泣かれるのは嫌
カイネはボロボロと涙を流しながら、父親であり族長であるティアンに訴えた。
「父さんは、強いヴォルグの言葉だけを信じた! いつも僕の言葉なんて聞いてはくれなかった!!」
ティアンは、明らかに動揺していた。
「か、カイネ……? どうしたんだ、何故俺にその様に怒鳴るんだ?」
膝立ちをし、肩でフウフウ息をしているカイネに、恐る恐る手を伸ばす。カイネはその手を思い切り跳ね除けた。ティアンはそれを信じられない様な顔で見た。
「僕は弱い! そんなの分かってる! だけど、だけど……!!」
手で顔を覆ってしまったカイネは、肩を震わせて泣いている。ヒースは思わず立ち上がると、カイネの頭を抱き寄せた。駄目だ、人が泣くのは駄目だった。胸を中から鷲掴みされた様に思えて、ヒースは自分の心臓の上を押さえた。
「カイネ、泣くな、泣かないで」
悔しくて半泣きする位なら大丈夫なのに、傷付いた、助けてと泣かれると、ヒースは途端に耐えられなくなる。もう人が泣くのは見たくない。全ては十年前のあの日に繋がるから。
心に、じわりと闇が押し寄せる。どうしよう、怖い、怖い、こわ――
「ヒース、離れろ」
いつの間にか目の前に来ていたザハリが、ヒースとカイネを無理やり引き剥がした。細そうに見えるのにとんでもない馬鹿力だ。
「それはお前のじゃない、カイネから距離を置け」
ザハリはヒースとカイネの間に身体を入れて接触しない様にすると、シーゼルに言った。
「二階に連れて行って休ませてくれ」
「……分かった」
シーゼルがヒースの脇を抱えた。
「駄目だよシーゼル、まだ話が終わってない!」
「ヒース、自分の様子がおかしいの分かってる?」
シーゼルの顔には、単純に心配している表情が浮かんでいた。シーゼルに触れた途端、急にほっとする。
「大丈夫だよ、もう平気だから、カイネの話をちゃんと」
「俺が続きを手伝ってやる、だからお前は休んでろ」
「ザハリ! でも」
ザハリは呆れた顔でヒースを振り返ると、ニヤリと笑って手を振った。
「任せとけよ、俺はお前よりこいつらとは長くいるからな、多分問題点も見えてる」
そう言うと、ザハリはカイネの肩を掴んだ。
「シャッキリしろ。怖がるな。相手はお前の父親だ、敵じゃねえだろうが」
「す、済まない、こ、こわ、怖くて」
カイネが泣きじゃくりながらザハリに返答する。
「恐怖に呑まれるな。お前の世界はここだけじゃねえ」
カイネの息を呑む音が聞こえた。ヒースは離れたくなくてその場を立ち去ることを抵抗していたが、ザハリがもう一度、今度は振り返らずに言ったことで諦めないといけないことを悟った。
「ヒース、休め」
有無を言わさない声色だった。
「空いてるところに適当に寝転がしておけ」
「分かったよ」
シーゼルはそう返答すると、ヒースの脇をぐいっと掴み、何と肩に持ち上げてしまった。
「え!?」
「だって素直に言うことを聞かなさそうだし」
シーゼルこそ細いのに、いくら蒼鉱石の剣を身に着けているからといって、片手でヒースを持つのは大変だろうに。ヒースは慌てて降りようとしたが、シーゼルが腰をがっちりと掴んでいる所為でただ足をばたつかせただけに終わった。
「聞く、聞くから降ろしてシーゼル」
「やだよ。ヒースって結構頑固だし」
頑固者が、人に頑固と言っている。
「自分だってそうでしょ」
「僕は自覚あるからね」
ふふ、とシーゼルが笑った。笑いながらも、軽やかに階段を降りて行く。この人、本当に何者なんだろう。色々と話は聞いたけど、何だかまだ隠された謎が山の様に出てきそうだ。
クルクルと階段を下り、二階の入り口にあっという間に辿り着いた。
「空いてる所に適当に寝転がせって言われたけど、ここって寝所だよねえ」
