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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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 その頃、隋の文帝はいよいよ中国統一の夢を達成しようと考えていた。

 前年に梁では明帝が崩御し、息子の(さい)(てい)が即位した。靖帝は博学で弓の名手でもあり、聡明な君主として人々の尊敬を集めていた。だが、梁の人々もこの国の生殺与奪が隋に握られていることは、判っていた。それはいかに聡明な君主であってもどうしようもない運命であった。

 文帝は靖帝に対して隋の首都である長安に住むよう求めた。そうすると実質的に梁は亡びたのも同然である。この文帝の要求を巡って梁は紛糾した。

「朕は長安に行こうと思う。」

 重臣・皇族の集まった場におけるこの靖帝の言葉を、半分は意外に思い、また半分は止むを得ないこととして受け止めた。

「しかし、朕は国を亡ぼすために行くのではない。国を守るために行くのである。既に多くの朕の民が隋に渡っている。朕の妹も、だ。」

 靖帝がそう語ると泣きそうな顔で頷く者がいた。

「兄上!いくら陛下の言葉であってもそれだけは承知できませぬ!」

 そう叫んだのは、靖帝の弟である蕭瓛(しょうけん)だった。数えで十八歳の彼は、有能な若手の皇族として注目を集めていた。

「兄上は天命を受けて皇帝になられたのではないのですか?天命を受けて皇帝に即位した兄上が、どうして、国を追われなければならないのです!隋が理不尽なことを言えば戦えばよいのです。天命を受けている兄上が負けるはずがありません!」

 それを聞いた靖帝は哀しそうな顔をした。自分の境遇ではない、この期に及んで天命を信じている弟の純粋さが、哀しかったのである。

「天命は徳のある者に下るそうだ。天は、有徳のものを皇帝にするらしい。」

 そう言うと、靖帝は一同を見渡した。中国には「天命思想」というものがある。天によって説くのある者が皇帝となるよう定められている、というものだ。もしも皇帝が徳を失えばその王朝は亡びて、別の説くのある人間が皇帝になる。つまり、皇帝とはただの人間ではなく天が選んだ存在である、という思想である。

「だが、父上に徳はあったのだろうか?朕には生まれてから一度もあったことのない妹がいる。二月に生まれた、というだけの理由で父上が捨てた妹だ。その妹は今、隋の晋王の妃となっている。父上に徳があったのだろうか?仮に父上が有徳だとして、徳がある者でも娘を捨てるというのであれば、徳とは一体何なのだろうか?」

「兄上!しっかりしてください!兄上こそが天命を受けた唯一の皇帝ではないのですか?」

 天命を無邪気に信じる弟を見て、靖帝はある意味羨ましさを持った。靖帝は自分が天命を受けているとは微塵にも思っていない。天命を受けて統治する国が、隋の属国なのだろうか?もしも天が皇帝を選んでいるというならば、真の皇帝は自分ではなく隋の皇帝のはずである。

