわとして待っている様子が窺えたので、納得いっていない雰囲気のシーゼルには先に湯船に浸かる様にお願いをし、ヒースはカイネを手招きした。
分かってはいたが、カイネの身体は普通に男のものだった。顔があまりにも女顔なので錯覚しかけるが、ヒースのよりも弾力のありそうな筋肉がきちんとついている。一般的に獣人は人間よりも筋肉があるのだろうが、そもそも筋肉の質が人間とは違うのかもしれなかった。人間の筋肉と見た感じはそこまで変わらない様に見えるが、同じ質だとするとあの高さをぴょんぴょん跳躍出来るのはあり得ないからだ。
「友とはいいものだな、ヒース」
カイネはしみじみとそんなことを言っている。余程男同士の付き合いというものに憧れていたらしい。しかしカイネの長い髪の毛が邪魔で非常に洗いにくいが、言った方がいいのか。
とりあえずは軽めに聞いてみることにした。
「カイネは、髪の毛はあえて伸ばしてるの?」
すると、カイネの背中がみるみる丸くなっていく。あらら、変な質問をしてしまったらしい。しかし本当に分かり易い種族だ。
「……これは、父さんが気に入ってて」
すると、湯船のへりに腕を乗せてこちらをじろじろと見ていたシーゼルが、鼻で笑った。温まったからか、それとも他の理由からか、頬が赤く染まっており色気を振り撒いている。
「分かった。母親に似てるからっていうんじゃない?」
すると、カイネが驚いてシーゼルを指差して言った。
「お前、何故分かるんだ!?」
「いや分かるでしょ」
ヒースも重ねる様に言った。それを聞いた時のカイネの表情といったら、さすがに少し可哀想になってきた。どうも獣人族とは、あまり物事を深く考えない傾向にある様だ。よく言えば素直、悪く言えば単純。扇動すれば、簡単に戦争まで発展しそうである。
そして実際に、今正にヴォルグが扇動しているので戦争が始まりそうなことを思い出した。まんまじゃないか。ヒースは愕然とした。
確かにこれは、竜人族の方が上に立つかもしれない。ヒースは奴隷時代に、竜人族にも獣人族にも爬虫類族にも会っている。深い会話にはならなくとも、竜人族が一番理知的な話し方をするのは経験上知っていた。
これは本当に、ヴォルグ達に戦いに行かせたら、一瞬で負けてしまう可能性が高いのではないか。ティアンはそこも分かった上で反対していない様にも見受けられたが、となると一族の中でも弱い方の獣人の扱いというものが気になった。
使い捨てにされているのでは。そんな気がしてきた。
カイネの話では、若かりしティアンは争いを好まず、隠れていたアイリーンと出会い連れ帰ったと聞いている。その話からは、ティアンは大人しい性格の様に思えていたが、もしかしたらこれは何かまだ奥に理由があるんじゃないか、何となくそんな気がしてきた。
ヒースのそんな考えをよそに、カイネはぶつぶつと語り出した。
「父さんがよく似てる、いいなと言えばそれが通る。僕に反対なんて出来る訳がなかったんだ。……今までは」
「遅れてやってきた反抗期だもんねえ」
シーゼルがふふ、と笑ってからかったが、カイネは真面目に頷き返した。シーゼルのこめかみがぴく、としたが、カイネは気付かない。そしてヒースは気付かないふりをした。あえて嫌味を言う人とその嫌味に気付かない天然な人の間に挟まれたくはない。
「僕は今日まで、父さんに逆らっていいなどと考えたことは一度たりとなかった。だけど、ヒースが僕の背中を押してくれたから、だから初めて父さんに僕の本当の意見を言うことが出来たんだ」
カイネは手桶で泡を流すと、すっくと立ち上がって言った。
「ヒース、お前には感謝している」
「あ、うん」
せめて前はもう少し隠して欲しいと思ったが、言う雰囲気でもない様な気がしたので頷き返すに留めた。そして反省した。ジオと二人で暮らしている時に、ヒースは何も考えずに風呂釜の中で立ち上がってジオに注意されたことを思い出したのだ。ジオが、そういうのは堂々と見せるんじゃねえとかなんとか言ってた記憶が薄っすらとある。あの頃は何もかもが新鮮で、常に興奮状態だったのかもしれないな、とヒースは思った。
今ならよく分かる。他の男の局部など、普通は見たくない。
ふとシーゼルを見ると、薄っすらと笑っていた。例外もいるかもしれないけど、と少々考えを改め直した。
「僕は、正直この髪は邪魔だと思っていた」
「じゃあこの機会に切っちゃったら? あ、僕切ってあげようか」
シーゼルがそう言って微笑む。カイネが意外そうな表情でシーゼルに尋ねた。
「そういえばシーゼルは髪はきちっと整えているな。それは自分で斬ってるのか?」
「そうだよ。いいでしょ?」
シーゼルの後ろの髪は首あたりで綺麗に揃えられている。横に垂れる他より少し長い髪がいつも揺れていて、それがシーゼルのきめの細かい肌に陰影を作っていて美しい。男を見て美しいなんて思ったのは、この人が初めてだった。
「では、信用して切ってもらえないか?」
「いいよ。肩ぐらいにしておこうか」
「うん、それでお願いしたい」
「任せて」
シーゼルがやけに乗り気なので、ヒースは不安になってきた。シーゼルと交代で湯船に浸かりながら、蒼鉱石の剣を取りに行くシーゼルに注意を入れることにした。
「シーゼル、変なことにしないでよ」
すると、シーゼルが気分を害した様な顔になってしまった。
「する訳ないでしょ。僕はただ単にこんな長い髪をジョキジョキ切れる機会があるのが楽しみで」
やっぱり怪しさ満載だった。ヒースは小さな溜息をついたが、シーゼルは小さく笑っただけだった。カイネの髪を手に取り、内側から蒼鉱石の刃を当てる。
「いい? いくよ」
「頼む」
カイネは唇を噛み締めていた。関わり合いになりたくないな、とヒースは傍観することにした。というか、昼間まであんなに仲が悪かったのに、やはり獣人はチョロすぎる。シーゼルがぶすっとやったら即死なのにな、とヒースはカイネのチョロさ具合が益々心配になってきた。
ざく、と少し重い音がした。カイネの長い髪が、床にボトッと落ちる。
「結構量あるね。もう少し切りそろえないと……」
シーゼルはそう言った瞬間、カイネの残っていた長い髪に当てた剣先を一気に入り口の方に振り払った。
キン!! と高い金属音が風呂場に響いた。
「シーゼル!? 何!?」
湯気でよく見えない。見えないけど、シーゼルから殺気が立ち昇っているのは見えた気がした。ああこれが殺気だ、この凍りつく様な気配と、あとは怒りの気配がする。
「グアアアアッ!!」
獣化しかけた手がシーゼルの剣に弾かれたのが見えた。辺りに血が飛び散る。シーゼルは軽やかな動きでその人物をこちらに近寄らせない様に次々と切り刻んでいく。その度に、血しぶきがパッと花の様に舞った。
誰だ、一体誰がいるんだ。ヒースは目を凝らした。
「カイネエエエッ!!」
カイネを呼ぶ声が轟音となって風呂場に鳴り響いた。
「ヒース! 後ろに隠れてろ!」
カイネが湯船に浸かっているヒースを背中に庇った。
次回は明日、間に合ったら投稿します!




