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間人王のお腹の中に新しい命の宿った鏡當四年(西暦五八四年、皇暦一二四四年)の元旦、奇しくもちょうど同じ日に中国では一人の赤子が生まれた。話はその一年前の鏡當三年(西暦五八三年、皇暦一二四三年)に遡る。
当時の中国は北部を大隋帝国が、南部を大陳帝国が支配していた。元々、南中国は大梁帝国が支配していたのだが、革命で梁を亡ぼし陳が建国されたのである。もっとも、梁の残党は荊州の中心地である江陵(今の荊州市荊州区)で形式的に国を存続させていたが、実質は隋の傀儡であった。
その年、隋の年号では開皇三年に隋の皇帝である文帝は息子の妃になる女性を探していた。長男の楊勇は浮気性な男で、正妃を蔑ろにして多数の側室の間に子供を作っていた。もっとも楊勇は頭脳明晰で軍人としても優秀であるため、文帝も皇太子は長男の楊勇で問題ないと思っていたが、彼に政略結婚をさせると逆に相手の一族との不和を招くため、これ以上側室を作らないように促していた。
一方、次男の楊広はまだ数えで十五歳であり妃は決まっていなかった。文帝は彼を晋王に任命した。王とあればそれなりの身分の妃が必要であるが、あまりにも有力な人物の娘を妃にすると兄の楊勇と帝位を争うかも、知れない。そこで文帝は権力に近すぎず、かといって身分の低いわけでもない女性を次男の妃にしようとしていたのである。
この時、文帝の脳裏に浮かんだのは梁の公主(皇女)であった。梁は隋の傀儡国家であって何の権力も握ってはいないが、腐っても鯛というように没落したとはいえ一時期は南中国を支配していた皇帝の一族である。まさに楊広の妃に相応しい。しかも、南中国の大部分は陳が支配しているが、将来隋が陳を亡ぼして中国を統一する際にも、かつて南中国を支配した梁の皇帝の一族と血縁関係にある方が何かとやりやすい。梁の公主と楊広とを結ばせることは一石二鳥の手なのである。
だが、占い師に梁の公主と楊広との相性を占わせると、結果は全員相性が合わなかった。占い師が悪いと言っているのに無理に見合いさせるわけにもいかず、文帝は悩んでいたのである。
そんなある日、清河郡公の楊素が文帝に面会を求めた。楊素は清河郡公の身分を持っておきながら、何の官職も与えられていなかった。文帝は最初彼を信頼していたが、楊素の野心を警戒し遠ざけていたのである。ちなみに姓は一緒だが楊素は皇族ではなく、別の一族である。
楊素の妻は嫉妬深かった。そこで楊素は妻の束縛に辟易し、こう言った。
「もしも私が皇帝になってもお前を皇后にはしないからな!」
楊素にとってそれは夫婦喧嘩の時の一言に過ぎなかった。だが、この言葉は楊素が帝位を狙っているとして文帝の耳に入ったのである。これを受けて文帝は楊素の全ての官職を解いたのであった。
「清河郡公殿、朕に会いたいとはどういう要件か?」
楊素の接見を許した文帝は開口一番、こう問うた。
「陛下、実は晋王様の妃について耳寄りな情報を持っているのでございます。」
「楊広の?」
「はい。陛下は梁の公主を晋王殿下の妃に望んでいたところ、占いの結果一人も相性の合う者がいなかった、と言います。ですが、実は梁の公主は他にもいたのであります。」
「どういうことかね?朕は梁の公主を全て調査したはずだが。」
「実は、公式な記録には存在しない公主がいるのです。というのも、江南には二月に生まれた子供は縁起が良くないというので捨てる、という風習があります。それで、梁の皇帝——失礼、かの南蛮の国の僭帝は二月に生まれた娘を捨てようとしたものの、殺すには忍びないので皇后の弟に育てさせたのです。皇后の弟とは言え彼は庶民ですから、その娘は公式な記録では存在しないことになっているのです。」
「ほう、それはどういう娘なのだ?」
「蕭白慶といいます。試しに占い師にその女と晋王殿下との相性を占わせたところ、吉と出たのであります。」
「なるほど。そなたもやはりためになる情報を提供してくれることよのう。」
文帝はまだ楊素への警戒が溶けたわけではないものの、彼を見直しつつあった。息子の妃がこれで決まればそれに勝る喜びはない。まだ楊素に官職を与える気にはならないものの、とりあえず蕭白慶を迎えに行かせることを命じた。
蕭白慶は叔父の張軻の家に住んでいた。張軻の家は貧しく、彼はある程度名の知れた文官である父親の遺産を運用して生活を維持していたが、生活には十分ではなかった。張軻には娘が二人おり、長女を璃茉と言い次女を璃瑙と言った。いくら貧しくとも娘の身体を売るほど張軻は悪人ではない。そのような人物であれば、迷信によって棄てられたとはいえ皇帝の娘を任されることはなかっただろう。だが、それでも家族を養うために璃茉と璃瑙の二人の娘には巫女の仕事をさせていた。中国における巫女は日本みたいに特定の神社の職員という訳ではなく、シャーマンとして各地を彷徨して生計を立てていた。
