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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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 その頃の大和では仏教を巡って深刻な対立が起きていた。


「ホトケ、とやらも要するに異国の神であるということだろ?別に良いのではないか?」

「ですから、彼らが祀る仏というものは神とは似て非なるもの、否、全く異なるものなのです。」

「ふむ。天竺や志那で祀られる神という訳ではないと?」

「仏教というものはそんな生やさしいものではありません。」


 中臣磐余は一族の長である中臣勝海を説得していた。


「それは一体、仏教というのは何なのだ?」


 勝海にとっての仏教というのは、あくまで外国の風習であった。彼が「仏教」と聞いて連想するのは百済から送られてきた仏像であり、それを拝んでいる帰化人たちである。

 中臣氏にとって神々の像をつくってそれを拝むという風習は、無い。しかし、石や木を彫ったものを神の依り代としたり、鏡を拝んだりすることはある。中臣氏は大和の大王家の祭祀を手伝うのが生業であるが、他の豪族では中臣氏とは違う祭祀をしている氏族もあるという。ならば仏像を拝む豪族がいても別に構わない、というのが勝海の立場だった。


「そもそも、我が国の民は色々な神々を拝んできたのだ。我が中臣氏も宮中では大王家の天照大御神を祀るし、家では武甕槌命や天児屋命を祀る。ホトケ、とかいうのを祀るものがいても良いのではないか?」

「ですから、仏教というのは、そういう我々の先祖伝来の八百万の神々への信仰を否定するものである、と先ほどから申しておるのです!」

「それは一体、どういうことだ?」

「仏教にはまず、経典というものがあります。この経典の内容を信じなければならない、と説くのです。」

「ほう、その経典には何と書いてあるのだ?」

「この経典のどこにも神々を崇め敬え、とは書いてありません。ただ、天部というものが経典には記されており、これがいわゆる神々のことを指しているものと思われます。天竺や志那では神のことを天というそうです。」

「では問題ないではないか。天、と言っても、神、と言っても、名前が違うだけだろ?我が国の神にもいろいろな名前がある。」

「問題はその天の扱いです。彼らの経典においては『十方の諸天も衆生である』という意味のことが記されているのです。わかりやすくいうと、衆生とは人間や動物のことです。つまり、神々も人間や動物の同類である、一番偉いのは神々ではなく仏である、という風に記されているのです。」

「つまり、仏の方が神々よりもエライ、というわけか?」

「それどころではありません、神々には仏に仕える義務があると言うのです。そんな怖ろしい信仰は我が国に未だかつてありませんでした。」

「しかし、代々石上神宮で祭祀をしている物部守屋の義弟の蘇我馬子も仏教を信仰しているが。」

「物部も蘇我も仏教の怖ろしさを本当には判っていないのです。」

「実際には君の思い過ごし、ということも充分考えられよう。」

「そう甘いことを言っている内に百済から僧侶が来て民草がどんどん洗脳されていくのを見逃せ、と言うのですか?事実、筑紫や播磨には既に百済から僧侶が来て仏教の教えを説いている、と言います。」

「とはいえなぁ、君があまり仏教の悪口を大王様に吹き込むものだから、物部も蘇我も困っているぞ?」


 当時の大和の大王である他田(おさだ)大王は儒教が好きであった。誉田(ほんだ)(わけ)大王の時代より大和の大王家では儒教が盛んであった。

 そんな他田大王は仏教の知識が深いとは言えず、磐余に一方的に仏教の悪口を吹き込まれると、日に日に仏教への不信感を深くしていた。


「私は正しいと思ったことをしているまでです。」


 磐余は勝海の苦言に耳を貸そうともしない。


「神々を祀らなければ国が乱れることは歴史が証明しています。」

「それはそうだが・・・・。」


 初代大王である磐余彦大王は倭国の神である天照大御神を祀ったが、大和の地元の神である三輪山の大物主神は祀らなかった。結果、十代目の御真木入彦(みまきいりひこ)大王の時代に疫病や内乱で国は乱れた。そこで御真木入彦大王は大物主神の子孫を探し出して祀らせ、国をまとめたという経緯がある。


「とにかく、私はこれからも八百万の神々への祭祀を怠るべきではないこと、仏教等と言う邪教を信仰するべきでないことを訴えてまいります。」

「わかった、もうお前の好きなようにすればよい。」


 勝海も磐余を制御することは、諦めた。

 この時の磐余の評価は、決して低くはなかった。大王家やその従者は保守的なものが多い。磐余の言うことに耳を傾ける者も多かった。

 それは庶民にとっても同様であった。

 当時のこの国は「部民制」という制度を採用していた。国民は生まれながらに部曲(かきべ)に所属し、部曲の長である豪族には絶対服従であった。国民はいわば豪族の私有物なのである。この、豪族に所有された国民のことを「部民」という。

 彼ら部民は自分たちの所属する部曲の中で、部曲の守護神に対する伝統的な祭祀を行っていた。ところが、その部曲の長である豪族が自分たちの知らない「仏」なるものを祀り始めたのである。

 そういう民衆の中には「最近の世の中の悪いことは、すべて豪族たちが仏を祀るようになったからである」という流言飛語を信じる者も出てきた。こうしうた流言飛語を裏で煽っていたのが磐余たちであった。

