集落への道のり
カイネの背中におぶわれているヒースは、ガクガクいう顎とちょっとひっくり返りそうになる胃袋さえ我慢していれば、後は楽なものだった。
余裕そうに跳躍しては降りていくカイネの後ろを、シーゼルがなかなかの勢いで降りていく。この人には見えない羽根でも生えてるんじゃないか、そう思える程足取りは軽やかだ。
そしてよく見ると、目元が笑っていた。きっと律儀にヨハンとのキスを思い出しているに違いない。でも殺気がなさそうな代わりに、色気が物凄い。それはそれで女性が少ない集落に行くのは問題なんじゃないか、とヒースは危惧し始めていた。
いくらシーゼルが強いとは言っても、混じり気のない獣人に襲われたらひとたまりもないのではないか。ただまあ、シーゼルはこれまでにも散々死線を潜り抜けてきただろうから、自分よりも強い相手に勝つ方法も知っているのかもしれない。
「ヒース、吐くなよ!」
「だ、大丈夫! 今のところ!」
「今のところか……」
カイネが少し嫌そうな顔をしつつ振り返った。まだ吐いていないのだから、そんな顔をしなくてもいいだろうに。まあ背中からいつ吐瀉物をぶちまけられるか分かったものではないので、嫌は嫌なのだろうが。
「あと少しだから、耐えろ!」
「分かった!」
一昨日の晩は降りるのにかなり苦労したこの岸壁も、カイネにかかれば小山程度なものなのかもしれない。後ろを見ると、シーゼルは少し遅れ始めていたが、それでも息一つ乱すことなく降りている。
ニアは、筋肉もりもりと俊敏さと、どっちにより惹かれるんだろうか。俊敏さが羨ましくなってきたヒースは、今度ニアに会ったら聞いてみようと思った。それかあれだ。獣人族の集落に行ったら、皆の動きを観察してみるといいかもしれない。元々持っている資質の差というものはあるだろうが、それだって身体の使い方次第では、今のこの少し残念な動きしか出来ないヒースだって活路を見い出せるかもしれない。
すると、不意に身体に温かい感覚が流れ込んできた。ヒースはハッと谷の奥を振り返る。
「ニア……!」
それは、ニアから流れ込んでくる命の力だった。ヒースが感じているということは、クリフも今頃感じているに違いない。何か獲物を捕らえたのだろう。
あの向こうに、ニアがいる。そう思った瞬間、急に寂しさがヒースを襲ってきた。ニアといたい、ニアに会いたい、と頭の中がニア一色に染まる。あの燃え盛る炎の様な橙色の髪に触れ、あの星空の更に奥の様な紺色の瞳を覗き込み、細い身体を抱き締めたかった。禁断の果実は小さくてもいいから。
「ヒース、ニアとは?」
とん、と地上に降り立ったカイネが、ヒースを地面に降ろした。二人はまだ崖を降りているシーゼルをその場で待つ。
「俺の好きな子」
「何で急に呼んだんだ?」
「あっちにいるから」
ヒースが谷の奥を指差すと、カイネは怪訝そうな顔をして首を捻った。
「意味が分からん」
「あー、俺はニアに属性を付けてもらってるから、だからニアが魔力を吸い取ると俺にも流れてくるんだ」
「なんだその滅茶苦茶な属性は」
カイネが腕を組みながら首を傾げた。
「妖精族でも珍しい属性みたいだよ。闇属性だって言ってたかな? ニア自体は全然闇みたいじゃなくて、太陽みたいな子だけど」
ヒースがそうニアについて語ると、カイネの顔が羨ましそうなそれになった。
「いいな、好きな子がいて」
「カイネは好きな子はいないの?」
「お前は自分のことを馬鹿にする女達を好きになると思うか?」
「えー……無理かも」
「だろう」
でも、カイネの外見はこんなにも可愛いのに。
「でもさ、実はこっそりカイネのことを好きな人とかもいるんじゃないの?」
「こっそりでもいないだろう」
カイネはまた凹み始めている。ヒースは盛り上げようと必死で続けた。
