獣人族の風呂
カイネに先導され、ヒースとシーゼルは洞穴の家の外に出た。外に人気はなく、岩壁に掛けられた松明があることで辛うじて辺りの状況がぼんやり分かる程度だ。
外気温は低く感じ、肌寒い位だ。カイネが貸し出してくれた服の布は分厚めだったので、防寒の意味合いもあるのだろうとヒースは推測した。
「こっちだ」
カイネについていき赤い岩壁に沿って歩いていくと、壁にぽっかりと穴が開いており、そこからは湯気と思われる白いもやが見えた。ほんのり辺りの空気も温まっている様な気がする。
四角く削り取られた少し小さな入口を潜ると、中は思ったよりも広かった。すのこが敷かれ、服を置く為だろうか、籠がいくつか床に置いてある。天井の上の方に、穴が続いているのが見えた。換気用かもしれない。
カイネは籠を指差すと、ヒース達に説明を始めた。
「ここで服を脱いでいく。洗い場はあっちだ」
カイネが指す奥の方には、白い湯気が立ち昇る風呂があった。ジオの家にある様な樽に入る仕様ではなく、湯が壁の穴からどんどん流れ込んできていて石で組まれた風呂釜に溜まっていきそれがまた流れ出ていくかけ流しになっている様だ。
「石鹸はそこ。あっちに置きっぱなしにすると溶けるから、使い終わったらここに戻すこと」
風呂場の手前にあった小さな箱にある石鹸を指差したカイネは、二人を振り返って聞いた。
「何か質問は?」
すると、シーゼルが聞いた。
「ここは、他の獣人も来るの?」
シーゼルはヒースの護衛としてこの集落に来ている。知りもしない他の獣人が出入りする様な場所なら、警戒は怠らることが出来ないのだろう。
すると、カイネが首を横に振った。
「いや、ここは僕達一家、つまり族長の家族だけが使える場所だ。だから心配しなくていい」
「へえ」
シーゼルはまだ少し疑心暗鬼そうながらも、蒼鉱石の剣を外すことにした様だ。カチャカチャ、と腰に巻かれたベルトを外すと、入り口から一番遠い籠に剣を立てて置いた。
「まあゆっくりしてくれ。ここに無断で入ってくる様な馬鹿は、この集落にはいない。――ヴォルグ以外は」
カイネは思い切り眉間に皺を寄せると、そう言った。一体過去に何があったんだろうか、と気にはなったが、何だか根掘り葉掘り聞き出すのも気が引ける内容になりそうだったので、ヒースはそれについては後回しにして、今は風呂に集中することに決めた。
ヒースが大分すえた匂いがする様になってきた服を脱ぎ始める。身体は毎日拭いたが、拭き方が足りないのかところどころ垢の筋が皮膚の上に浮いている。あの湯船に入ったら、湯船が汚れないかと心配になる量だったが、風呂に入れなかったのだから仕方ないと自分を納得させ、逸る心を抑え切れず急いで洗い場の方へと向かった。
カイネも服を脱いでいるが、明らかに態度がおかしい。背中を向け、こちらに身体の正面を見せない様にしているではないか。
なので、ヒースはカイネに声を掛けた。
「カイネ、何恥ずかしがってるんだよ」
ヒースの言葉に、顔を赤く染めたカイネがばっと振り返った。
「ば、馬鹿を言うな! 僕は別に恥ずかしがってなんかいない! ただあれだ、ばあやや父さんの前以外で裸になるなんてなかったから、その!」
奴隷時代は集団で風呂に入らざるを得なかったヒースにとって、カイネのその言葉は、悪いがいいところのボンボン発言にしか聞こえなかった。
すると、いつの間にか服を脱いで腰に手を当てヒースの後ろに立っていたシーゼルが、小馬鹿にする様に笑った。
「ヒース、放っておきなよ。僕がヒースの背中を流してあげるから」
そしてヒースにはにっこりと優しい笑顔を向ける。この人のこの温度差。何故ここまで自分だけが懐かれてしまったのか、ヒースは本当に謎に思えて仕方がなかった。