 当時の民衆は豪族には霊的な力があると信じていた。霊的な力で豪族は部曲を支配し、国家の政治を司っている、と思われていたのである。

 そういう民衆にとっては、災害も政治の失敗も、挙句の果てには身内や部民の仲間の病気や不幸も、すべて部曲の長である豪族が祭祀を怠ったことが原因なのである。


「蘇我馬子は神々への祭祀を怠り、仏等と言う得体の知れないものを拝んでいるらしい。あの仏像を見たか?金ぴかの仏像を有難いといって拝むとは、如何にも怪しいカルト宗教ではないか。」

「代々宮中の祭祀を行っている家の中臣磐余様も、仏教というのは良くない信仰であるといっている。」


 こういう話が民衆の間で広まれば広まるほど、大王側はより仏教への不信感を強めていった。

 一方で大王家にも仏教に好意的な人達はいた。彼らは蘇我氏の血を引く者である。

 蘇我馬子の姉である堅塩媛と妹である小姉君は先代の大王に嫁いでおり、他田大王の異母弟妹を産んでいた。彼らは蘇我馬子が仏教を信仰するのを、少なくとも公然と否定はしなかった。

 また、豪族では蘇我氏のように積極的に仏教を信仰していたわけではないものの、物部氏も仏教に比較的好意的であった。物部守屋の妹の布都媛は蘇我馬子の妻である。こうしたことも蘇我氏と物部氏の間に良好な関係を築かせる要因となっていた。

 そして、蘇我氏や仏教勢力を勢いづかせる出来事があった。

 鏡當四年(西暦五八四年、皇暦一二四四年)の元旦のこと。他田大王の異母妹で小姉君の娘である間人穴穂部王が変わった夢を見た。

 夢の中に金色の衣をまとった僧が現れたのである。その僧は容姿端麗、如何にも威厳のあるような雰囲気を湛えていた。


「汝が大和の大王の妹と申す者か。」


 そう聞かれた間人王は直ちに返事ができなかった。


「緊張することはない。私はこの国に仏法を伝えに来たのだ。」

「貴方様は偉い御坊様なのでしょうか?」

「何を持って偉いとするのか、だ。もしも汝が仏の道を歩み菩薩行に邁進すれば、汝は天界の神々よりも貴きものとなるだろう。」

「御坊様、私は、私は・・・・罪深い女であると、いつも後ろ指を指されております。」


 そう言いながら間人王は泣き出す。


「旦那のことか?」

「ええ。」


 間人穴穂部王の夫は異母兄で堅塩媛の息子である池辺王であった。兄妹愛は当時の倭国で全くないことではなかったが、珍しいことであった。


「大和では大王も異母妹と結ばれていると聞いたが?」

「それはそうなのですが・・・・。」


 他田大王の妃の一人は彼の異母妹である額田部王である。このことからも兄妹婚自体は強い禁止があったわけではない。


「陰陽の乱れを気にするのであれば汝の責任ではない。国全体の陰陽の力のバランスが崩れるからこそ、その国に住む男女も乱れるのである。汝たちの責任ではないし、大王の責任でもないのだ。」

「それは・・・・。ええと、立派な話ですね。」


 間人王は「難しい話」といいかけたのを慌てて呑み込んだ。


「ところで、お坊様がこちらに来られたのは何の御用で?」

「私にはこの大和の国を救う使命があるのだ。そのために汝の腹の中に宿らせてほしい。」

「それは、とても畏れ多いことであります。」

「私を子供に持つのが嫌なのか?」

「いえ、決してそんな訳では・・・・。」

「では、良いな?」


 そういうなりその高僧は彼女の口の中に入り込んだ。

 暫くして間人王は自分が妊娠したことを知った。彼女は正月の夢の話と共にそのことを夫の池辺王と叔父の蘇我馬子とに報告した。

 このことは仏教側を大いに勢いづかせた。大王の異母妹の夢に高僧が現れ、その胎内に宿ったというのである。大和の国が仏教と縁のある証左である、と仏教側は大いに宣伝した。

 一方、仏教側がそう宣伝すればするほど反仏教側によるネガティブキャンペーンも激しくなるのであった。


「ケダモノの情事をくだらん話で美化しおって。」

「しっ!大王様だって異母妹を・・・・。」


 このような会話が各地で繰り広げられた。


「仏教も兄妹愛を美化するものとなると終わりですなぁ。」


 中臣磐余もしばしばそう言っては反仏教側を扇動していた。


「磐余よ、あまり言いすぎると遠回しな大王批判と受け止められるぞ?」

「いえいえ、私はあくまで大王様の忠臣ですよ。私は一言も兄妹愛が悪いとは言っておりません、ただそれを仏教等と言う邪教で都合よく美化するのがよろしくない、と言っているのです。」


 中臣勝海の忠告も磐余には馬耳東風であった。

 民衆は仏教側と反仏教側とに分断されていった。それは大王家や豪族も同様であった。


「人間って、どこまでも醜い生き物ね。」


 そう言いながら天界より大和を見つめていたのは、あの龍女であった。


「慧思様も大変だわ。こんな世界に転生して、大丈夫なのかしら?気合を入れて守護しないといけないわ。」

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