シーゼル恋愛論
ヒースとシーゼルがヴォルグとミスラの関係を考察し終わっても、ザハリとミスラはまだ何かを話し続けていた。カイネは理解しようとしたいのか、聞き耳を立てているがその表情には疑問が溢れていた。つまり、理解出来ていないのだろう。
「……と、いうことだ。分かったかミスラ?」
「分かった様な分からない様な」
「だからな、俺はヴォルグが連れてきただろ?」
「ああ、そうだね」
「だから俺はヴォルグの客人だろ?」
「まあそうなるかね」
「俺は掴まえてきた奴隷じゃねえってことだ。客人で立派な鍛冶屋。愛を育む相手としては問題ないってことだ」
何を言っているんだろう。ヒースは首を傾げたくなったが、もう正直人の色恋には関わり合いになりたくなかった。シーゼルとヨハンの分だけでもうお腹一杯だ。
たまにはシーゼルと同じ位、周りを気にしないで自分の意見を主張してみようか。ヒースはそう思ったが、じゃあどうしたらいいのかが分からない。なのでヒースが困ってカイネを見ると、カイネはヒースの視線に気付いて深く頷いてみせた。
そして、二人に話しかけた。
「ミスラ、この件については族長である父さんに報告をしたいと思う。互いに想い合ってのことならば、母さんという人間を受け入れさせた父さんなら一族の皆もきっと納得すると思う」
「え!? ちょっと待ってくれよカイネ! 私はザハリと番うなんてひと言も!」
ミスラが慌てて言うと、カイネがヒースを指差して続けた。
「ヒースは二人を祝福したいという意志を僕に見せてくれた。だから僕も彼に倣おうと思う」
見せてない。というか、どうでもいい。ヒースは小さく横に首を振った。何度も、何度も。だが、カイネは見ちゃいなかった。
「ミスラ、貴女は僕達兄妹の面倒ばかりで自分の幸せを考えていない。だがもういい加減自分のことを一番に考える時期だと僕は思う!」
力強くカイネが言った。凄くいいことを言っている風に聞こえるが、そもそも多分ミスラはザハリといい感じになりたいなんざ思っちゃいないだろうし、ザハリと結婚したからといってそれが幸せに繋がるとは正直言い難い。だって、この軽さだ。どこか他に別の美人が現れたら、この人は平気でそっちに行ってしまうのではないか。まあ、その女がそうそう他にいなそうという点では安心かもしれないが。
だが、ザハリは虎の威を借る狐の様にここぞとばかりに畳み掛けた。
「ほらミスラ、お前の大事なカイネもお前のことを心配してるんだぜ。ここは是非前向きに検討した方が、カイネの為でもあると俺は思うな!」
でた。この獣人だったら言いくるめられそうな言い回し。
「そ、そうか? カイネの為? 私がお前と番うとカイネが幸せになるのかい?」
ミスラがおずおずとザハリを見上げながら尋ねた。ああ、やっぱり。ヒースは頭を抱えたくなった。どうしよう、この獣人達。ちょろすぎて、見ていると不安に襲われる。どうして言いくるめられそうってことが分からないんだろう。別にザハリに悪意がある訳ではないだろうが、だからといって騙す様なやり方はどうかと思う。
無性にニアに会いたくなった。そしてヨシヨシと頭を撫でてもらいたくなった。もう、帰りたい。ニアの元へ。
すると、シーゼルが流れを完全に無視して言い放った。
「僕、いい加減お風呂に入りたいんだけど」
ヒースはハッとしてシーゼルを見た。いた、ここにいたじゃないか、天上天下唯我独尊の人が。
ヒースはこの流れを変えてくれた、今だけは光り輝いて見えるシーゼルに追従することにした。
「俺もお風呂に入りたい!」
「……お前、いい感じにきてたところでそういうことを……」
ザハリが苛ついた表情を隠しもせず、噛み締めた歯の奥でそう言ったのが聞こえた。やっぱりこの人は人相が悪いし柄も悪い。明日から一緒に作業しても大丈夫だろうか。間違って焼かれたりしたら怖い。
そして思い出した。ジオも人相が悪いし柄も悪かった。でもまあ、ご飯は美味しいし何だかんだで優しかった。何だ、一緒じゃないか、と思うと不安はすぐに消えた。でもまだちょっと怖いので、シーゼルの袖をちょこっと掴んだ。すると、シーゼルがにっこりとしてヒースの手を上からそっと手のひらで包んだ。