シーゼルは、ヒースの裸を上から下までジロジロと眺めつつ、言った。
「いい身体してるね、ヒース。僕、ヒースのその腹斜筋、好みかも」
ヒースは、筋肉を褒めるシーゼルの視線が一瞬自分の股間に注がれたのを見逃さなかった。子供は相手にしないと言っていたから大丈夫だ、多分。きっと。
「そういうシーゼルこそ」
すらりと立つシーゼルの身体は程よい筋肉がついており、細いが弱そうな印象は全くない。腹は二つに割れており、今は蒼鉱石の効果がないという割にはかなりのいい体つきだ。
すると、シーゼルが悩ましげに頬を押さえた。
「僕ね、案外こう見えて筋肉つきやすくって。腰とか、もう少し細い方がいいんだけど」
そしてさりげなくヒースの背中を押して、風呂へと向かう。その近さに、歩くと腰骨同士が触れる時がある。この人、わざとじゃなかろうか。
洗い場は、ごつごつした小石を敷き詰めてある。溢れ出したお湯が、脱衣場まで流れずに小石の隙間に入り込んでいく仕組みになっている様だ。
「さ、ヒース座って座って」
どう考えても浮かれている様にしか聞こえないシーゼルの声で、ヒースは内心少々怯えながらもその場に座り込んだ。何となく股間を見られるのが不安で、膝を抱えて座ってみた。
「さあ流すよ」
シーゼルはそう言うと、手桶にお湯を汲み取り、それをヒースの頭からジャバッと掛けた。湯温はそれ程高くなく、ぬるめだ。
シーゼルはそれを繰り返すと、何と石鹸を泡立ててヒースの頭を洗い始めてしまった。
「えっ? シーゼル、俺自分で洗えるから!」
背中を流すとはこういう意味ではなかった筈だ。すると、シーゼルがうふふ、と笑いながら答えた。
「大丈夫、任せて。僕、男娼時代にお気に入りのお客さんとはよくこうやってやってたから、慣れてるし」
ちょっと待て、とヒースはぎょっとした。やっぱりシーゼルは、ヒースのことを狙っていないだろうか?
不安になった。
「髪の毛、細くて綺麗だね……」
そんなことを言いながら髪を梳く様に洗うシーゼル。いや、勘弁してほしい。シーゼルのことは好きだけど、そういう好きではない。
「はい流すよー」
声かけの前にヒースの頭にお湯をジャバっと掛け始めたシーゼルが、言った。
「あ、香油がある。あれを付けるのかな」
小瓶に入った少し黄色い透明の液体の匂いを嗅ぐと、シーゼルはそれを手に取りヒースの髪に付ける。いや正直気持ちいいのは事実だけれど、ちょっとこの先の展開が怖すぎる。これは早々に逃げる方向で考えるべきだろう。
「次、背中ね」
楽しそうなシーゼルの声がしたと思うと、手ぬぐいで背中を洗い始めた。ゴシゴシされて気持ちいいけど、時折指がお尻に触れるのは嘘だろう、勘弁して欲しい。ヒースは慄いた。
「ほら、今度は前を向いて」
シーゼルが何かを言い始めたので、ヒースは慌てて断りを入れ始める。
「だ、大丈夫だから!」
「えー? 垢とか凄いから綺麗にしてあげるよ」
肩越しに覗き込んできたシーゼルの頬がやや興奮気味に紅潮しているのは、これはきっともう気の所為ではない。お願いだからヒースの身体に興奮を覚えないでもらいたい。
すると、遅れてやってきたカイネが呆れた様に言った。
「前を洗わせるのが人間の背中を流すという意味なのか?」
不可解そうな表情を浮かべている。
「多分、いや違うから!」
「……ちっ余計なことを」
何か舌打ちが聞こえた様な気がしたが、ヒースは聞こえないふりをした。
「シーゼルの背中を流す番だよ! ほら、後ろ向いて!」
「ええー」
「いいから!」
シーゼルから無理やり手ぬぐいを奪い取ると、渋々座り込んだシーゼルの背中をゴシゴシと洗い始めたヒースだった。
次回は書けたら明日投稿します!