「だってさ、確かにカイネ達の仲間の中ではカイネは弱いのかもしれないけど、顔も可愛いし、性格も素直だし、実は気になってるけど周りの人に知られたくなくて言えてないだけ、とかあるかもよ」
「僕は顔だけか?」
「だって弱いんでしょ?」
「……」
しまった、余計なことを言ってしまった様だ。しょんぼりと肩を落としてしまったカイネの肩をぽん、と叩くと、ヒースは請け負った。
「カイネ、俺が村の女の子達に聞いて上げるよ! ほら、直接本人には言えなくても、とかあるでしょ?」
「……もっと酷いことを聞いたら僕はもう立ち直れそうにない」
「そうしたらその時は黙っておくからさ」
「それはそれで悲しい」
ああもう、面倒くさい。ヒースが困って頭をぼりぼり掻いていると、ようやくシーゼルが降りてきた。
「おまたせ」
涼しい顔をしているが、やはり目元が笑っている。
「どう? 殺気、出てる?」
カイネが暗い表情のままシーゼルを見た。首を静かに横に振るが、その仕草も陰鬱だ。だがシーゼルはそんなカイネの様子にはおかまいなしで、ヒースににこにこと話しかけてくる。
「ヒースの作戦、うまくいってるみたい」
ふふ、と笑う頬が幸せそうに艶めいていて、これは男でも惚れてしまいそうな笑顔だった。でもまあ中身はかなり怖い人なので取り扱い要注意だが。
「ヨハンのこと考えてるの?」
「うん。あの時どうだったかなとか、昨晩のこととかを繰り返し思い出してるんだ。ヒース、聞きたい?」
「遠慮しておく」
男同士の艶事は、正直あまり具体的に聞きたくはない。特に両方を知っている場合は。
ヒースは別に男同士で恋愛をすることに関しては何の意見も持っていなかったが、自分にそれが降りかかるのは御免だったし、第一興味もない。あくまで目指すのは禁断の果実をこの手に掴むことだからだ。だがシーゼルは食い下がる。
「参考になるかもよ」
「何の参考?」
「だってあれでしょ、狙ってる彼女がいるんでしょ? 僕女の子としたことはないけど、でも女の子側でやってるから女の子の気持ちは分かってる方かもだし」
カイネが横でぶっと吹いた。気持ちはよく分かる。ヒースはカイネに言った。
「カイネ、シーゼルは包み隠さない人なんだ」
カイネはごほごほ言いながら、涙目で頷いた。苦しそうだった。
「そ、そのようだな」
すると、全く反省の色など見せないシーゼルが普通に続けた。そもそも反省するつもりなんてシーゼルにはないのかもしれない。ここまで堂々と出来て、清々しい程に突き抜けていてある意味羨ましい。
「初回は大抵失敗しがちだからさ、その辺りもゆっくり説明してあげるから」
一体何を説明されるんだろうか。
「ほら、恋愛講座の一環で」
うふふ、とシーゼルが笑った。もう聞かされることは決定事項らしい。だとすればあれだ。なるべく頭に想像しない様にして聞こう。目の前のシーゼルとあのヨハンが、と絵面を想像してしまったら、暫くその妄想に取り憑かれてしまいそうだ。好む好まないには関係なく。
カイネが、頬を赤らめながら二人を促した。
「で、ではとりあえず行こうか。こちらだ。途中、見張りの者がいるだろうが、とにかく殺気立たない様頼む」
「うん」
「じゃあ道すがら昨夜のことを話してもいい? そうしたら僕もうまく殺気を隠せると思うんだけど」
シーゼルは、何が何でも話したいらしい。
カイネが目を見開き、そしてそのまま前を向いてしまった。ああ、これはヒースよろしく、ということだ。
「あの、お手柔らかに」
剣で切り合いになるよりはましだ。ヒースが若干顔を引き攣らせながらそう言うと、シーゼルは実に嬉しそうに「うん!」と最高の笑顔を見せたのだった。
次回は明日投稿予定です。




