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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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 永陽王は従兄である陳の皇帝・陳叔宝に招かれて南京に来た。

 陳の首都である南京は華やかな建築物に囲まれていた。

 金銀財宝で飾れられた建築物が随所にある。街には物乞いもいない。庶民も煌びやかな服を着ているのである。

 南京の人々は陳が地上でもっとも繁栄している帝国であることを疑っていなかった。まさにこここそが、地上の中心である中華なのだと、確信していたのである。

 永陽王が宮殿の門に立つと立派な服装の兵士がやって来て彼を案内した。連れて行かれたところには、三十メートルは軽く超えると思われる高さの楼閣が3つもあった。

 楼閣からはどこからともなく甘い香りが漂う。香木で出来ているのである。

 陳の皇帝の楼閣は3つあった。一つは皇帝と皇后の住む臨春閣、もう一つは皇帝の寵妃である張麗華貴妃の住む結綺閣、最後は他の寵妃の住む望仙閣である。永陽王が案内されたのは臨春閣であった。

 臨春閣に招かれるのは破格の待遇である。それは永陽王が単に皇帝の従弟であるというだけではなく、皇帝が永陽王を気に入っている証左であった。


「陛下が来られるまでお待ちください。」


 そう言いながら兵士は頭を下げる。その下げ方は美しさすら感じた。その兵士の腰に剣はなかった。剣はさりげなく部屋の外に置いていたのであるが、いつの間に剣を外したかも永陽王は気付かなかった。


「これは、これは、永陽王殿。お久しぶりである。」


 宮殿の主である陳叔宝が入ってきた。彼は先代の宣帝の後を継いだ、新しい陳の皇帝であった。


「永陽王殿の好みの料理があれば何でも作らせるゆえ、遠慮なく言ってくれ。」

「いえ、陛下。私は大丈夫であります。それにしてもさすがは陛下の宮殿、兵士から使用人から、装飾品まで何もかも行き届いておられますね。」


 永陽王は本心からそう言った。


「そうであろう。朕は隋や梁ではなく、この陳こそが中華であると見せつける責務がある。そのためにはまず、民のことを知らなければならない。」


 そう語る陳叔宝に永陽王は静かにうなずく。


「民のことを知るためには役人に任せていてもダメだ。朕は街を歩く巫覡も宮殿に招いて庶民の暮らしを知るようにしている。」

「そうでありますか。」

「いかがわしいシャーマンなど招くな、という者もいるが、庶民の暮らしを知ることは大切なのだ。」


 彼がそういった時点で料理が運ばれてきた。二人では食べきれないほどの量であった。


「なぁに、気にするな。時間をかけてゆっくりと食べればよい。朕も汝から聴きたい話は山ほどある。」


 そう言いながら皇帝は料理に箸を付ける。その食べ方もとても優雅である。


()()から君の話は聞いている。」


 彼は皇后の名前を口にした。

 沈婺華(ちんぶか)皇后は物静かで欲がなく、聡明で記憶力に優れている女性であった。皇帝の陳叔宝が張貴妃を始めとする他の妃に入れ込んでいても嫉妬しない。皇帝が他の女と戯れている間は静かに書物を読んで自らの教養を深めていた。

 智慧のある女性は何かと謀略を図るのが中国史の常であるが、沈婺華に限ってそのようなことはなかった。陳の皇室では何度も暗殺その他の謀略が起きたし、陳叔宝自身も即位の直前に殺されかけたが、沈婺華自身は良くも悪くも謀略を行うことはなかった。

 そのことが陳叔宝から信頼を得ていた理由の一つかも、知れない。そして、物静かで教養のある女性は陳叔宝の趣味にも合っていた。


「皇后殿下に御覚え戴けるとは光栄でございます。」

「汝は皇族の中で最も教養があるそうではないか。汝こそ陳の国に相応しい逸材であるぞ。」


 そう言いながら皇帝は美酒美食を優雅に口に運ぶ。

 そして二人は漢詩や学問の話を楽しんだ。永陽王の教養の深さは陳叔宝を大いに満足させた。


「朕は汝を翊左将軍に任命しようと思うのであるが、どうであろうか?」


 皇帝は永陽王に言う。将軍は武官ではあるが、当時の陳では文官が将軍になることは日常茶飯事であった。


「ありがたいお言葉であります。」


 永陽王は恭しく頭を下げる。


「領地のことは部下に任せて、今後は首都に住めばよかろう。」

「承知致しました。」


 こうして永陽王は晴れて都の一員となった。


「陳の文化水準を上げることは何でも朕は歓迎であるぞ。」


 食事を終える際、陳叔宝はそう永陽王に述べた。


「承知しました。私も心当たりのある文化人がいれば都に呼び寄せようと思います。」

「うむ。それでこそ朕の従弟じゃ。」


 そう言って陳叔宝はご機嫌な顔で永陽王を送り出す。

 さて、永陽王は翊左将軍に就任し南京に居を構えると早速、教養の高い者を都に呼び寄せようとした。

 とは言え、中国の伝統的な教養である儒教に長ける者は既に多く都にいる。また、道教についても皇帝や張貴妃が数々の巫覡と親交を持っていることもあり、永陽王がわざわざ呼び寄せる必要があるほどのものではない。

