カイネ宅
カイネが案内してくれたのは、来る時に見かけた赤壁の内部に掘られた様な穴のあるあの空間だった。
「族長とその家族だけがここに住むんだ。今は父と僕の二人だけだけど、妹が戻ってくれば三人だな」
「三人で住むにも広いけどなあ」
ザハリがそう感想を述べる。カイネは一階の入り口に垂れ下がる乳白色の紐を編み合わせて出来た目隠しを手で避けつつ中に入ると、中を案内し始めた。
「ここは一族の者なら誰でも出入り出来る、いわば謁見室兼集会所だな」
床は土ではなく、石段が一段分組まれ、地上からはその分上がっていた。雨水が登ってこないようにだろうか。一行はそこで靴を脱いだ。人が三十人位は余裕で座れそうな広さがあり、そこに植物で編まれた大きなラグが敷かれていた。奥には玄関にあった様な紐で編まれた目隠しがあるが、こちらは玄関の物とは違って足元近くまでの長さがある。それの意味は、ヒースにも分かった。そこから先は関係者以外は踏み入れないこと、という意味だろう。
他にも四角く整形された入り口が内部にあったが、そちらは特に目隠しはされていない所を見ると、台所か物置きか何かなのだろうか。ヒースが興味津々で辺りを見回していると、ザハリが教えてくれた。
「あれは集会所用の炊事場、であっちは厠に続く穴だ。さすがに中だと臭うんだろうな、外に繋がってんだよ」
「へえ」
カイネは早く族長に会わせたいのか、丈の長い目隠しの前でヒースとザハリを待っている。シーゼルはヒースが物珍しそうに辺りを見回しているのを横目で見つつ、玄関近くで佇んでいた。絶賛警戒中ということだろう。
「行くぞ」
「あ、うん」
ヒースがカイネに駆け寄ると、背後に注意を払いつつシーゼルもようやく中に入ってきた。だけど見ていないとこの人は動きを感じさせない。本当に猫みたいだな、とヒースは思った。
カイネが先頭に立ち目隠しを避けつつ奥へと入っていくと、中には薄暗い一段一段が低い階段があった。それが、かたつむりの甲羅の様に上に伸びていっている。これも全部掘ったのだろうか。でも獣人は魔法が使えるから、ジオみたいに土魔法が得意な獣人がドン! と一発叩いて作り上げたのかもしれない。ヒースは今の所まともに自分の意思で扱える魔法は水を出す魔法位だったので、素直に羨ましいと思った。炎については、あれから機会がなく出せていないが、多分自分の意思ですぐには出ない、そんな気がした。
幅の広い階段を暫く登っていくと、二階部分への四角い入り口があった。
「ここには各々の部屋がある。族長の部屋は一番上だから、挨拶の後に案内する」
カイネはそう言うと、そのまま更に上へと登り続けた。
次は三階部分への入り口に来たが、ここも通り過ぎる。
「ここは居間だ。食事を取ったり、家族で団らんしたり出来る場所だ。ここも後で案内する」
カイネは更に上へと登っていった。なかなか高さのある家の様である。体力はある方だと思っていたヒースだったが、ここのところその自信がなくなってきているので、せめてこれ位はひょいひょいと登ってみせたかった。
筒状になっている階段の壁面には所々明かりが置ける穴が空いており、その中には少し茶色い液体がガラスの容器に入っており、それに火が灯され揺られていた。何の油だろうか。ここは木が多いので、植物に由来するものかもしれない。
何もかもが物珍しく、これが奴隷生活から解放されるということなのだと改めて実感した。奴隷生活の時は、狭い場所に閉じ込められての移動が主だった。行き先や居場所を知られると、その場所を知っている人間が抜け出すのではないかと魔族は考えているんじゃないか、というのが大人達の意見だった。だから、殆どは作業現場と、その中の決められた範囲内に簡易的に設置された居住区域しか行動範囲がなかった。
