ヴォルグ
陽が出ていると、一昨日は暗いと思えた森も案外葉の隙間から光が差してきており明るい。
そんないかにも穏やかな雰囲気の中、シーゼルに昨夜の生々しい様子を延々と語られたヒースは、この人を連れてきてしまったことを更に後悔していた。
少し離れた前を行くカイネの通常はピンと立った耳は、今は見るからに垂れ下がっている。あの耳はあんな風に動くのだ。ちょっと触ってみたいと思ったヒースだったが、きっとカイネはああして後ろの話に耳を塞ごうとしているのだと思うと、カイネばかり狡いとつい思ってしまった。
「ねえヒース、ちゃんと聞いてる?」
シーゼルがヒースの隣で頬をほんのりピンク色に染めながら尋ねてきたが、何と答えればいいものやらだ。
「生々し過ぎるから、俺にはちょっと」
正直にそう話すと、シーゼルが笑った。
「ヒース、色恋っていうのはいつの時代も生々しいものだよ。それが男女であろうが男同士であろうが女同士であろうがね」
何だか悟った様なことを言っているが、出来ればもう少し包み隠してほしい。まだ禁断の果実にだって手を触れたことがない程度には、ヒースは慎重派なのだ。急いては事を仕損じる。それに。
「シーゼルだって、十年ずっと片思いしてたじゃないか!」
「してたけど、ヒースに背中を押してもらって結果こうして無事うまくいったし、一応これはお礼も兼ねて教えてるんだけど」
「いや、いい。もう聞きたくない……」
心からの言葉が口を突いて出た。すると、シーゼルが首を少し傾けつつ艶然として笑った。
「ちょっとヒースには刺激が強過ぎたかね」
「うん」
「まあじゃあ、もう少し興味が出たらもう一度詳しく話してあげるよ」
「その内ね」
一応、そう言っておいた。全否定してしまっては、折角のご機嫌が台無しになりかねない。
「も、もう終わったか?」
前にいたカイネが、真っ赤な顔を振り向かせて聞いてきた。シーゼルが小馬鹿にした様に笑う。
「もっと初心なのがいた」
「うっうるさいっ」
「君もどっちかっていうと僕と同じ方に振り分けられそうだから、可愛い彼女が出来なかったら早々に諦めた方が身の為かも」
「何が身の為だっ!」
カイネが半泣きになった。カイネはどうもすぐに涙が出てしまう質の様だ。だから妹のアイネの許嫁もフラフラと寄ってくるんじゃないかと思ったが、言うとまた更に泣きそうなので言うのは控えた。
ゴホン、とカイネが咳払いをすると、くるりと振り返って腰に手を当てて言った。
「とにかく、シーゼルが心の中で思い出していようがそれは一向に構わないが、もうこの先は集落だからそういった卑猥なことを口に出すのはやめてくれ」
すると、シーゼルが言った。
「お願いしますは?」
「お、お前は……!」
ヒースはまた内心溜息をついた。どうしてこうこの二人はきっかけさえあれば自ら進んで諍いを起こそうとするのか。まあ大体のきっかけはシーゼルの方からだが、カイネも相手にしなければこんなことにはならないのに。
まあ、そこで相手をしてしまう質だから、こうしてヒースが獣人族の集落に赴こうとしているのだ。つまり、やはりこの二人の組み合わせはろくなものじゃないということがはっきりした訳だ。
ヒースが、カイネに言った。
「カイネ、お願いだから言って」
「……くっ! ヒースの頼みだから言うんだからな! 分かったな!」
「ヒース、すっかり懐かれちゃったねえ」
「懐かれたとか言うな!」
「でも僕、カイネを恋人にするのはオススメしないな。ちょっとヒースには子供っぽいというか。ヒースはどちらかというと少し年上な感じの人が合うと思うよ」
「恋人にはならん! もうお前は少し黙っててくれ! 頼むから!」
