とにかく何でもいいから食べたい
ヒースがシーゼルの貴重な食料を噛み締めながらいただいている間に、やはり疲れていたのだろう。シーゼルの温かい手が絶えず頭を撫でていた所為もあるかもしれない。気が付いたら寝てしまっていた。
何故それに気が付いたかというと、カイネとザハリの声で起きたからだ。
目を開けると、シーゼルが優しい微笑みを見せた。この人もこういう顔ばかりしていたら怖がられないんじゃないかと思い、いや、そもそも取る行動が怖かったなと思い直す。それでもヒースには優しいから不思議なものだ。一体自分の何がこの人にそういった態度を取らせているのか、ヒースにはさっぱり分からなかった。
「起きちゃった。どう? 少しは楽になった?」
声も物凄く優しい。この人、人が寝てる間にキスしてないよな? と少し不安になったが、だからと言って聞くのも憚られた。忘れよう。多分してない。多分。
「うん。やっぱりシーゼルの言う通り疲れてたみたいだ」
「そりゃそうでしょ。朝から移動して、次にトンカンしてたんだから」
トンカンという言い方がいかにもシーゼルらしく、ヒースは思わず笑ってしまった。するとまたシーゼルがヒースの頭を撫でた。
「もう大丈夫そうだね。よかった」
どうやらシーゼルに随分と心配をかけてしまったらしい。奴隷の時はいつもジェフがヒースを心配してくれて、外に出たら今度はジオとハンがヒースの心配をしてくれて、ジオともハンとも離れたら、今度はシーゼルがヒースのことを心配してくれている。何だかくすぐったい様な温かい気持ちになった。
ヒースは一人ではない、そう思える様にさせてくれているのは、間違いなく今はこの人だから。まあ、変人ではあるけど。
部屋の入り口付近で立ち話をしていたカイネとザハリが、ヒースが起きたことに気が付きこちらに向かってやって来た。
カイネはもう泣いてはいなかった。だけど、口の端の方が切れたのか赤黒く痣になって血が滲んでいる。
「カイネ、怪我してるじゃないか」
ヒースが半身を起こしてカイネを見上げると、カイネが笑って答えた。
「父さんと初めて喧嘩したぞ」
「あれは喧嘩っていうよりは、カイネが怒ってティアンは対処に困って止めるつもりが力が入り過ぎたって感じだったけどな」
ザハリが笑って容赦のないことを述べたが、それでもカイネを見る眼差しは優しいものだった。
「ま、初めての反抗にしては頑張った方なんじゃねえか?」
「ヒースとザハリのお陰だ。父さんは今まで僕の話なんて聞いてくれなかったからな。だから……」
カイネがヒースの前に跪くと、両手の指を交互に組んで、床に頭をつけた。
「ヒース……済まなかった。そしてありがとう」
ヒースは頭を下げられている意味が分からず、慌てた。
「カイネ、ちょっと!」
だがカイネは額を床につけたまま、顔は上げなかった。
「ヒースが始めの一歩を踏み出してくれなければ、僕はずっと立ち止まったままだった。父さんに何も言えず、ヴォルグにいつか捕まる、そんな一生を送ったと思う」
カイネはそう言うが、そもそも子供扱いして全く取り合っていなかったティアンが、たったあれだけで全てを理解したとは思えなかった。
「カイネ、ティアンはちゃんと話を聞いてくれた?」
ヒースの質問に対し、カイネの表情は微妙だった。つまり理解度も微妙だった、そういうことだろう。
「話したからすぐに何かが変わるかっていうと、そんな急激な変化は無理だろうな」
カイネの代わりにザハリが言った。先程まで赤かった顔は、もうすっかり元通りだ。
「とりあえずさ、何か食おうぜ。俺は腹減って仕方ねえんだよ」
そして主張は相変わらずだ。ヒースがそう思ったところで、ヒースの腹がぐううううう、と盛大に鳴った。カイネがそんなヒースを見て、ふ、と笑った。
「ヒースは大分腹が減っていそうだな」
「減ってる。物凄く減ってる」
ヒースは深く深く何度も頷いてみせた。シーゼルの干し肉のお陰で一旦はもった腹だが、あんなものでは足りる訳がない。ザハリをチラリと見る。この人はほぼ人間のエルフだけど、獣人に対してはっきりと要求をしている。つまり、カイネの言う通りザハリはカイネの客人扱いとなっているのだ。ということは、同じくヒースだって客人な筈だし、だったらもっと主張していい筈だ。いや、今主張せずしていつ主張するのか。
「カイネ!」
「な、なんだ」
ヒースの勢いに、カイネがびくっとした。カイネはもう少し度胸を付けたほうがいいな、なんて思ったが、とりあえずそれよりも今は食事だ。
「お昼も、全然足りなかったんだ!」
「あ、そ、そうなのか?」
「このままじゃお腹が空き過ぎて寝られない!」
「今の今まで寝てたけどね」
シーゼルが余計なひと言を挟んできたが、ヒースは無視することにした。もう頭の中はご飯一色である。
「腹一杯食べたい……!」
考えてみれば、昨夜だってろくにご飯にありつけず、ほぼ汁しか飲んでいない。朝食は美味しかったが、あんなものもうとっくに消化してしまった。
とにかくお腹を膨らませたかった。切実だった。
「分かった分かった、じゃあ今すぐ用意させよう。もう一階の炊事場にいると思うから、ヒースも会ってみるか?」
「会う?」
「うちの食事の支度を手伝ってくれている者だ。……まあ、血縁関係はともあれ、彼女はいい人ではある」
「彼女? 女の人!?」
ヒースがガバッと立ち上がると、カイネが若干引き気味な顔をしつつ同じ様に立ち上がった。当然のことながら、いつの間にかシーゼルもすっと音もなく立ち上がっていた。護衛は続行、そういうことだろう。
「とにかく紹介する。下へ行こうか」
「うん」
ヒースが奴隷から解放されてからきちんと会ったことがある女性は、アシュリー、ニア、そしてカイラの三人だけだ。子供の頃住んでいた街には、数は少ないがそれでも普通に女性がいたことを考えると、比較にもならない少なさだ。
勿論獣人の女性なんて一度もお目にかかったことはなく、昼間に小さな女の子はいたが、ちょっと、いや大分興味があった。これは別に女性とどうこうなりたいとかいう訳ではなく、純粋な物珍しさだ。ニアに誤解されたくはないし、ニアのことが本当に好きだし、うん。でも見てみたい。
先導するカイネの後を、ヒースは興味津々で付いていった。シーゼルは女性と聞いても一切反応を示さなかったところをみると、本当にどうでもいいらしい。
階段を降りて行き、来る時にくぐった紐で編まれた目隠しを潜って一階の広間へと出る。ザハリが教えてくれた集会用の炊事場に続く通路の中から、何やら物音が聞こえた。
「ミスラ?」
カイネが通路の中へ向かって声を掛けると、暫くして中から人が一人ひょっこりと出て来た。
予想通り、そこにいたのは獣人の女だった。真っ直ぐの黒髪は短く、カイネより背が高い。年はどれ位かは分からなかったが、ヒースよりは年上の様に見えた。きつい顔立ちだが、そこそこの美人でもあるが、その顔には既視感があった。一体誰に似ているのか。
獣人の女が、少し掠れた声でカイネに声を掛ける。
「カイネ、その傷はどうしたんだ?」
そう言いながら、カイネの頬を両手で挟み込んでしまった。
次回は明日投稿します。




