桜司(おうじ):主人公の金吉標準語ヴァージョン
ふすまが開き、彼女が現れた。
顔の片方、ほほに藍色のバーコードと数字の刺青がある青年の腰が思わず浮いた。
「おおっ・・・お久しぶりですっ」
「金吉さん・・・」
複雑そうな顔をしたが、彼女は微笑んだ。
彼女は数か月前、花魁になった。
金吉はその遊郭へと、足を運んだのだった。
「なに、おあしの心配はしないで下さい。村の山で珍しい薬草を見つけたんです。街の医者に見せに行ったら、高額で買ってもらいました」
「それで、その賃金でここへ?」
「気にしないでくれ。自分が勝手にしたことだから」
しばらくの間。
遊女は目を伏せた。
その眼から、しとしとと涙が流れる。
「お会いしとうございました・・・」
「自分も、です」
そして二人は、契りを交わした。
ことを終えたあと、金吉は次もまた来ることを約束して遊郭を出た。
顔の片面に藍色の刺青がある男、金吉は、足しげく想い人のいる遊郭へとおもむいた。
何度目の訪問であっただろうか・・・
「金吉さん、表の桜を見ましたか?」
「ああ、見たよ。なんでも、時期が来ると植えられて、過ぎると根っこごと引き抜いて場を移すらしいね」
「あい」
「なんでなんだろうね?ずっと置いていればいいのに・・・」
「あちきが思うに・・・」
「ん?」
「あちきが思うに、『根付くように、そしていつか出ていけるように』やと思う」
数秒の間・・・。
「ああ、吉原の女たちの文化と環境、か・・・」
「あちきには、そう思えてなりません」
「そうか・・・」
「あい」
彼女は遠い目で言った。
「あちきもいつかは、あの桜のように、ここを出ていきたい・・・」
金吉は目を見開いた。
「きっとですっ、最善をつくしますっ」
知り合いが相次いで山の事故で亡くなって、金吉は心を病んだ。
しばらく遊郭へは行かなかった。
やっと踏ん切りがついて遊郭に行くと、なぜか裏口へ回るように店の者に言われた。
「は?孕んだ?」
店の者はうなずいた。
「父親はあんたさんや」
金吉は目を見開いた。
「何を・・・今、腹の具合はどれぐらいでっ?」
「五か月」
「計算が合わない。五か月、俺はここに来てないっ。誰の子供ですかっ?」
「しっ」
口元に人差し指を当てた店の者は、いきさつを話してくれた。
「あのこは身体が弱い。よく床に伏してる」
「それは知ってますけど、それが何なんです?」
「寝込んでるとこ、手ごめられたんじゃ」
「はっ?番頭、言っていうのかなっ、用心棒はっ?」
「孕ませたんは、そいつら、じゃ」
金吉はしばらく、何をどう思っていいのか分からなくなった。
呆然と愕然として、店の者に肩を揺さぶられてしばらくも、応えられなかった。
「しっかりしいっ。父親はあんたさんやっ」
「どういう・・・こと、なんだ・・・」
「あのこが、『お腹の子の父親は、かねきちさんや』って言ってた」
「なんで・・・」
「あんたさんのこと好いとるからに決まっとるやろ。自分ひとりで育てるつもりらしいねんけど、大変やねん。あのてごめた連中、自分達の中の誰かがめとる、いうとんねん」
「はっ?」
「せ・や・か・らっ」
店の者は掴んでいる金吉の肩をさらに揺さぶった。
「あんたは父親やっ。頼む。生まれたらすぐに、赤ん坊連れて逃げておくんなましっ」
「な・・・」
「死産や、って嘘つこうって、店の者たちが言うたんじゃ。せやから、頼むっ」
「彼女は・・・彼女はどうなるんですっ?」
「身体が弱すぎる・・・子供産んだら、助かる見込みない。医者が言っとった。せやからじゃ。彼女は感づいとる。子供産んだら、動けなくなるか、死んでしまうこと・・・」
気づいたら金吉は泣いていた。
「なんであのこばっかり、そんな目に合わくちゃいけないんですかっ」
「しっ。大声上げなさんな・・・彼女の最期の願いや。夢やねん。『お腹の子ぉの父親は、かねきちさんや』って・・・」
――――
――――――
そして、臨月、出産日。
金吉は店の者からの手引きで、想い人の産んだ赤子を譲り受けた。
彼女は、助からなかった・・・
金吉は、少しだが字が読める。
彼女からの手紙を、赤子と共に受け取った。
金吉はその文を開いてみる。
しばらく、その内容を眺めていた金吉。
抱きとめている赤子のあどけない顔を見て、泣きながら笑顔を向けた。
彼女からの短い文には、金吉のために送り仮名がついていた。
手紙には、こうあった。
【 桜司 】
金吉は、いつかした、彼女との話を思い出した。
「あちきもいつかは、あの桜のように、ここを出ていきたい・・・」
彼女はたしか、そう言っていた・・・。
金吉は、ぎゅっと赤子を抱きしめる。
「お前の名前は、おうじ・・・わたしの子・・・ずっと、ずっと、だ・・・」
金吉は吉原を出て、そして赤子と共に、姿を消した。