「とにかく、長安に行くことは朕の意思である。朕の命令に逆らうことは認めない。朕と共に居たいものはついてくるように。」

 そう言うと靖帝はその場を切り上げた。蕭瓛の不満と哀しみと憤りに満ちた表情は逢えて無視した。

 こうして靖帝らは梁を出て隋に向かった。その一行には靖帝の叔父の張軻(ちょうか)の姿もあった。

「隋には貴殿が育ててくれた、まだ見ぬ妹がいるそうだな。」

「陛下、私の身に余る光栄でした。分不相応な真似をお許しください。」

「何を、朕は顔を知らぬが汝は妹の顔を知っているのであろう。それも天命であったということだ。」

 しばらく沈黙が続いた後、靖帝は続けた。

「妹も里親と会えて喜ぶであろう。」

「勿体無い言葉であります。ここに璃茉(りま)もいれば、どんなに喜んでいたことでしょう。」

「汝の娘か。陳に行ったきり、消息不明であると言うな。」

 璃茉のことは長安にいる璃瑙(りのう)も案じていた。

 ある日、璃瑙は夢を見た。夢の中には姉の璃茉が立っていて、こう言った。

「璃瑙!璃瑙!逢いたかった!」

「お姉ちゃん!どうしたの?いつの間に梁へ帰ってきたの?」

「ここはもう梁じゃないでしょ?」

「ああ、そうか、ここは長安だった。」

「隋でもどこでもいいわ、お願いがあるの!」

「どうしたの?」

「私は、百済の日羅という男に殺されたのよ!百済を滅ぼして!」

 あまりにも気迫に満ちたその言葉に、璃瑙は思わず目を覚ました。目が覚めてもその臨場感は消えない。もしも本当に姉が死んだのだとすると、目を覚ましたことで姉とは二度と会えなくなったかのかもしれない。そう思うと、強烈な後悔と寂寥感に襲われた。

 璃瑙はこのことを蕭白慶(しょうはくけい)に相談した。蕭白慶はあまりの話に即答できなかったが、とりあえず占い師を家に呼んだ。すると占い師は易で占いながら

「それは事実だね。残念ながら、君のお姉さんは亡くなっているよ。」

と、璃瑙に継げた。璃瑙はそれを聴き泣き崩れた。

「璃瑙、落ち着いて!もうすぐ張軻も来るんだから!」

「父上にも姉の死を告げなければならないのですか?」

「――そうよ。亡くなったことを無かったことにはできないわ。残された家族が供養してこそ、死者も浮かばれるのよ。」

「それじゃあ、姉を殺した悪魔を殺してください!百済とか言う、東夷(とうい)の悪魔の国を亡ぼしてください!」

 「東夷」とは中国が東方の国を見下して言う言葉である。

「そうね、また殿下にも頼んでみるわ。」

 そう言って璃瑙を(なだ)めた後、白慶は夫の晋王楊広に相談した。

「百済を滅ぼすことって、できるかしら?」

「何を言っている。俺は皇帝でも皇太子でもないから、そんなことできっこしない。」

「そう。じゃあ、皇帝になればできるのね?」

「不穏なことを言うなよ。俺は次男だ、皇帝になどなれる訳がない。」

「私の夫がそう弱気では困るわ。璃瑙の姉がね、百済に殺されたそうよ?」

「政治は私情では動かないが・・・まぁ、梁に陳を平定した次に狙うは、東夷の国々だな。」

「そうでしょ?って、梁を亡ぼす気なの?」

「――お前には申し訳ないが、父上はその気だ。」

「判ったわ。仕方ないわね。」

「すまない。」

「いいわ。梁は私を捨てた国だもの。とは言え、血を分けた兄に逢ってみたい思いはあるけれど。」

 数日後、靖帝の一行が長安に到着した。靖帝は文帝に対して儀礼的な謁見をした後、まずは自分の妹の白慶とその夫の晋王に逢いに来た。

「お兄様、はじめまして。白慶です。」

「白慶か。逢いたかった。父上のせいとは言え、お前に何もしてやれなくて申し訳ない。」

 靖帝がそう言うと白慶は泣き出した。

義兄様(おにいさま)、ここに来てから白慶が()くのは始めてです。」

「そうなのか。これまで我慢させていたのだな。何もできず、本当にすまなかった。」

 そう言いながら靖帝の目にも涙が浮かぶ。

「晋王殿下。」

「はい!」

 晋王は慌てて背筋を伸ばす。曲がりなりにも皇帝である靖帝に「殿下」と呼ばれて、それも媚び(へつら)いではなく凛とした言葉で言われたので、恐縮したのだ。

 晋王も靖帝のことをどう呼ぼうか悩んでいた。隋の皇族である自分が梁の皇帝を「陛下」と呼ぶわけにはいかない。だが、異国の者とは言え義理の兄である。というわけで「義兄様」と呼んでいたのである。

「私は、恐らく自分の国を守ることも出来ないだろう。だが、妹のことは守りたい。殿下、どうか妹の願いは叶えてやってほしい。」

 靖帝は力を込めて晋王に言った。

「わかりました。」

 靖帝の言葉に、晋王はそう言って頷くしか無かった。


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