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忍びの道 鉄心

作者: 輪島 仁



水音ささやく沢の川べり、一人の男が焚火の前に腰かけていた。顔まで覆う全身黒装束、唯一除く生身の眼光は、暗く、鋭く、鋼のように冷たく輝く。


男は懐から仕事道具を取り出し、丁寧に手入れを始める。苦無、手裏剣、鎖鎌、一つ一つの不備を確かめ、磨き上げ、火で燻して光を消す。光の反射は、なければないほど好ましい。闇に溶けざる鋼の輝きは、闇に生きる者には邪魔である。


丹念で執拗な整備により、心を刃へと研ぎ澄ます。

これは一つの儀式である。抜け忍殺しに必須の鉄心、眉一つ動かさぬ非情さは、日々の細々した所作を積み重ねて作られる。道具と己を一つとし、初めてなせるものである。彼自身もまた、「標的」を狩るための一振りの刃となる。これより先、かつての仲間は「人」ではなく「標的」となる。


焚火の炎に男の瞳が照りかえる。

これより先は修羅の道。帰り道に仏は居ませぬ、光の指さぬ外道なり。




薬師に化けて村に入ると、男はまず村長の家を訪ねた。情報の少ない日々の中、少しでも娯楽が欲しいと、長に頼まれる。


「戦のほうは、いかがなもので?」


問いかける長の声音には不安がにじむ。時は戦国、乱世の時代。この村のすぐそこまで、地元の野武士が迫っている。しかしそれは口にはださない。むしろ自分が殺した後に野武士が荒らせば、この村に痕跡は残らない。


計算高くそう考え、男は言葉巧みにはぐらかし、標的のことを聞き出した。そして予想だにしない事実に驚いた。


「……子供?」

「ええ。生まれるのは……そう、あとひと月というところでしょうか」


好々爺といった表情で顔をほころばす村長に、男はただ黙り込む。


「今日はいかがなさるので? よろしければ一夜でも、泊ってゆかれては?」


その申し出に小さく頷き、通された部屋にて刃を磨く。


抜け忍狩りが男の任務。標的には死あるのみ。かつての友も今日の敵、一度、道を違えれば、もはや一筋の情もなし。心に刃を置いて鉄心と為す。たとえその標的が、腹に子を持つ女であっても。


忍びとは、人にして人に非ざる獣なり。忍びの道は外道魔道の類なり。ただ刃を研ぎ澄ます、殺しの道具にすぎぬなり。




夜半、丑三つ時。音もなくとある家を訪れた男は、家の壁板の前でぴたりと止また。家の中に、かすかに身じろぐ気配がある。明らかな同輩、しかし動きは鈍い。やはり身重であるがゆえか?


一言、男は声をかける。


「殺しに参った」

「……」


返事はないが、気配はある。

動揺はさそった。この隙をつけば容易に殺せる。命を絶てる。腹の子供の命ごと。


しかし男は、続けて尋ねた。


「幸せか?」

「……」


返事はない。が、気配はあった。それで察する。


「そうか」


武器を収め、背を向ける。闇に溶けるその背中を、朧な月影がさやかに照らす。

忍びの道は非情の道。情ある者には生きるも歩むもままならぬ。人の道とは交わらぬ、悪鬼羅刹の道である。

そして、一月が経過し、小さな産声が上がった。




夜半、丑三つ時。


沢を行軍する一団があった。くだんの噂にあった、あの野武士集団である。


ふと、一人の野武士が倒れた。


「おい、どうした?」


助け起こそうとしたもう一人が、倒れる。三人目が何事かと顔を向け、はじめて気づく。倒れた二人に、手裏剣が刺さっている。それが死因と察した瞬間、その男もまた倒れる。


一気に集団が騒然とした。その混乱を縫って一つの影が忍び寄り、闇夜に苦無をひらめかせた。


多勢に無勢。しかし怯まず、退かず。


鍛え上げた鉄心は、死の恐れなど感じない。ただ、挑むのみ。





一年の月日たち、幼子が大工道具の手入れをしていた。母親が、わずかに苦笑しながらそれを見守る。


「あなたは、伯父さんにそっくりね」


首をかしげる我が子を抱き上げ、母は墓参りに連れてゆく。


村はずれに、無縁仏の墓がある。


そこに誰がいるのか、子供は知らない。村人も知らない。ただ、かつて忍びであった一人の女だけが知っている。


かつて村を守った、一人の忍びがいたことを。


それでも女は語らない。


それが世を忍ぶ、忍びの道であるがゆえに。


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