 ここで永陽王の脳裏に浮かんだのが、智顗であった。


「儒教や道教の教養の深いものは多いが、仏教についてはどうもいないようだ。かつて南京には慧思の弟子である智顗と言う高僧がいたが、彼はどこにいるのであろうか?」

「永陽王様、彼は今天台山に籠っております。」


 そう語ったのは永陽王の部下の高智慧(こうちけい)であった。


「そうか、確か慧思はもう亡くなったという。慧思亡き今、智顗を超える構想はいないだろう。智慧よ、どうか天台山まで行って智顗を招聘してくれないか?」

「承知しました。」


 こうして高智慧は天台山へと向かうことになったが、その前に折角永陽王の転勤に伴い南京に来たのであるから、南京にいる旧友に逢おうと思い彼の家を訪ねた。


長威(ちょうい)、久しぶり。」

「おお、(けい)()ではないか!」


 ここで長威と呼ばれたのは陳の名門の家に生まれた若き官吏の陳稜である。長威は陳稜の字だ。対して稽義は高智慧の字である。


「最近南京に引っ越してきたからと言うから、こちらから会おうかと思っていたところだ。」

「それは有り難い。だが、南京に来て早々に天台山への使いを命じられてな。」

「天台山?仙人にでもなりに行くのか?」


 天台山は古くから仙人の住む道教の聖地であると信じられていた。


「まさか!この俺が仙人など務まるものか。」

「それはそうだな。しかし、公務で天台山に使わせるとならば、仙人から不老不死の薬を貰って来いとか、そういう話だろ?」

「そうそう、この俺があの徐福でも貰えなかった不老不死の薬を手に入れて陛下に献上するのだ。」

「すると、今上陛下は秦の始皇帝を超えることになるな!」

「始皇帝を越えるのであればさっさと隋を滅ぼすことも可能だな。って、冗談はここまでにしておこう。俺が会いに行くのは仙人ではない、僧侶だ。」

「僧侶?ってことは仏教だな。俺が知る限りでは、智顗という男が天台山にいるそうだが。」

「そう、その智顗だ。」

「しかしなぁ、仏教って所詮は西戎(せいじゅう)の教えだろ?中華の教えではない。」


 西戎と言うのは「西の野蛮人」という意味である。陳稜は仏教が中国ではなくインドの教えであるため、蔑視していた。


「そうは言っても、仏教がここまで広まっている以上、仏教徒を取り込むのも国のためだ。宗教という者は下手に弾圧すると却って政府に従わないようになる。それは道教だってそうだろ、五斗米道も最初は政府に逆らっていたが、政府が五斗米道に歩み寄るとどうだ、今の五斗米道の道志はみんな今上陛下に忠誠を誓っているではないか。」

「まぁ、今上陛下が怪しげなシャーマンまでをも一緒に招いてしまっているがな。」

「しかし、そのお蔭でそういう如何わしい信仰を持っている者も国に反逆しなくなっている。素晴らしいことではないかな?」

「確かにそうかも知れない。相変わらず君が国のことを真剣に思ってくれていて、安心したよ。」

「いやいや、俺も長威みたいな愛国心のある仲間がいて嬉しいものだ。で、君は最近どういう仕事をしているのだ?」

「隋の侵略に備えた国防体制の強化を政府に提言している。ここは一つ、翊左将軍だった永陽王様にも口添えいただけると嬉しいな。」

「ほう、友達の頼みだから成功するかはわからないが、一応提案はしてみよう。」

「やっぱり、いつまでも陳が北狄(ほくてき)のやつらに怯えていてはダメなんだ。本来、中原は我々が支配しないといけない。」


 当時の中国は隋と陳とに分かれていた。北は隋、南は陳が支配していたのである。なお、朕の前の南中国の王朝である梁の残党も僅かながら生き残っているが、彼らは事実上隋の傀儡となっている。

 隋の皇帝自体は漢民族であるが、彼らは鮮卑というトルコ系の異民族との混血であった。中華民族主義者の陳稜からすると、隋は北狄の王朝であって真に中国を支配する資格のある国は陳のみ、となる。


「俺の親父は早く譙州(しょうしゅう)の刺史にしてくれ、と願っているよ。」

「譙州と言えば隋との戦いの最前線ではないか。」

「ああ、親父は譙州の刺史になって隋の軍勢をコテンパンにやっつけてやろう、というつもりだ。俺もそれを手伝う気でいる。稽義も出来れば協力してほしい。」

「お、おう。素晴らしい父親を持ったものだな。」

「当たり前だ。今、隋は軍勢を長江付近に集めている。いつでも南下できる準備をしているんだ。それでも何もしない他の官吏と俺や親父を一緒にするな、って話だ。」

「なるほどな。」


 同意を示しつつも、高智慧は陳稜とは別の感想を持っていた。今の陳には軍事力で隋に対抗するのは不可能ではないか、ということだ。

 隋の皇帝は北中国だけでなく梁の残党を通じて南西部をも支配している。三国志で言うと魏が蜀を併合した後のような状態だ。そして、蜀滅亡後の呉はすぐに滅んだ。

 だが、呉は滅んだがその文化は今も残されている。陳も軍事力ではなく文化によって生き残るべきではないか、そう考えると今の皇帝はそのことをよくよく理解しているように高智慧には見えるのだ。


「じゃあ稽義、頑張って来いよ!」

「ああ、ありがとう。」


 意見の違う部分があるとはいえ、二人は国を愛する同志だった。ただ国の愛し方が違うだけだ。

 親友と別れた高智慧はそのまま天台山に向かった。そして勝照元年(西暦五八五年、皇暦一二四五年)、高智慧の粘り強い説得によって智顗は南京に来ることとなった。

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