作業現場が広い場合は、昔に蛇の卵を手に入れた時の様に多少は自由に動き回ることが出来たが、多くの場合有刺鉄線でぐるっと囲まれた境界線へは誰も近寄らなかった。出た所ですぐ捕まるし、手には刻印がある。大人達が近寄らない物は、子供達も近寄らない。中には抜け出した子供ももしかしたらいたのかもしれないが、外の世界は過酷だ。子供一人で到底生き延びられる環境ではない。脱走したところで早々に死ぬのがオチだろう。
だから、自分は本当に幸運だったのだ。今になって、ようやくそのことが理解出来始めていた。大人の年齢に達し、刻印はつけられる直前だった。ジェフが咄嗟の判断でヒースに逃げるよう促してくれなければ、ヒースは今でも当たり前の様に奴隷として生活していただろう。
ジェフの死とヒースの生は、一つの延長線上にある。ヒースは一本の線の上を辿って歩いている。過去からずっと続く一本の線の上に。
四階の入り口が見えてきた。ヒースは思った。ヒースは簡単には死ねない。父の死もジェフの死もあった上で今のヒースがあり、だけど他の人間も魔族だって、皆それぞれ過去から続く一本の線を辿っているのだ。その線が他の線と交差し、蜘蛛の糸の様に絡み合い、そしてまた方向が変わっていく。
ヒースはすでにジオの線も、ニアの線も、カイネの線とだって交差させた。だから、自分の糸がぷつっと切れたら他の線にも影響してしまう様な気がした。だから、死ねない。
「父さん」
カイネが、こちらは黒い紐で編まれた垂れ下がる目隠しを手で避けつつ、中に声をかけた。
「どうした」
低めの男性の声が返ってきた。カイネの声に、少し年齢を足した様な声だった。
「会わせたい人を連れてきました。ザハリも一緒です」
「――入れ」
「失礼します」
父親に対し、随分と丁寧な口調を使うものだ。族長とその息子なので、立場からくるものだろうか。ごくごく一般的な貧乏家庭で育ったヒースには、上の人間の、この場合は魔族だが、そういった習慣は理解出来ないものだった。
カイネがヒースを振り返り、小さく頷いた。
「ヒース、お前は僕の隣に」
「うん」
カイネが中に入って行ったので、その後にヒースが続いた。ザハリは勝手知ったる風にぷらぷらと中に入り、シーゼルは入り口で待機の体勢をとった。
中は不思議な雰囲気の部屋だった。天井から色んな色の薄い布が垂れ下がり、奥まで見渡せない様になっている。奥に寝所でもあるのかもしれない。人間の家の様な壁で区切るのではなく、布で区切るとは面白い発想だな、とヒースは思った。ただ、もしかしたらここが岩壁の中で壁の設置が難しいから、という理由もありそうだな、などと考える。
一歩踏み出すと、細かい模様の刺繍が施された敷物を踏んだ。思ったよりもふかふかだ。
垂れ下がる一枚の布の奥から、一人の獣人の男が出て来た。
「人間か」
先程の声の持ち主だった。ヒースは目の前の男をまじまじと見る。ヴォルグ程ではないが、大きな男だ。人間と獣人の時の進み具合に差があるのかどうかは知らないが、人間でいえば年は三十代か四十代前半か。焦げ茶の髪を後ろに一つに束ねており、着ている服はカイネよりも上等そうな青い裾の長い服。赤い刺繍がしてある。
ピンと立つ耳も焦げ茶で、瞳はカイネと同じ赤い目だった。カイネとはあまり似ていないが、目元の優しそうなところは似ていた。カイネは本当に母親似なのだろう。体つきもヴォルグ程ではないがいい身体をしており、ヴォルグを叩きのめしたというのも納得できる。でも、雰囲気はヴォルグと違い柔和だった。
「カイネ、説明をしてもらおうか」
ティアンはそう言うと、その場に胡座をかいた。
連休中(2021/7/22-7/25)は投稿はお休みします。次回は7/26投稿予定です。