「かわいい」
小声で言うのが聞こえたが、今はとにかくこの場を脱することに注力したい。
ヒースは、こちらを思い切り睨みつけているザハリ、そんなザハリを半分理解していないかの様に見ているミスラ、そして何故かこくこくと頷いているカイネを見て、言った。
「ザハリとミスラのことは、ミスラがザハリを好きならいいと思うけど、そこにカイネの幸せを持ち込むのは違うと思うよ」
ヒースの言葉に、ザハリが歯を剥き出して拳を小さく振り上げた。余計なことを言うなということだろう。
「そういう騙す様な言い方をしないで、素直に好きだから恋人になってって言えばいいじゃないか」
「お前なあ、人聞きの悪いことを言うなよ!」
ザハリが抗議すると、シーゼルがヒースの手を撫でながら味方をしてくれた。
「僕の経験から言わせてもらうと、騙して自分のものにしても後で虚しくなるだけだよ」
「うおっ……重い言葉だな」
獣人を騙して惚れさせたシーゼルの言葉には、実感が篭もっていた。シーゼルが空いた方の手で頬を押さえる。
「だって、それって本当の自分を見せてないってことじゃない?」
「本当の自分……」
「本当じゃない自分を好きになってもらって、嬉しいかな?」
ザハリが拳を引っ込めた。
「恋の駆け引きを楽しみたいだけならそれもいいけど、それだけの為にこのぽやっとした騙されやすい獣人の女の一生に付き合うつもり? 僕は無理だなあ」
「ぽやっと……?」
ミスラが首を傾げた。自覚はないらしい。ザハリはというと、シーゼルの言葉の重みに今更ながらに気が付いたのか、鼻を指でぽりぽりと掻き始めた。
「……俺はさ、人より長生きだから、その……」
「その女が死んだら別の女? そんな程度なら、相手を不幸にするだけだよ。やめておいたら?」
ヒースは、いつもは勝手気ままなシーゼルだが、それでも彼のヨハンに対する想いだけは深く不動であることだけは確かだと知っている。
「僕は、隊長の為なら何でも出来る。死ねと言われたら死ねる」
言っていることは相当重いが、シーゼルの言いたいことはよく分かった。はい次、といえる程度の軽さなら相手に失礼だからやめておけ、そういうことだ。
「……」
ザハリは黙り込むと、
「寝る」
と言って上に戻って行ってしまった。可哀想に、ミスラは訳が分からないといった表情できょろきょろとしてしまっている。
「ミスラ」
ヒースはミスラに話しかけた。ミスラが不安そうな瞳でヒースを見る。
「カイネじゃないけど、自分がどうしたいのかを一番に考えた方がいいと思うよ」
「わ、私は……」
ミスラが言い淀む。ザハリが消えていった方向を見て、またこちらを見た。
「まだ、分からないんだよ」
ミスラは、素直な今の気持ちを吐露した。頬が少し赤くなって、手をもじもじとさせている。
「人間だしどうかと思うけど、でもこうやって言い寄られるのは初めてだし、その……」
「じゃあ、それをそのままザハリに言ったらいいんじゃないか?」
まだ待ってくれと。時間が欲しいと、そう言えば、ザハリも考え直すんじゃないか。本当にこの素直な人を自分に完全に向かせていいのだろうかと。
ミスラは、決心した様に唇を噛み締めて頷くと言った。
「よし! ヒースの言う通りだね! ザハリと話してくる!」
そう言うと、こちらの返事も待たずに階段の方へと走って行ってしまった。カイネが、ヒースを不思議そうに見た。
「……よく分からないんだが」
「ねえヒース、カイネに反省会をさせた方がいいと思うよ」
シーゼルがくすくすと笑いながらヒースにそう言った。確かにそうかもしれない。ヒースはハア、と溜息をつくと、カイネを見て苦笑いした。
「カイネ、とりあえずお風呂に行こうよ」
「あ、ああそうだな!」
問題だらけの獣人族の集落。この後どうなっていくのか全く予想がつかないが、それでも皆悪人じゃなかった。
今日はそれが分かっただけでも、来てよかったのかもしれない、そうヒースは思った。
次回は月曜日投稿予定です。




