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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
16/20

16

 ある日の夜、玉照姫に抱かれて寝ていた厩戸王が言った。


「私は明日、したいことがある。」

「そうなのですか?」


 すっかり、厩戸王は言葉も流暢になっていた。成長の速さにはみんな驚いていたが、次第に慣れてきた。


「明日、大后様に会わせてほしい。」

「判りました。」


 そう玉照姫が言うと厩戸王は安心したように眠りに落ちていった。

 翌朝、玉照姫は厩戸王を抱いて他田大王と額田部大后の前に連れて行った。


「降ろしてほしい。」


 厩戸王が言う。


「え?おろしても大丈夫なのですか?」

「そうだ、降ろしてくれ。」

「判りました。」


 玉照姫が厩戸王を降ろすと、厩戸王は額田部大后の方へ向かって歩きそれから東の方を向いて手を合わせた。

 幼い赤子の合掌にその場にいた者たちは驚く。すると、厩戸王が赤ん坊とは思われない厳かな声で次のように三唱した。


「南無仏、南無仏、南無仏!」


 唱え終わると、そのまま二度拝礼を行う。

 みな息を呑む。他田大王は玉照姫に問うた。


「これは君が教えたことなのかね?」

「いえ、私は何も。他の乳母も、池辺王様も間人王様も何も教えていないはずですが・・・。」

「これは私にとって自然(じねん)の行為なのです。」


 そう言って厩戸王は微笑む。その姿は小さな聖人のようであった。

 この日以来、厩戸王は毎日のように東の方を礼拝し、「南無仏」と三唱した。


「こんなに可愛い子なのにね。」


 玉照姫は厩戸王を寝かしつけながら呟いた。「南無仏」と礼拝するときの厩戸王は、高貴な雰囲気を漂わせており、また、ある意味「怖さ」のようなものもあった。それは、玉照姫が愛でているいつもの可愛い寝顔からは、想像のつかないものである。

 みんな、厩戸王が仏を礼拝することを「微笑ましい光景」ぐらいに思っている。池辺王の周辺は「厩戸王が素晴らしい証左」であるかのように宣伝しているが、玉照姫から見ると厩戸王が仏を礼拝する行為には、どこか必死さのようなものがある。

 そもそも、他田大王は仏教を信じてはいない。ただ、異国から物珍しい神々がやってきたから、礼拝したいものは好きにせよ、という立場だ。こういうスタンスは大王家が長い歴史の中で培ってきた知恵でもある。

 神武東征で初代・磐余彦大王が大和の国を創建した際、大物主を始めとする国津神への祭祀は弾圧された。だが、その結果として疫病が流行し、人心は乱れて内乱が起きた。そうした中、十代目・御真木入彦大王の時代に大物主を始めとする国津神への祭祀を公認する路線へと舵を切った。それが今に至るまで続いている。


「私だって、仏様がどういう存在か、判らないもの。」


 そう、玉照姫は呟いた。玉照姫の父親の物部守屋は石上神宮の神職でもある。仏教とは縁がない。

 そんなことを思いながら玉照姫は眠りについた。


「玉照姫、母上はどこですか?」


 朝、厩戸王のそんな言葉によって玉照姫は目を醒ます。


「玉照姫、遅いわね。」


 そう言ったのは乳母仲間の月益姫だ。


「あら、ごめんなさい。御子様の方が先にお目覚めとは。」

「御子様は間人王様に会いたくて、こっそり寝床を抜け出したんですって。」


 そう言いながら、月益姫はやや非難するような目を玉照姫に向ける。厩戸王の乳母の中で玉照姫はリーダー的な存在であった。


「で、間人王様はいないの?」


 玉照姫は話を逸らそうと屋敷の主の居場所を訊く。


「それがね・・・。」


 月益姫はちょっと気兼ねするように厩戸王を見る。それを見て玉照姫は言った。


「御子様、今日は日益姫が当番だから、日益姫のところにちょっと行ってくれない?ごめんね、私たちちょっと用事があるの。」

「判った。」

「じゃあ、日益姫がもうすぐ来るから、ここに一人で待てる?」

「う~ん、大丈夫!日益姫の足音が聞こえるもん!」


 厩戸王がそう言うと、すぐに部屋に日益姫が入ってきた。


「御子様!お会いしたかったですよ!」

「相変わらず、耳が良いのか、それとも、未来が読めるのか・・・。」


 そう月益姫が呟いた。


「あ、日益姫、私ちょっと、月益姫と出かけてくるから。」

「良いですよ、今日は私が当番ですもの!御子様は私が独り占めしますわ!」


 日益姫は元気そうである。


「日益姫は家庭がありますもんね。」


 部屋を出ると月益姫が言った。


「ああ、四六時中御子様と一緒の私たちとは違って、御子様と会える日は特別な時間ってことね。」

「そういうことですね。ところで、玉照姫様。」


 いつも呼び捨てにしている月益姫が急に真面目な口調となった。


「月益姫、どうしたの?」

「間人王様なんですが、ほとんどの日を宮殿で過ごしている玉照姫様はご存知ないかもしれませんが。」

「え?」


 確かに、玉照姫は非番の日も厩戸王の顔が見たくて宮殿で過ごしている。無論、それには乳母たちのリーダー格と言う自負もある。

 日益姫のように本当に子供がいる乳母は、文字通り授乳も行うことができる。しかし、玉照姫はそうではない。政治的な判断で選ばれた、名目上の乳母である。それだけに、余計厩戸王の役に立つためには頑張らないといけない、という意識があった。


