『禮豊農夢:らいほうのうむ』
崑崙。そこは仙人の住まう修行場であって、一説に浮島である。
そこで仙籍を入れた新参の少年はまだ十四歳であって、そして『愚者』と呼ばれた。
その者がなぜ『愚者』と呼ばれるかに至るに、名を呼びたくないからである。
なにゆえと問われるならば、「それが『愚者』そのものだからである」と主張される。
その『愚者』にももちろん親からもらった名はあった。
そしてその『愚者』と同じ名前がもしいたのなら、迫害の対象になりかねない。
それ、故にである。
その『愚者』が『愚者』たるべく何をしたのか、語ってみようかと思う。
遡れば、それは王族の生まれの双子の男児の出生と言う事実であり、
皆がお家騒動を理由に両者を別けたこと・・・
それが吉と出たのか凶と出たのか、
それはこの話が終わっても、
おそらくは決着がつかない・・・
とても情緒的なことなのだろう。
双子だったから、と言う、問題では、ない。
そして都に住む『愚者』に対して、『賢者』と呼ばれる片田舎に住む少年がいた。
そもそもが、出生の折りどちらが兄か弟か分からなくなったことが原因。
そして「男ならどちらでもいいだろう」と、棒の部分の話になった。
それはその家の大人たちによる誤りであって、これから語る『双子』の非ではない。
そうして絡みゆくなにがしかの運命の糸は、ひとつの「ほつれ」を無視して編まれた。
『愚者』が仙人として不思議な力を持て余すのにそう時間はかからなかった。
勝手に下界に降りて、都を襲った。
その始まりとして、偶然目の合った母娘の花園を犯し、結局のところ殺めた。
それを面白がった者からの好意もむなしく、『愚者』はひとりで行動をした。
すくなからず、『愚者』に憧れる命が存在していることをここで記しておこう。
そして『愚者』はその美学かもしれない己の決まりがあるのか、その者たちを殺めた。
そして、それを『見せた』。
それに魅力を感じているなら、魅力の魅の字で『魅せた』とでも言うのだろう。
ただ見せられていた片方は、それを悪夢だと思っていた。
『愚者』の凶行は、都全域に達した。
仙人の不思議なる力を持ってして、まず都だけに暗雲がたれこめた。
そしてある程度の罪人の脳天に雷を落とし、発火させた。
苦しみもがく罪人たちをせせら笑って「神の奇跡」だと叫んだ者も民にいた。
その人体を燃やした炎は都のあちらこちらで、木造の家の多くを焼いた。
それでものちに『愚者』と呼ばれる少年を、罪人をやっつけてくれた、と言う者はいた。
何が気に食わぬのか『愚者』、その発火した炎を大きくして、都に大火事をもたらした。
そして、まるで中華鍋に味付けの醤油を差し回すかのように、都に水を蒔いた。
炎に水をかければ火事はおさまるのでは、と思われたかもしれない。
ただ、水は炎により蒸発することがある。
それを、『愚者』は知っていた。
都の大火事に水を蒔いて霧散した蒸気が、民の身体を蒸した。
そしてその蒸気に乗った匂いを、風に乗せた。
その匂いをかいで吐瀉をして、のどを詰まらせて死んだ者もいた。
小雨はつづき、火事で家をなくした者たちは端から腐っていく。
都を助ける術はなく、隔離された場所。
近しく生まれ飢餓で死んだその赤子を、まだ新鮮だと言って食む者もいた。
『愚者』はただただ、都の上空に浮いている状態で、それを高見の観察に使った。
・・・一方その頃。
謎の悪夢にさいなまれている『賢者』がひとり、井戸の水をくみ上げていた時である。
突然近くに現われたその気配に、『賢者』は振り向いた。
そこにいたのは杖を持った老人で、自分は仙人であると言った。
白づくめとでも、呼ぼうか。
その仙人は衣や長いヒゲや多少禿げている頭に残る長髪などが白い。
まるで色を抜いたかのように真っ白だ。
何かご用ですか、と『賢者』が訪ねるに、仙人は話をしたいと切り出した。
貴殿を仙籍に入れたい、と。
なにゆえか、との当然の問いに、元始天尊と言う仙人は答えた。
きっとあなたは役に立つ。
どういうことなのか、との『賢者』に、仙人は都での惨劇を語った。
そしてその『愚者』は『賢者』であるそなたの双子の兄か弟である、とつづった。
崑崙にいる仙人の全員でで対処すればいいのではないのか。
その問いに、元始天尊は口元を尖らせたが、長いヒゲで見えないので時間を余した。
何かお考えがあるのですよね、と問われる。
貴殿に解決を願いたい、と綺麗で真っ白な長いヒゲを手入れするかのような仕草。
それに機嫌を悪くしたのか、どういう意味だ、とがなられる。
たった十四歳のそのがなりに、仙人はたじろぎそうになった。
その『中身』がふたつかみっつ多いのではと、かつて才能を謳われた長い頭。
額には、他者のためにしか使えない『賢者の石』。
この賢者の石で、『愚者』が納得すれば、『愚者』が消えると言う仕掛けをした。
元始天尊はそう言った。
それでいつ納得されるのか、その『愚者』とやら、と『賢者』。
