禁断の果実の大きさではない
一緒に風呂に入ろうと誘ったところ、カイネが真っ赤になってしまっている。どうしたんだろうか。
「嫌なら別でいいけど」
「えっいや、僕はな、誰かと背中を流し合ったことなどこれまでなくて、それで驚いただけだっ」
慌てふためくカイネの隣で、ミスラが嬉しそうに涙ぐんでいる。これは一体どういう状況なのだろうか。ヒースが首を捻っていると、カイネが照れ臭そうに言った。
「獣人の間では、共に風呂に入るということには、気心の知れた友人という意味合いがあるんだ」
「友人」
カイネの目がにやけている。成程、何かいやらしい意味ではなく、これは嬉しすぎて照れているだけなのか。
「ヒースも知っての通り、僕にはこれまで友人と呼べる者がいなかったからな、背中の流し合いとかは正直憧れていたんだ」
カイネがとても寂しいことをさらっと言った。
「ヴォルグがいつも誘っていたのに、カイネってば断るんだよ。どうも合わないみたいでね」
ミスラがそう言った。ヒースはどきりとしたが、幸いいつもの如く顔には出なかった様だ。
まあ、それは嫌だろう。自分を狙っている男と裸の付き合いなどして、襲わないでくれと言う方が無理な話だ。そして知った。ミスラはヴォルグのカイネに対する執着など全く気付いていないことに。
ティアンといいミスラといい、獣人は見たくないものには目を塞ぐのか、それとも本当に何も気付かないだけなのか。ヒースがそれを判断する材料は、まだ少な過ぎた。
と、いうか。もしかして、ヴォルグがそうやってカイネにずっとつきまとっているから、だから誰もカイネに近付いてこなかったんじゃないか? と、そもそもなことにヒースは思い至った。ティアン以外にヴォルグに勝てる者がこの集落にいないとしたら、ヴォルグがやっていることはカイネの所有権の主張だ。奴隷時代に散々見た、こいつは俺のもんだ、というやつである。
頭が痛くなってきた。ヒースはこめかみをそっと押さえた。どうもこの集落で起きていたことは、多大な勘違いというか思い違いと観察力のなさが延々と続いたことで複雑化しているだけな様な気がしてきた。
何とか整理をして、出来れば全てを穏便に済ませたい。そして、明日カイネが夕刻にハンと落ち合う時までに、ある程度の方針を定めておきたかった。
またカイネにおぶわれてでも、ヒースも行った方がいいかもしれない。このままだときちんと話が伝わる気がしなかった。
ヒースはにこにこしているカイネをちらりと見た。……一緒に行こう、そうしよう。ヒースは心に決めた。次いでかなり近い距離で半ばヒースにくっついているシーゼルを盗み見る。シーゼルはヒースの視線にすぐに気付くと、ん? と優しく微笑みかけてきた。ヒースはとりあえず軽く頷いてみせた。この人もちょいちょい距離が近いが、多分他意はない。多分。
だけど、カイネと行くとなるとこの人を置いていくことになる。それが一番心配だ。いっそのこと一緒に連れて行こうかとも思うが、さすがにあの場所は獣人でないと簡単には行けない。シーゼルなら行けるかもしれないけど、確実に時間はかかる。
誰かに相談したい。心から思った。思った瞬間、脳裏にニアの顔が浮かんだ。
「……どうしたのヒース」
「え? 何が?」
シーゼルが若干だが引き気味でこちらを見ていた。
「顔がいきなり緩んでるから」
ヒースは自分の顔を触った。緩んでいる? 顔には滅多に感情が出ないヒースが? ああ、でも確かにちょっと笑っている。自分では気付かなかったけど。
理由は簡単だった。ニアのことを思い出したからだ。ニアを想うと、心がじんわりと暖かくなってくるからだ。
それ程の効果が、ニアにはある。
「好きな子のことを思い出していたんだ」
