認識の違い
カイネがヒースに尋ねる。
「どうした、ヒース」
「カイネ、ヴォルグは何でアイネが拐われたと思ってるんだ?」
そもそもの認識が皆ずれているのだ。だから誤解が生じている。そしてそのことに、当事者達は気付いていないに違いなかった。
これは、外からひょっこり来たヒースだから分かり得たことかもしれない。
カイネは顎に手を当て、少し考え込む素振りを見せた。
「アイネが出て行ったのは、突然だったんだ。竜人と集落の外に走っていくのを見かけたっていう報告が入って、僕と父さんが急いで追いかけた。その時に父さんはさっきの台詞を言われた訳だ」
ヴォルグなんか絶対嫌、お父さん大っっ嫌いという台詞のことだ。向かい合わせに座るティアンの頭が、がっくりと項垂れた。
「僕はその言葉で、ああアイネは自らの意思で出て行くのだな、と分かったんだ。だから、獣の姿に変身して、今にも飛び立とうとしている竜人に襲いかかりそうだった父さんを止めた」
「ということは、アイネはそれが駆け落ちとはひと言も言ってないってことだよね?」
カイネは暫く考えた後、小さく頷いた。
「そういえばそうだ」
「何で駆け落ちだと思ったのさ」
「竜人がアイネ好みのいい男だったからだ」
「……顔」
カイネはこっくりと頷いた。
「アイネは面食いだからな、集落の中でも僕の顔を一番気に入っていたし」
なかなかはっきりとした女の子の様だ。
カイネが続けた。
「ヴォルグは、アイネを見かけた集落の奴からこの話を聞いたらしい。ヴォルグは感情の起伏が激しい奴だから、アイネがヴォルグを否定したことを知ったらと思うと、その、怖くて」
「皆、何もはっきりしてない状態でここまで来ちゃってるってことだろそれ……」
さすがにヒースも呆れた。
「それでヴォルグは竜人をやっつけるって言い出して、ザハリまで拐ってきちゃったんでしょ? 皆を戦いに巻き込みたくないとかいう前の段階の話だろ、これ」
すると、寝そべりながら立て肘をしつつ酒を飲んでいたザハリが口を挟んだ。
「こいつらな、見てるととにかく力が全てって感じなんだよ。ヒースみたいに冷静に状況判断なんか出来やしねえ、いや、必要ないと思っている節がある」
「つまり単細胞って訳だね」
部屋の入り口の壁に寄りかかっているシーゼルが、ふふ、と感想を述べた。
ヒースは愕然としていた。勘違い、いや思い違いだけでここまで話が拗れるものなのか。一番力があるティアンは娘に大嫌いと言われて凹んでいるだけだし、ヴォルグは状況だけで勝手に解釈して竜人に喧嘩を売るつもりだし、カイネはヴォルグが怖くて説得したくない様だ。前にヴォルグにはっきりと言ったと聞いたが、どこまで意思の疎通が図れていたのか正直疑わしい。
どうしよう。
ヒースは、心底迷った。このままだと、蒼鉱石の剣が人数分完成し次第、ヴォルグは一族を引き連れて竜人族の居住地にアイネを取り戻すという名目で乗り込んで行ってしまう。だけど竜人族は強い。たった一人でも、人間の街を焼き払ってしまうことが出来る程強い。竜の姿になって空を飛んできたら、この集落などあっという間に落ちてしまうだろう。
そういった意味で、ヴォルグを止めたいというカイネの願いは理解が出来るものだが、そこはヴォルグとその周りの奴らを捕らえておくよりも、そもそもが誤解だという話をまずはすべきなのではないか。
こちらに向かっているハン達だって、竜人が襲ってきている時に居合わせたら死んでしまう。勿論今ここにいるヒースもシーゼルも同様だ。
ヒースはまだ凹んで項垂れているティアンを見る。一番の問題は、この獣人なのだ。
「ティアン、俺の話を聞いて欲しいんだけど」
「……何だ」
「ヴォルグは、アイネと一緒に行った竜人族のところに行って、アイネを取り返すついでに竜人族だって殺せるって強さを見せつけるつもりだよ」
「そうなのか?」
「俺も直接は聞いてないけど、カイネがそう聞いたって言ってる」
もしかしたらカイネの解釈にも誤りはあるかもしれないが、多分この父親よりは正確に把握している筈だ。
「それで、それに何の問題がある」
ティアンが言った。
「え……」
思ってもみない返答内容に、ヒースは固まった。いや、問題だらけだろう。何言ってるんだこの人は。そこまで思い、先程のザハリの言葉を思い出した。獣人にとって、力が全てだと。
「俺は進んで戦うのは好まないし、アイリーンも無益な殺生は止めろとよく俺に言っていたからアイリーンの願いは聞き入れているが、竜人族が戦う気なら俺にはここを守る役目がある。竜人の奴らが戦う気なら戦う」
「竜人がここを襲ってきたら、ここに住んでる皆も怪我をしたり死んだりするよ!?」
「最後にカイネとアイネさえ生きていれば、一族の再建は出来る」
ヒースは絶句した。
「竜人がアイネを連れ去ったのは事実だ。現に俺はその場面をこの目でしっかりと見た。だから、ヴォルグが奴らと戦って許嫁を取り戻したいならば、族長として俺に反対する理由はどこにもない」
ヒースは気付いた。この人は、ヴォルグのアイネに対する愛がそこにあると思っているのだ。かつて自分がアイリーンに捕らえられた様に、愛する者の為ならば強大な敵と相対するのも辞さないと考えているのだ。
それと、自分の物に対する所有権の主張という観点もあるかもしれない。アイネはヴォルグの物となる予定だ。それを横から上位種の竜人が掻っ攫っていってしまった。ヴォルグだけでなく、獣人族の一族として、竜人に馬鹿にされたという見解を持っても、この人達の場合はおかしくはない。
そもそも、根本的な考え方が人間とは違うのだ。カイネは半分は人間だからか意思の疎通には問題がなかったが、埋め込まれた価値観は獣人族のものだ。だからカイネはヴォルグに逆らわない。いや、逆らっていいなどという考え自体がそもそもないのかもしれなかった。
ヒースは考え込んだ。こういう時は、優先順位だ。
一番上に来るのが、ジオとシオンの再会だ。その為には、ジオ達がここまで無事に辿り着く必要があり、且つこの集落の安全が保たれた状態で妖精界との接点まで行けなければならない。とすると、やはりヴォルグを止めないと、いつ何時攻め込まれるか分かったもんじゃない。だけどヴォルグを止められるのは、この何を考えているのかよく分からないティアンだけだ。力が全ての獣人族にとって、自分より上の者が言う言葉しか聞き入れない。ヴォルグの主張をティアンが聞き流したことからも、それは事実だろうと思われた。
つまり、ティアンを説得すれば一番円満にことが収まるのではないか。
嫌だけど。
ヒースは心の中でカイネに誤りつつ、恐らくはティアンが気付いていないであろう全ての発端の感情について話すことにした。
「ティアン」
「何だ」
ヒースは息を一つ吐いた。怒られません様に。
「俺はヴォルグのことはよく知らないけど、カイネから聞いた話とカイネに対する態度を見て分かったことがあるんだ」
「はっきり言え」
こめかみにびきっと血管が浮き出ている。急に機嫌が悪くなった。
「ヴォルグは、アイネに愛情はない」
ヒースがそう言った途端。
ダン!! と背中を床に打ち付け、ヒースの首には毛むくじゃらの手があった。ヒースの上にいるのは、人間と獣が半々に入り混じった恐ろしげな顔をしたティアンだった。
次回は明日投稿します!
 