「実は、最近、良く田目王様と一緒に出掛けられているのです。今日も。」

「義理の息子とも仲良くされるとは、良いことではありませんの?」

「・・・そういうことだと良いのですが。」


 月益姫は意味深に溜息をついた。


「そうそう、今日私は友達と会う約束がありますの。玉照姫様もご一緒しませんか?」

「それは有難いわね。宮廷に閉じこもっていては、交友関係は狭まるばかりだし。」

「こちらから相手の家に伺うことになってますの。」

「判ったわ。」


 玉照姫は月益姫に案内されてある人物の邸宅に着いた。そこは、玉照姫は始めてくる家であった。


「月益姫か、久しぶり。待ってたよ。」


 出てきたのは、若い男性であった。


「そこにいるのは、何方かな?」

「物部大連様のご令嬢よ。」

「え?もしかして、君の同僚の玉照姫様?」

「そうよ、驚いた?」

「玉照姫様、お見苦しい家ではありますが、どうぞお入りください。」

「へぇ、中臣のお坊ちゃんだけあって、物部の御嬢さんには甘いのね。蘇我氏の私とは偉い違い。」

「いや、そういうわけでは。と言うか、君とはいつもあってるだろ!」

「誤解を招くことを言わないで。」


 二人の会話を聞きながら、玉照姫は思わず聞き返した。


「中臣?あの、中臣氏の方ですか?」

「ああ、申し遅れました。私、中臣羽鳥と申します。」

「中臣羽鳥・・・聞かない名前ね。」

「・・・分家の者ですからね。」

「ちょ、ちょっと、玉照姫!この方、色々なことに詳しいんだから!」

「色々なこと?仏教とか?」

「・・・いいわ、とりあえず、中に入って話しましょ。」


 何もない広い部屋。羽鳥の家では客間扱いなのか、綺麗に掃除されていることがうかがえる部屋に、玉照姫達は通された。


「今、宮中はちょっと大変なことになっているのですよ。」


 羽鳥が言う。


「どういうことですか?」


 玉照姫が聞いた。


「厩戸王様が、ちょっと目立ちすぎています。これは二つの意味で問題だ、第一に、彼の父である池辺王様は大王様の弟君です。第二に、厩戸王様自体が田目王様の弟君です。つまり、二重の意味で大王には遠い存在、仮に大王に即位されるにしてもまだまだ後のことでしょう。」

「そもそも、赤ちゃんなんだからまだまだ先に決まっているわ。」


 月益姫がツッコミを入れる。


「そういう問題ではないのですよ。例えば、厩戸王様が『南無仏』と唱えた件。普通に解釈すると、幼い子供が仏教徒の物真似をしている、それ以上でもそれ以下でもありません。しかし、仏教徒にとってはどうでしょうか?『もしも、この方が大王になられたら・・・』という期待を抱くには、十分すぎる理由です。ですが、厩戸王様自身は大王にはなられないか、なるにしても大分後。ということは・・・。」

「その間、大王になる方の立場がない?」

「さすがは、玉照姫様。そういうことなのですよ。場合によっては、内乱の火種になるかも、知れない。」

「なるほど・・・。」

「さて、私たちが怖れているのは、それによって仏教側が神道を圧迫するかもしれない、ということなのですよ。」

「そんなことないわ!何度言ったら判るの?」

「月益姫、貴女のお父さんの話をしているわけでは、ありません。ただ、祭祀の継承と言うのは繊細な問題なのです。祭祀を行う者が即ち、大王なのですから。」

「どういうことなのでしょうか?」

「玉照姫様、厩戸王様が大王になるとしたら、それは池辺王様が次の大王である可能性がある、と思われたときではありませんか?」

「そうですね。」

「つまり、池辺王様ではなく、別の方が大王になることが確定したら?」

「え?」

「そうですね、池辺王様ではなく別の方が、重要な祭祀を任されると、その方が大王になることはほぼ確定となるでしょうね。」

「確かに。それに、大王様も仏教への理解はあまりないし。」

「そう、するとその祭祀については仏教徒ではなく、我々中臣氏に手配を任されることになるでしょうね。つまり、祭祀の継承も行える。」

「しかし、その重要な祭祀って、具体的には?」

「そもそも、別にその方本人が重要な祭祀を直接しなくてもよいのではないか、その方と関係の深い方、例えば、妹君とかが――」


 そういうと、羽鳥は「お察しください」という目をした。


「何なの、ハッキリ言ってよ。一体、何を企んでいるの?」


 月益姫が言う。


「過去に、大和から伊勢へ斎宮を派遣したことが、ありましたね。」

「そうね、あの方の妹さんは斎宮になりたがっていたわね。」


 玉照姫がそう言うと、月益姫もようやく事態を察した。

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