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「だから、あれはあの女から誘ってきたことなんだ!」
池辺王は屋敷で妻の間人王に対して弁明を行っていた。
「それならどうしてこう問題になっているのですか!」
「斎王の勤めを果たそうとしている人間が男を誘ったなど、問題だからそれを隠すために私を悪者にしているんだろ。兄上の判決でも私は無罪だ!」
「本当にそうなら、切り捨てるべきじゃないの!」
「え?」
「どうしてその場であの女を斬らなかったの!斎王が男を誘った時点で斬られるべきよ!」
「・・・判った。お前がそこまで言うならば、今からあの女を斬りに行ってくる。」
「いや、そう言うことを言っている訳じゃない!」
二人がそう言いあっているとき、庭から叫び声がした。
「この裏切り者!」
「出ていけ!」
子供たちの声だ。
「一体、何があったんだ?」
池辺王が庭の方へ出ようとすると、庭から田目王が回廊を登ってきた。
「一体、何があったんだ!」
「父上、弟たちが色々騒いでうるさいので止めてくれませんかね?」
こう言って、田目王は軽く廊下に目を流す。すると、田目王の異母弟たち――厩戸王以下の子供たちがそこにいた。
池辺王の姿を見て、幼い子供たちは凍り付く。彼らのひとりは石を持った手を振り上げた者もいたが、父親の姿を見て固まっている。
「では、父上、私はこれで。」
田目王が静かにその場を去る。
「一体、何があったんだ?」
池辺王は子供たち4人を見渡した。そこにいるのは厩戸王とその同母弟である久米王、殖栗王の三人に、異母弟で厩戸王と同い年の當麻王であった。
詰問調の池辺王を見て、子供たちは恐怖に捉われた。厩戸王に次ぐ年長者である當麻王は、無言のまま池辺王に背を向けるとそのまま駆け出した。
「お兄ちゃん、待って!」
久米王が手に持っていた石を放して、當麻王を追いかける。するとさらにその後を殖栗王が泣きながら追っていった。
「厩戸王、どうしてお前は逃げないのだ?」
子供たちが逃げ惑っているのを見て、池辺王は我が子を叱る気は失せていた。その中で、一人だけ逃げずにいた厩戸王には純粋に興味を抱いた。
厩戸王は何も言わずに、衣の片方をぬいで池辺王の方を向き、跪いた。
「どうしたんだ、顔を上げなさい。」
「お父様、騒いでしまい申し訳ありませんでした。私たちが誤って騒いでしまい、父上を怒らせたことは大きな罪です。」
「別に怒っている訳ではない。いつも賢いお前が騒ぐからには理由があるんだろう。俺は田目王が何やら怒っていたから、事情を聴こうとしただけだ。しかし、他の子供たちは私を怖がって逃げてしまったが、お前は平気なのか?」
「もしも私が父上を怒らせたならば、天界の梵天様も帝釈天様も私を許してはくださらないことでしょう。天界に逃げるわけにはいきませんし、言って地面に穴を掘って逃げ隠れる訳にも行きません。逃げても無駄であるのに、これ以上父上を怒らせるのか、と思い、父上に叩かれて怒りを解いていただきたい、と思って残りました。」
「そうか・・・。親は子供の上に目がついていると言ってな、確かにお前たちが悪いことをして逃げてもすぐに見つけることが出来る。だがな、お前たちの言い分も聞かずに一方的に叩いたりはしないよ?何があったのか、言ってみなさい。」
「それは・・・。」
「どうした、怒らないから正直に言ってごらん?」
「・・・はい。あの・・・兄上は、父上を侮辱しました。」
「うん?」
「兄上・・・いえ、田目王様は、父上が女性を襲ったなどという、ありもしない悪口を言っていたのです。私は・・・父上を侮辱する兄上が許せず・・・」
それを聞いているうちに池辺王は目頭が熱くなった。
過ちを犯したのは、自分の方であった。しかし、この子はそんな自分のことを父親として慕い、信じてくれているのだ。
「済まない!」
そう言うなり、池辺王は回廊から飛び降りて我が子に駆け寄り、強く抱きしめて号泣した。
池辺王の頭からは妻の怒りもすっかり消えていた。間人王はやるせない思いを悶々と抱えて部屋にいた。
「あっ。」
その部屋に入ったのは、田目王であった。
「失礼、母上。」
田目王は義母に頭を下げる。
「ちょっと待ってちょうだい。」
間人王は田目王を呼び止める。
「少し私の話を聞いてくれないかしら?」
「え、あ、はい。」
田目王は部屋の中に少し進み、間人王に向かって座る。
「貴方、似てるわね。あの人の若い頃に。」
「え・・・。」
「あら、褒めているつもりだったのに。」
「あの人、とは、あの・・・父上のことでしょうか?」
田目王が声を震わせながら言うと、間人王は溜息をついてから言った。
「その様子じゃ、あなたも知っている訳ね。」
「ええ・・・。」
「ねぇ、どうしてこんなことになってしまったのだと思う?」
そう言いながら、間人王は田目王に寄りかかり泣き出した。
「え、あ、あの、母上?」
「私はあなたの母親じゃないわ。叔母よ?」
いつも通りの呼び方を否定されて、田目王は戸惑う。目の前にいるのは、これまで「母上」と呼ぶと喜んでいた女性であったのだ。
間人王にとって田目王は別の女の産んだ子。ただ、彼の父である池辺王は兄でもある。
「あ、じゃあ、叔母上・・・。」
田目王がそう言うと、間人王は首を横に振った。
「ああ!もう!」
そう言いながら、田目王の服に顔をうずめる。
「え?」
戸惑う田目王に間人王はこう言った。
「兄上は、どうしてあんなことをしてしまったのでしょう?」
「あ、その・・・。」
「あんな、兄じゃなかったのに。優しくて、思いやりがあって、賢くて、自慢の兄だったのに・・・。」
そこまで言って間人王は号泣する。
まだ十代前半で合った田目王には、どうしたらよいのか判らなかった。