聖夜のさがしもの
聖夜のさがしもの
それは記憶を探す旅だった。
雪の降る寒い日。
長い長い旅を終え、ここにひとつの命が終わろうとしていた。
その男は古びた民家で暖を取っていた。
傷み続け、くすんだ印象を受ける民家は、築五十年は経過しているだろう。
そんな家屋の窓辺には、ぽっとひとつ明かりが灯っていた。
明かりの中心部である和室は驚くほど物がない。
殺風景でがらんどうな部屋には、もちろん賑わいはなく、男がただひとり、○○の仏壇越しに座っていた。
不思議な魅力を感じる男であった。
顔も体格も平凡で特筆することはない。
おそらく若かりし時もそんな美しくはなかったであろう。
肉体もかつて屈強であった名残はあるも、今の男の身体はやつれていた。
息を吐く。
男は大きめの薪ストーブを陣取りながら、ゆらめく焔を見つめていた。
みすぼらしい様相ではあったが、男の瞳には力強さが宿っていた。
そんな男が覚悟を決めていた。
もうすぐ迎えが来る。
私の摩耗した身体、心を労るように、まもなく魂が解放されようとしている。
光を失い、音も絶え、味すら覚束ないこの身なれど、残された機能があった。
しかし、それも今日で消失するだろう。
脳裡に浮かぶ記憶はほとんどない。
だから全身病に侵され蝕まれた苦痛もまた、刹那に過去になる。
そんな男が思い出すのはひとつだけ。
そのひとつを今生の最後に……記憶を探す旅に出よう。
瞳を閉じる。
すると、突然景色が一転し、眩いばかりに溢れる赤と白。
目の前には亡くしたはずの色彩が、世界が、広がっていった。
しゃんしゃんしゃん、しゃんしゃんしゃん。
小気味よい鈴の音と共に、始まりは決まってジングルベルが流れていた。
通りにはサンタの格好をした若者、家路を急ぐスーツの男女、子供の手に引っ張られながら店に向かう家族……。
商店街を見やれば、クリスマスケーキの見栄え良さ、イルミネーションの輝き、楽しげな声と音楽などなど……。
郷愁を覚える……その包まれた空間全てが、いきいきとしていた。
しかし、行き交う人々は目まぐるしく移り変わり、私には個人を認識できない。
記憶の欠如した私にとって、この風景はただの舞台装置になっているのかもしれない。
それでも、私は足を送り出す。
身体が覚えているのか、この流れには逆らえないのか、私はお店に入り、〇〇へ用意していたカルティエ小箱を受け取りケーキを買い、中央広場の噴水公園のベンチに座る。
そしてかじかんだ指先を温めるため、100円自販機の缶コーヒーで暖を取る。
ふわり。
ちらほら踊り始める白雪の精。
そんな景色を眺めながら私はおもむろに語り出す。
「ああ……初めて過ごした聖夜は苦しかったな」
(貴方のことを全然わかっていなかったから)
そう言の葉がかえってくる。
「翌年の聖夜は楽しかったな」
(貴方と飾らず自然に話せたから)
独白と内心。
内心の言葉は紛れもなく私が創り出しているのだろう。
だが、〇〇がこの場にいたら、一言一句違えずこう応えるであろうという不思議な気持ちがあった。
そんな久しぶりの語らいに私は心の底から気持ちを吐き出す。
「3年目の聖夜は忘れられないな」
(貴方と寄り添う覚悟を決めたから)
「4年目の聖夜は厳しかったな」
(貴方と本気でぶつかったから)
「5年目の聖夜は感慨深いな」
(貴方との不変の宝ものに恵まれたから)
「6年目の聖夜は目まぐるしかったな」
(貴方と初めてを何度も味わったから)
「7年目の聖夜は涙が出たな」
(貴方との宝ものが一度にふたつも増えたから)
「8年目の聖夜はごめんな」
(貴方の身体が心配だったから)
「9年目の聖夜は驚いたな」
(貴方と私に仕草がそっくりだったから)
「10年目の聖夜は再確認したな」
(貴方を選んだ私が間違っていなかったから)
思い出すのは聖夜の記憶……それも一片の会話のみ。
それで十分。
それだけで私はかつての活力を取り戻していた。
「20年目の聖夜は辛かった」
(貴方は宝ものを見守る決意を示したから)
「30年目の聖夜は寂しかった」
(貴方が認めた人ですもの、きっと大丈夫だから)
「40年目の聖夜はほっとした」
(貴方は最後まで守ってお勤め果たしたんだから)
「50年目の聖夜なのにな……すまん」
(大丈夫、先に行って待ってます)
ああ、金婚式、結局あげられなかったな。
少しの未練、それは忘れて久しい感情だった。
「51年目の聖夜……」
「52年目の聖夜……」
記憶の旅に終わりが見える。
そして、今日が53年目の聖夜……。
「そうか、ようやく会えるのか……」
既に私には顔も名前も仕草も全て思い出せない。
それでも、いや、だからこそ魂が記憶している。
私の魂が、これから会う人は私が惚れて惚れて惚れ抜いた人であることは間違いないと、溢れんばかりに訴えている。
だから、最後に私は笑うのだ。
「こんな初々しい気持ちで人を待つのは新鮮だ……ああ、これが初恋ってヤツか」
今年の聖夜。
ひとりの男が、さがしものを見つけて新たに旅立っていった。
ここまで読んで頂きありがとうございます。
少し古くさいイメージとは思いましたが、これで良いと思いそのまま描きました。
時代を経ても不変のモノはあると信じています。
次回作は心機一転で子供向け童話らしく寄せていきますのでよろしくお願いします。
楽しんで頂けたら幸いです。