己の見えている悪夢を、「見せられている」ことに気づいた彼は言った。
「なぜ我なのか」
あなたに「見せている」からには、何か執着をしているに違いない。
そう踏んだ、と仙人。
人間より脳みそが大きいのに、収録されているどんな言葉をかけても効果がなかった。
双子のきょうだいである貴殿に、何か心あたりがあるのかもしれない。
少なくともあの惨劇のとっかかりとして貴殿との関係があるはずなのだ、と。
何が言いたい、と『賢者』。
長い杖の底を芝の張った地面に力強く叩いて見せる元始天尊。
貴殿は稀代の王となる者である。
高らかに言い放った仙人に対して、『賢者』は少しの間を置いてその場を去ろうとした。
待たれよ、なぜだ、待たれよ、と懇願された『賢者』は真剣に帰宅したいと思った。
森の道の前まで来ると、不思議な力で先回りしていた元始天尊に対面する。
呆れた様子で仙人を見て、仙人たちが動かないのはなぜだ、と問う『賢者』。
意味が分からない。
その元始天尊が放った一言のきっかけは、『賢者』の眉根のしわを深くするに充分だ。
仙人が言った。
十四歳と言う年端で仙人になった貴殿の兄か弟は、崑崙で可愛がられていた。
各々の不思議なる力を「意味が分からないから少し貸してくれないか」と言われ、
少しなら、と分けてしまった、と。
そして都にやって来た不幸について、仙人たちは「意味が分からない」と。
なぜ急になのか策略なのか、そんな意味の分からないことをしたのか、と思っていると。
事情によっては許すかもしれないが、その事情が分からぬ、と。
どうも話が通じているのかも分からないが、意味が分からないだろ、と言われると。
それについて、崑崙全員が「意味が分からない」と。
唯一、貴殿にだけは興味を示す双子の兄か弟。
ぜひ貴殿に仙籍に入ってもらい、彼の者が不必要であるなら、納得させて欲しいと。
さすれば賢者の石の力が働き、『愚者』は灰となって消える。
しばらくの間ののち、仙籍に入らないとその者に会えないのか、と問われる。
いかにも、と元始天尊。
ならば崑崙の様子を見たいから連れて行ってくれ、と『賢者』。
元始天尊は雲を呼び、そしてそこに『賢者』を乗せると浮島である崑崙に向かった。
仙籍に入った『賢者』は、崑崙で『愚者』に間違われた。
そして兄か弟であるその『愚者』が、群れない理由を察した。
彼の者が色んな意味で「可愛がられていた」ことを知る。
そしてその寵愛の代わりに、不思議な力を少し分けでもらっていたこと。
そして妙に情が移った『彼』を、崑崙全体が討伐にくじけていることに。
ひとりでいい、と『賢者』は言った。
宙に浮く術を得た『賢者』は、都の上空へと訪れた。
そこにいたのはまるで鏡映しかのように、瓜を二つに割ったかのような姿、ふたつ。
衣は違えど、その姿形が骨の作りまで似ていることはすぐに分かった。
球体の防御壁に包まれたふたりに、小雨は球体をかたどった。
何の気まぐれか、『愚者』が指を鳴らすと小雨は止み、段々と天候は晴れた。
みるみるうちにやって来る快晴。
そこに誠意を見せた『賢者』が球体の防御壁を仕舞うと、『愚者』もそれに習った。
君が「見せて」いたのか、この惨劇を。
すると『賢者』のその問いに、『愚者』は微笑んだように見えた。
対面している距離を少しずつ縮め、表情が見えるほど近くへ。
よう、きょうだい。
本当に「見えていた」のか。
素晴らしい悪夢だろう?
意味が分からないだろう?
何の意味がある?
だから、意味が分からないだろう?
己に似ている姿と対面している者からの、まるで無邪気に見える態度。
それに、自然と涙をこぼす『賢者』。
ほほに伝った滴を拭うのも忘れ、片割れを優しく抱きしめた。
やっぱり意味が分からないんだね。
兄さんなのか弟なのか分からないけれど、君となら組んであげてもいいよ?
まだ、気は晴れないのか。
何のこと?
意味分かんない。
『賢者』は抱きしめる腕に力を入れて、
そして「こんな形で会いたくなかった」と誠の言葉を涙と共にこぼした。
どいういう意味?
意味が分からないよ?
泣くのをやめなよ。
『賢者』は言った。
お前のしていることは罪だ。
罰を受けて当然だと思う。
たとえそれが、消滅の刑であっても。
意味が分からないと言うお前の台詞か鳴き声と化したその言葉は、
我には・・・
分からない。
・・・嗚呼、そうなのか。
分からないんだっ?
いっそう嬉しそうに、『愚者』は言った。
「納得した」
賢者の石の力が働き、『愚者』は瞬時に灰となって人型が崩れて風に乗って消えていく。
その灰の一部が手のひらに残った『賢者』は、その灰を握りしめて胸元に当てた。
そのたったひとつかみに足らない血を分けた兄弟の灰すら、雪解けのようになくなった。
のちに『賢者』は仙籍に入ったことから、稀代の王として暁天に登極したと言ふ。
あの者の姿に似ている彼の者が、たとえ『賢者』であれ俗世にいるのを許さない。
民草の、そんな情緒的と呼ばれるかもしれない大半の意見、からだった。




