説得
カイネに手を跳ね除けられたヴォルグと呼ばれた獣人は、殺気を放ちながら警戒しているシーゼルを横目でちらりと見ると、更に笑った。
「こっちの人間の方が、お前よりも反応が早かったじゃないか」
「……煩い」
「やはり混血は混血だな」
「煩い煩い!」
カイネは唇をきつく噛み締めながら、ただ煩いと繰り返すだけだ。見ると、ヒースを庇うカイネの腕が小刻みに震えているではないか。ヒースはハッとしてヴォルグを見た。意思の強そうな目つき。威風堂々たる態度。自信に満ち溢れ、族長の息子であるカイネにも一切遠慮していない。
多分、こいつがカイネの妹、アイネの許嫁なのだ。
カイネが怖がっている。恐怖で、煩い以外に言えないのだろう。それでもヒースを背中に庇うカイネを見て、ヒースは安心させる為にカイネの肩をぽんと叩いた。
「カイネ、俺が自己紹介するよ」
強張っていた肩の力が、少し抜けた様に感じた。
「ヒース……こいつは」
「うん、何となく分かったから」
カイネとヒースが言葉を交わすと、それすらも面白くないのか、ヴォルグが今度は切っ先をカイネの鼻先に向けた。ヒースは両手を上げてヴォルグとシーゼルに言った。
「まず、二人共剣を納めようか」
「何故人間に命令されなければならん」
「ヒース、こいつは殺る気だよ」
互いに譲る気はないらしい。どいつもこいつもだが、ヒースは獣人と交渉する為にここまで来た。であれば、まさかの初っ端にご本人登場の運びとなってしまったが、ここは無難に乗り切るしかない。
「じゃあ、俺達が一歩下がる。いい? ヴォルグ」
「勝手に人の名を呼ぶな」
「じゃあなんて呼べばいいの」
「……勝手にしろ」
今度はシーゼルに言った。確かにシーゼルはヒースの命を救ってくれた。それは確かだ。だけど、互いが殺す気でいたらこれ以上発展の余地はない。
「シーゼル、少し距離を置こう。この距離は、万が一間違いで何があるか分からないから」
「間違いじゃなくてわざとだろう」
「シーゼル、いいから」
「……ふん」
シーゼルは警戒を解かないまま、渋々一歩後退した。ヒースはカイネの肩を掴んだまま、同じ様に後ろに下がる。カイネもそれに合わせて付いてきた。
「ヴォルグ、俺はヒース。鍛冶屋のヒースだ」
すると、ヴォルグの眉がピクリと動いた。鍛冶屋という言葉。やはりこれが一番効くらしい。
「カイネを随分と馬鹿にしている様だけど、カイネはあんたの為に鍛冶屋を探してくれてたんだよ」
カイネの肩にまた力が入ったが、ここは我慢してもらうしかない。ヒースはカイネの肩を掴む手にカイネにだけ分かるよう圧をかけた。
「カイネが、俺の為に? そりゃ本当か?」
口角は上がりはしなかったが、目がその喜びを隠しきれていない様だった。ぴく、ぴくと下まぶたが弧を描きそうになっているのを必死に押さえている様子が伺える。獣人は皆こんなに表情に出やすいのだろうか。耳もあれだけパタパタ自由自在に動くから、ヒースに比べたら神経が大分直結しているのかもしれないな、と思った。
「ほらカイネ」
カイネの肩を揺すると、カイネがヴォルグを睨みつけたまま、それでも小さく頷いてみせた。
「本当だ。このまま放っておいては、アイネの身に危険が及ぶ可能性が増えるだけだ。だから」
物凄く嫌そうな声色を出していたが、ヴォルグはほう、という表情になるとにやりと笑った。もしかしたら、カイネはヴォルグに対しては常日頃こういった態度しか見せていないのかもしれない。であれば、ばれはしないだろう。
「だから、鍛冶屋を探して連れてきた」
「やれば出来るじゃないか、カイネ!」
ヴォルグが一歩近づくと、カイネの腕にゾワッと鳥肌が立ったのが分かった。ヒースはカイネの腕を掴み後ろに引っ張ると、さっと前に出た。