とうとうカイネの泣きが入った。その間、ヒースはもう何も言わなかった。ひたすら無になる、それに尽きる。
「じゃあ、お願いしますは?」
シーゼルが、再び言った。勝ち誇った様な顔をして。これは多分あれだ、カイネの顔が恐ろしく可愛いから、それでやたらと絡んでいるのに違いない。自分より可愛い者は排除。そういうことなんだろうと思った。
つまり、シーゼルが一番可愛いということにしておけば、今後の関係は改善する。
ヒースも再び言った。
「カイネ」
混血とはいえ、人間と敵対している獣人族の族長の息子として育てられたカイネだ。人間に頭を下げることなど、本来であれば到底受け入れられないことに違いない。基本獣人族は人間を自分達よりも下の種族として見ているから。
カイネにもその葛藤はあるに違いない。唇を実に悔しそうにぎゅっと噛み締めていたが、ふるふると震える腕をもう片方の手で押さえ、震える声で言った。
「……お願い、します」
「はい、よく出来たね」
完全に上から目線のシーゼルが、にっこりとそう返した。ああ、カイネの眉間に思い切り皺が寄っている。
「カイネ、よく頑張ったね」
ヒースが慰め顔でカイネの頭をぽんと撫でると、耳がぺしょ、と横に垂れた。犬みたいだ。
「そう凹まないでよ、カイネ」
最終的に言わせたのはヒースだが、そこは敢えて伏せておいた。多分言わなければカイネは気付かない。半泣きのカイネが、上目遣いで瞳を潤ませながら聞いた。
「ヒース……シーゼルはどうしても連れて行かないと駄目なのか……?」
「うーん、カイネの気持ちはよく分かるけど」
「ヒース、酷いじゃない」
今度はシーゼルが文句を言い始めた。忍耐。その言葉がヒースの頭をよぎった。
「シーゼル、頼むからカイネを虐めないで」
面倒くさいから、という言葉も呑み込んだ。仕方ない。ヒースは覚悟を決めた。
「あとで、ちゃんとシーゼルの話は聞くから」
「え、本当?」
シーゼルの機嫌が、ころっと直った。
「じゃああとでゆっくりね」
やはりただ喋りたかっただけらしい。まあ隊員達には話せる様な内容でもないだろうし、当のヨハンに話したところでである。話しても問題ない人間がヒースしかいない、というのが妥当なところだろう。
すると、ニコニコしていたシーゼルの笑顔が消えた。
キン!! という音が、ヒースのすぐ傍で鳴り響いた。
「――え」
振り返ると、すぐ近くに剣の切っ先がこちらに向けられていた。それを、いつの間にかヒースの前に回り込んだシーゼルが止めている。
すると、カイネが身体を間に割り入れヒースを背中に庇った。ヒースが剣の先を目で追うと。
「何故人間が二匹もここにいる!」
「ヴォルグ!!」
カイネの声には怒りと、ほんの少しの怯えが含まれていた。ヒースは、剣の持ち主を見た。少しキツイ顔立ちの、黒髪を短く刈った背の高い体格のいい若い男がいた。見目は悪くはないが、とにかく男臭い。眉間に刻まれた深々とした皺で、その者が非常に立腹していることが見て取れた。
そして、頭には黒い耳が付いていた。カイネのは茶色いので、色んな色が同じ集落にいるらしい。
「カイネ! お前は何故そんな人間にただ大人しく頭を触れられている!」
「うっうるさい!! お前には関係ない!!」
どうもヒースのこの手が怒りの原因の一つらしい。ヒースはそっと手を下ろすことにした。すると、ヴォルグと呼ばれた男がヒースをギロリと睨みつけた。
「やけに親しげじゃないか、カイネ」
ヴォルグがカイネの前までやってくると、カイネを見下ろしてカイネの顎を指で掴んだ。
「その顔で誘惑したのか?」
「失礼なことを言うな!」
カイネが、ヴォルグの手をバシッと跳ね除けた。
次回は朝投稿予定です。




