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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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 3月5日。場所は伊勢の斎宮の部屋。迹見赤檮は絶句していた。

 主君に「妹の所へ梅の花を届けてくれ」と言われてから、殆ど寝ずに伊勢まで駆け付けたこの武人は、行く先には主君の妹の笑顔があると思っていた。

 悪くて、機嫌の悪い妹君の怒りだ。良ければ、兄からの愛情に嬉し泣きをしている斎宮の姿をみれたはずだ。

 だが、目の前の後継は違った。


「これはどういうことですか!」


 迹見は声を張り上げる。目線の先にいるのは斎宮では、無い。

 その、叔父だ。

 彼は主君の叔父であるはずの男を、激しく睨んでいた。


「どうしたもこうしたも、見ての通りだ。」

「ご自分のしたことが何か、理解されているのですか!?」

「あ?君、まさかこの私を捉えて、解部にでも送るつもりかい?」


 大王の弟が不愉快な薄笑いを浮かべている。その近くに横たわっているのは、露な姿の斎宮だ。


「本来ならば、解部で裁かれるべきことです。」

「この私をか?」

「仮に、貴方が許されたところで、斎宮は許されません。」


 そう言いながら彼は主君の妹に目をやる。


「貴方のせいで!宇治王様は、もう、斎宮の務めを全うできません!」

「そうであったなぁ、処女でないと斎宮は無理であったなぁ。」


 尚も笑みを浮かべる池辺王を斬りたい衝動を、迹見は必死で堪えた。


「王族同士の問題、ましてや斎宮に関する問題です。大王様に直接裁可をしてもらわねばなりません。」

「ほう。」

「きちんと飛鳥に戻って、説明していただきますぞ!」

「随分と強気なものだ。」


 自身が決して裁かれないことを自覚している強姦魔ほど、怖ろしいものはいない。

 迹見は再び宇治王を見た。悲しみに震えているかに見えた彼女だが、よく見ると怒りに打ち震えていた。


(宇治王様がここまで怒りに震えるのは何年ぶりのことであろうか?)


 迹見は過去の記憶を思い出す。広姫が亡くなった直後はかなり精神不安定であったが、ここ最近は落ち着き払っていた。


(今回の件で、何としてでも池辺王を次期大王にするわけにはいかぬ。彦人様に大王になっていただかねば。)


 そう思った迹見だが、飛鳥に戻ると自分の考えの甘さを思い知ることになる。


「宇治王は解任、池辺王は不問」


 これが、大王の裁定であった。


「俺は、あの男を、父親とは認めない。」


 そう言ったのは、押坂彦人大兄王であった。


「娘を守らない父親が、どこにいる?」

「仰られる通りですね。」

「赤檮、もう、俺はこの国が信じられない。」

「次期大王には・・・。」

「そんなもん、どうでもいい。もうあいつに顔を合わせるのも嫌だ。」


 迹見の主君はかなりのダメージを抱いているようだった。


「あの女だけは・・・絶対に許せぬ。」


 押坂彦人大兄王が、そうつぶやくのを聴くと迹見は「失礼します」と言って静かに退室した。


(「あの女」とは誰だろうか?大后様だろうか?)


 池辺王は大王の異母弟であるだけでない。大后の同母兄でもある。


「お兄様。」


 迹見が去った後、押坂彦人大兄王の部屋に一人の少女が入ってきた。


「どうだ、あの子の様子は。」

「泣き疲れて寝たようです。」

「そうか・・・。」

「自分の妹があのような目に遭うとは・・・叔父上があんなにも酷い方だとは思いませんでした。」

「全く、そうだな。」


 それからしばらく、二人は沈黙した。坂騰王は涙をこらえた目で、兄の様子をうかがっていた。


「必ず、仇を取る。」


 沈黙を破ったのは、兄の方だった。


「そんなこと、出来るものではありません。」


 半ば泣きながら言う妹に対して、兄は言った。


「今、手を下せなくともよい。後で地獄を見せつけてやればよいのだ。」


 その後、彼は従者を連れて部屋を出た。しばらく道を歩くと、栗原川の畔で舎人を二人ほど従えている少年と会った。彼は驚いた。少年の顔は知っているが、この場で会うとは思えない人物であったからだ。


「お兄様、ごきげんよう。」


 従兄も実の兄と同様の存在、という作法に従った少年の挨拶であったが、それは彼の機嫌を損ねるだけの者であった。


「強姦魔の叔父など、持った覚えはない。」

「え?」

「なんだ、貴様はあいつの長男では無かったのか?」

「どういうことでしょうか?」

「は、おい、そこの舎人ども、きちんと教育しないとダメだろ。自分の父親が何をしたかも知らんような長男がいるものか、こりゃあ、次男に負けるという噂なわけだ。」


 舎人の顔色が強張る。それを彼は薄笑いながら目で流し、再び少年を見た。


「で、押坂に何の用だ?」

「それは、ええと、生根の神様にご挨拶をしたく・・・。」

「そうか、そうか。生根の神様ならば私たちの味方だが、お前の親父の指示なのか?」

「ええと、父上の願いか、ということですか?」

「そうだ。」

「・・・私が参らせていただきたい、と思いここに来たのです。」

「ふ~ん。」


 その年でよく言葉を選ぶものだ、厩戸王の異母兄も中々賢いではないか、と思いながら押坂彦人大兄王はその言葉に耳を傾けた。


「ここには、衣通姫の産湯の井戸もありますから。」

「ああ、確かに。それはそうだな。」


 一応、筋は通っている。王族が史跡に関心を持つのは当然だし、そうした史跡を見て教養を深めるのは、義務ですらある。


「では、田目王様は参拝を急いでいますので。」


 少年の舎人が恐る恐る声を出した。


「判った。」


 そう言うと、彼は田目王の一行に道を譲った。


「感謝します。」


 そう言いながら通り過ぎる少年の後ろ姿を、彼は眺め続けていた。


(彼の父が次期大王になるのは避けられぬことかも知れん。しかしながら、彼の子はどうだ?現に、父上の子は俺も含めて次期大王になる保障はない。池辺王自身が大王に就くのを阻止しようとすると一悶着あるだろうが、相手がその子であれば?)


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