「ということで、俺が手伝いに来た。経験は浅いかもしれないけど、そもそも人間の世界に自由な身の鍛冶屋なんてそうそう残っていないのは分かってるでしょ?」
「選り好みが出来ないってのは分かってるさ。つまりお前はカイネに頼まれて協力する為にわざわざ遠路はるばるやって来たってことか」
ヴォルグがヒースに迫った。ヴォルグはヒースよりもかなり大きく、完全に見下される形になった。ヴォルグが、馬鹿にした様に笑う。
「で、見返りに何を求めた?」
「それはこれから族長に交渉する」
ヴォルグのこめかみが、ピクリと動いた。
「その内容を聞いている」
「あんたに言う必要はないと思ってる」
「何を!」
「ヴォルグ!」
カイネが怒鳴った。
「その銀髪の男が、お前の首を掻っ捌く前に止めろ」
「――!?」
シーゼルの持つ剣の先端が、ヴォルグの首と背中の間にあと僅かでふれんばかりの距離に迫っていた。
シーゼルが、にたりと笑った。
「残念、首じゃないよ。ここね、丁度いい感じに隙間がある場所なんだよね。知らない?」
背骨の中心から少し離れた所をトントンと指差したシーゼルは、恐ろしい程の殺気を発していた。さすがに鈍感なヒースにも分かった。シーゼルは殺る気だ。今すぐにでも。
出来れば殺したくない。カイネのその言葉が、ヒースの脳裏に響いた。
「――シーゼル!!」
駄目だ、駄目だ、殺しちゃ駄目だ! ヒースは咄嗟にヴォルグとシーゼルの間に割り込んだ。
「馬鹿!! 何やってんだよ!」
シーゼルが慌てて後ろに退き距離を置いた。しかしシーゼルの視線はヒースを見ていない。ヒースの後ろの少し上の方、つまりヴォルグの目を見ていた。
「……相当な手練だというのは分かった」
暫くして、ヴォルグがそれだけ言った。シーゼルがヴォルグを睨みつけながら、口の端を片方だけ上げた。
「そりゃどうも」
「人間だと油断していた」
「僕は護衛だしね。これ位出来なくちゃ」
「護衛……その鍛冶屋のか?」
「そうだよ。他にいないでしょ」
「……成程な」
ピリピリとした空気が張り詰め、ヒースの心臓がばくばくいっていた。だが、呼吸に出したりした瞬間また二人が争うのでは、そう思うと迂闊に大きな息も出来なかった。
どれ位そうして見合っていただろうか。
ヴォルグが、ふいっと背中を向けた。
「ついてこい。鍛冶屋の所まで連れて行く」
そしてヴォルグはヒースを振り返った。
「大した度胸だな、坊主」
カチンときたが、顔には出さなかった。顔に出したら、それこそ喧嘩っ早いシーゼルや泣き虫のカイネと一緒になってしまう。
ヴォルグが怒鳴った。
「カイネ! お前はここに来い!」
「……!!」
半分泣きそうな悔しそうな顔を一瞬だけヒースに見せてから、カイネは大人しくヴォルグの後ろに従った。あんなに震える程恐ろしく感じる相手に従わざるを得ない。それが獣人の力関係なのだ。それまで奴隷時代の作業現場で見たものを全てだと思っていたヒースは、自分の見ていたものがいかに表面的なものだったかを悟った。
獣人の力関係は、本当に強さなのだ。散々カイネが言っていたことを、ヒースはようやく理解した。
そして、腹が立った。
すると、すっと横にやってきたシーゼルが、ヒースの背中をそっと押した。
「殺気立つなって人に言っておいて、自分が立てちゃ駄目でしょ」
一瞬、何を言われているか分からなかった。
「え?」
するとシーゼルが呆れた様に笑った。
「若いねえ」
自分よりも遥かに喧嘩っ早い大人にそう言われ、ヒースは返事をどう返したらいいか分からず、ただ黙って大人しく従うカイネの背中を見つめるしか出来なかった。
次話は明日投稿予定です。