先程のティアンの部屋と同じ様に、布が天井から垂れ下がっている。窓が開いているのだろう、風に揺られて優雅にふわりと動いていた。
シーゼルは遠慮なくどんどん奥にヒースを抱えたまま進むと、床に敷かれた絨毯の上に広く敷かれた布団を見つけ、そこにヒースを降ろした。
その上だけでも寝られそうな大きな座布団が数個固まって置いてある。そのどれにも豪華な刺繍が施され、さすがは族長の家といった感じで、その大座布団をシーゼルは一箇所に固めると、ポンポンと手で叩いた。
「さ、寝て」
「いや、いきなり寝てって言われても」
先程までの急に襲ってきた訳の分からない恐怖は、もうどこにもない。身体は疲れてはいるが、空腹もあり寝られる気はちっともしなかった。
「眠くないし」
「じゃあ横になって」
「お腹空いたし」
「僕の干し肉あげるから」
「え、あるの?」
思わず食いついてしまった。それ程、腹が減っていた。シーゼルが、ふふふ、と綺麗な顔で微笑む。
「横になって」
頑として譲る気はなさそうだった。
「剣で脅してもいいけど」
そう言ったシーゼルの右手は、いつの間にか腰の剣の柄に添えられている。この人はヨハンのことも普通に剣で脅していた。だから、やると言ったらやる。間違いなく、何の躊躇もなくやるだろう。そういう人だ。
ヒースは諦めて、大座布団の上に寝転がった。見た目よりも少し硬かく、弾力があった。中は何が入っているんだろうか。綿か何かだろうか。
シーゼルが、その辺りにあった薄い毛布を持ってきた。ふわりとヒースの上に掛けてから、ヒースの隣に座って鞄をガサゴソと漁り出し、やがて出て来たのは硬そうな板状の干し肉だった。それを見た途端、ヒースの腹がぐううう、と鳴った。
「ヒースって素直だよね。可愛い」
と、可愛い顔をしたシーゼルがヒースの頭を撫でた。完全に子供扱いだ。干し肉をペリペリと細く裂くと、小さな破片をヒースの口元に持ってきた。
「はい、あーん」
「いや、自分で食べるから」
「誰も見てないしいいじゃない」
「ヨハンがこっそり見てるかもよ」
「怖いこと言わないでくれる?」
シーゼルが艷やかに笑う。
「ほら、食べなよ。疲れてるんだよヒース」
そう言って口に干し肉を当てたので、ヒースは観念してそのままそれを口に含んだ。かなりきつめの塩味が、喉の乾きを誘う。もぐもぐ噛んでいる内に、口の中に唾液が広がった。
「もっと欲しい」
どうせ誰も見ていない。そしてシーゼルはヒースの言い分なんか聞かないのも分かっている。だからヒースは口をひな鳥の様に開けて待った。そんなヒースを見たシーゼルは、次の干し肉を裂きつつヒースの隣に横になった。こころなしか、興奮気味の様に見える。気の所為だと思いたかった。
「はい、あーん」
ヒースは素直に食べた。
「ちょっと。ヒースが素直過ぎてぞくぞくしてきたんだけど」
シーゼルが何かを言い始めた。これはもしかして、シーゼルに狙われているんだろうか。
「ちょっと、キスだけしていい?」
「駄目」
「何も減らないよ、増えるのは経験だよ」
「浮気者ってヨハンに言いつけていい?」
「……ヒースって、こういうのは冷静だよね」
シーゼルは、今度は不貞腐れてしまった。
「だって慣れてるし」
奴隷時代、こうやって声を掛けられることはしょっちゅうあった。普通に仲間だと思っていた大人に言われた時は、さすがにぞっといたものだ。
ヒースがそう言うと、シーゼルが優しくヒースの髪を梳いた。
「……苦労したんだね」
「シーゼル程じゃないと思うよ」
「そういうのは比べるものじゃないでしょ」
「そう?」
「そうだよ」
シーゼルはそう言うと、今度は少し大きめに肉を裂いてヒースの口に入れてくれたのだった。
次回は月曜日に投稿予定です!
 