張軻の親友で隋の官吏である殷僧首は、張軻の生活が苦しいことを知り隋の役所の仕事を何か紹介してやろう、と申し出たことがある。しかし、張軻は
「君の申し出は有難いのだが、私は梁の公主を後見する身なのだ。いくら梁が隋の属国とはいえ、別の国である。どんなに苦しくとも隋の世話になることはできない。」
と、頑なにそれを拒んでいた。
実は楊素に蕭白慶の話をしたのも殷僧首であった。当の蕭白慶が隋の王の妃になれば張軻も少しは軟らかい態度になり、今の苦しい生活を捨てて隋の官吏として暮らしてくれるのではないか、と期待してのことである。
張軻は蕭白慶について貧しいながらも出来るだけの教養を身につけさせた。そして、公主であるにもかかわらず親に捨てられ、貧しい生活を余儀なくされる理不尽な境遇においても気高さを失わない強い心を持つように育てた。
その蕭白慶もまさか「白馬の王子が迎えに来る」ようなことが現実に起こるとは、思っていなかっただろう。
ある日、文帝の命を受けた清河郡公の楊素が張軻の家を訪ねてきた。
「これは、これは、隋の国の清河郡公殿下がこの私に何の用でしょうか?」
張軻は動揺を隠せない様子で楊素を迎える。
「実はな、かつて私の部下であった殷僧首というものから梁には張軻という高潔な紳士がいると聞いたのだ。」
「それは御冗談を。ご覧の通り私は庶民の暮らしをしており、誠にお恥ずかしい限りです。」
「しかし、立派に梁の公主を育てているというではないか?」
「いえいえ、私にはとても身に余る光栄でして、きちんと育てられているか、全く自信はないのです。」
「そうか。だが、占いによるとその公主様は中々良縁に恵まれているというぞ?」
「そうであれば有難いのでありますが・・・。」
「実は、その公主様を晋王殿下のお妃に、という話があるのだ。」
「――それは、本当なのでしょうか?」
「本当だとも。どうだ、この縁談を受けるか?」
「公主殿下のことは私の一存では決められません。」
「とは言え、梁の皇帝が娘を捨てている以上、本人と貴殿との話だ。」
「とりあえず、公主殿下に話を聴いてきます。」
この時、蕭白慶は数えで十七歳。父親のように慕っていた張軻と離れることに抵抗はあったが、皇帝の娘という出自へのプライドが苦しい生活の中の心の支えになっていた白慶にとって、皇族の妃になるということはとても魅惑のある話であった。
「この縁談、お受けさせていただきたいと思います。ただ一つ、お願いがございます。」
「何かね?」
張軻はもう別れるだろう蕭白慶の最後の願いをかなえてやりたい、と思いつつ訊いた。
「これまで姉妹のように慕ってきた璃茉と璃瑙の二人を隋まで連れて行きたいのです。」
「わかった、ちょっと清河郡公様と相談してくる。」
張軻が白慶の意向を楊素に伝えると、楊素は言った。
「侍女を連れて来るのは構わないのだが、あまり沢山の数を梁から隋の後宮に連れてくると、その中に梁の間者でもいるのか、と疑われよう。張軻殿の娘ならば安心ではあるが、二人とも連れてくると無用な警戒をされるかもしれない。女の子一人だけだと野心を抱いても何もできない。というわけで、どちらか一人だけにはできないか?」
それを聞いて張軻は考えた。長女の璃茉はすでに一家の稼ぎ手であるが、璃瑙はそうではない。どちらも可愛い娘には違いないが、末っ子の璃瑙を成人させるまで育てるのは、正直厳しい。とは言え、娘にはなるべく苦労せずに育ってほしいものである。せめて璃瑙だけでも隋の都で幸せに暮らしてほしいものだ――こうして蕭白慶は晋王楊広の后となり、瑪瑙は蕭白慶に従って隋に行くこととなった。
「璃茉、いつか貴女も長安(隋の首都。西安。)に来てね。」
「お姉ちゃんも必ず隋に来てね。」
蕭白慶と璃瑙が名残惜しそうに言うと、璃茉は笑っていった。
「巫女は色々な所に行けるからね。いつか逢えた時には私のことは忘れないでね?」
蕭白慶が長安に着くと、まずは璃瑙と共に張軻の親友である殷僧首の下へ挨拶に行った。すると、殷僧首は驚いた顔で言った。
「貴女様は皇后になる相をしておられる!晋王殿下もこんな素晴らしい女性を妃にできるとは、光栄であろう。」
「殷僧首殿、言葉はお慎み下さい。清河郡公殿の解任の理由もご存知でしょう。」
「それはそうだったな。この事はここにいる三人だけの秘密にしよう。」
そう言った後、彼は璃瑙の方を見て言った。
「父親と離れて寂しいだろうが、私が張軻殿の代わりに君のことを守るから、何かあればいつでも私を頼りなさい。」
その後、様々な手続きを終えて白慶は無事晋王楊広の妃となった。楊広は忽ち美人で謙虚で教養のある白慶の虜となった。
そして翌年の正月、蕭白慶は晋王の長男を出産した。その子供は楊昭と名付けられた。