これは別に隠す様なことでもないのでヒースが素直にそう言うと、シーゼルがああ、という顔になった。
「例の胸の大きさが可哀想な子だよね?」
「ちょっとシーゼル、それはないでしょ」
それに小さくたって十分柔らかい。ヒースは手では触っていないが、顔を押し付けられたのでちゃんと知っている。
シーゼルはヒースの不満を知ってか知らずか、少し小馬鹿にする様に笑いながら続ける。
「その子、本当にヒースが好きになる程の子なの?」
「……どういう意味?」
「僕、ヒースの保護者の立場としてはちゃんとした子を選んでもらいたいななんて思うんだよね」
シーゼルはいつからヒースの保護者になったんだろうか。でもそこはきっと突っ込んではいけない部分だ。
「ニアは、真っ直ぐな人だよ」
「ふうん?」
疑いに満ちた視線でヒースを見られても、これは事実だ。真っ直ぐ過ぎて困る位なんだから。
「それに可愛いし」
「お? 女の話か?」
ザハリが身を乗り出してきた。ヒースは内心ぎくりとした。ここにいた。女好きが。
「ニアは俺のだから!」
ヒースが主張すると、ザハリが一瞬驚いた様な表情を見せた後、破顔した。
「馬鹿だな、取らねえよ」
そんなこと分かったもんじゃない。それにニアはムキムキが好きなのだ。ザハリは長身だからそこまでムキムキには見えないが、よく見ると体格がいい。鍛冶屋特有の腕と腹の筋肉も、しっかりと付いている。これで不安になるなという方が無理だった。
ジオ、ヨハンに続きここにもライバル出現である。ジオにはシオンがいるし、ヨハンにはシーゼルがいる。だからまだ安心出来ていたが、ザハリはミスラを狙っているとは言ってはいるが、それは今の所成功していない。ニアを見て、やっぱりこっちにしようなんて思ってしまう可能性だってあるかもしれない。
「だって胸がちっちゃいんだろ? 俺はなあ、女性は成熟している方が好みだからなあ」
ザハリはそう言ってケラケラと笑い、我関せずといった表情でもぐもぐ静かに食べているミスラの胸元を堂々と見た。まあ、ミスラの胸はそこそこある。だからってああも隠しもせずに見てもいいものなんだろうか。ヒースは罪悪感から、すぐに目を逸らした。
「ミスラ位女らしい体型がいいな」
そう言ってミスラに笑いかけたが、ミスラの眉間に深い皺を刻ませただけだった。ザハリは笑いながら肩を竦めてみせた。
「さ、そろそろ終いにするよ。皆、残っているのを食べてくれよ」
ミスラが完全にザハリを無視してそう言うので、ヒースはミスラに従うことにした。先程失った食欲は戻ってきてはいないが、無理やり口に入れておかねばまた近い内に空腹が襲ってくるのも知っていたから。
食べられる時に食べる。それがこれまでの長い奴隷時代にヒースが学んだことだった。
ヒースは残っていた物を手に取ると、次々に口に放り込み始めた。
◇
「僕の服を貸すから、その臭い服は一回洗った方がいい」
そうカイネが言って、ヒースとシーゼルに服を渡してくれた。族長の息子といってもヒースが想像していた様に何から何まで側仕えの人間がやってくれる訳ではないらしく、カイネは自分で服が納められた行李から、薄手の下着とカイネが着ている様な裾の長い民族衣装の様なものを渡してくれた。
「この下着、綺麗?」
シーゼルが失礼極まりないことをカイネに尋ねた。当然だろうが、カイネは思い切りむすっとした。
「……新品だ」
「そう? なら貰うね」
「……返されても困る」
「あは」
普段ヒースが着用している薄い布の下着はそこまで長さはないが、この分は太ももの半ば程までの長さがある。しかもサラサラしていて、履いたら気持ちよさそうだ。
「……ザハリはどこに行った?」
案内すると言っていた人が、いなかった。カイネはハア、と溜息をついた。
明日投稿、頑張ります!




