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「殿下!もう少し大人しくしてください。あんまり宴会ばかりしていると張麗華様がどう思われるか!」
袁憲は主君を必死に説得していた。
「何を言って居る、一体、この国のどこに皇太子が宴会を開いてはならぬ、等と言うバカな法があるというのか。」
「いや、殿下、宴会が悪いとは言わないのです。ただ、皇太子ともなると宴会一つをとっても政治的な意図と言うものがあると思われるのでして・・・。」
「政治的な意図ならば、あるぞ?」
「殿下!」
陳胤は優秀な皇太子であった。学問にも秀でており、多くの人が陳胤を慕っていた。
だが、彼は確かに頭が良いのかもしれないが、政治的なセンスと言うものはまるで皆無であった。
「袁憲よ、私は皇后殿下のお世話になったのだ。血は繋がっていないとはいえ、皇后殿下は私の母である。その母のためにも学問のできる優秀な人間と交際し、彼らに皇后殿下を守ってもらわねばならぬのだ。」
「皇后殿下を守るのは皇帝陛下の仕事でありまして、皇太子殿下の仕事ではありませぬ!」
「いや、父上は張麗華殿を優先しており母上まで目が回っておらぬ。父上の手が回らぬ以上、ここは息子である私が母上を守るのが孝行と言う者であろう。というわけで、私は皇后殿下をお守りいただくよう、いつも臣下にお願いしているのだ。そのための宴会である。」
この言葉に偽りは無かった。陳胤は皇后沈婺華と親しい。沈婺華の宮殿と陳胤の屋敷の間には毎日のように使者の往来がある。宴会の際に陳胤の元へ贈られた物はほぼ全て――食べ物の毒見を唯一の例外として、それ以外は全部――沈婺華の許へと贈られているのであった。
陳胤の実母は幼いうちに亡くなっている。沈婺華は言わば継母であるが、陳胤にとっては育ての母だ。血がつながっていなくとも母のために尽くす、まさに陳胤の行為は孝を重んじる儒教世界においては模範的な行為であり、通常であれば「さすがは皇太子殿下!こんな積徳の方が皇太子であれば我が国も安泰だ。」と言われていたことであろう。
そう、通常であれば。
「殿下、本当に何が起きても知りませんよ?」
そういう袁憲に陳胤は笑いながら言った。
「安心したまえ。私は皇太子だぞ?」
だが、事態はまさに袁憲の危惧通りに進んでいたのである。
「陛下、最近、東宮と沈婺華が仲良いみたいね?」
いつ戻り玉座に座る皇帝の膝の上に座った張麗華が言う。
「そうか?元からだと思うが。」
「ねぇ、陛下?私と沈婺華、どっちが好きなの?」
「そりゃ、君に決まっているよ。」
「じゃあね、東宮はちょっと失礼じゃないかしら?沈婺華も私もどっちも実の母ではないという意味では一緒よ?だけど、東宮は沈婺華ばかり大事にしているの。」
「それはいかんことだなぁ。」
「ねぇ、お願いしてもいい?」
「何だ?」
「東宮を替えてよ。」
「ふむ、そればかりはな・・・。物事には適材適所、と言うのがある。人事を司っている蔡徴に話を聞いてみようか。」
蔡徴は突然皇帝に呼び出され行ってみると、張麗華を膝の上に乗せた皇帝に「皇太子をどうしようか?」と聞かれる。
(これは答えが一つしかないではないか!)
蔡徴は内心で毒づいた。こんなシチュエーションで張麗華の意向を忖度しないものがいたら教えてほしいものである。
「畏れ多くも、皇太子殿下は替えた方がよろしく思われます。」
「ほう、それは何故かな?」
「始安王殿下の方が皇太子に相応しいと思うからであります。」
「ほぅ、陳深か。」
皇帝が言うとその膝の上の張麗華が「我が意を得たり」という顔で頷く。陳深は張麗華の息子であった。
「では、このことは貴殿の方から提案していただけないものかな?」
「承知しました。」
翌日の台閣で蔡徴が皇太子の廃位と始安王陳深の立太子とを提案した。
「意義のあるものはいるか?」
そういう蔡徴に対し、誰も目を合わそうとしない。ただ一人、袁憲だけが「意義ならばある」と口を開いた。
「安東将軍閣下、どうなされた?」
「どうもこうも、皇太子と言うのは国家の要であり、国民はみんな皇太子殿下を尊敬している。一体、蔡徴殿は何の権限があって皇太子の廃位等ということを口にするのだ!」
「・・・ほかに反対意見はあるかな?あるならば陛下に上奏するが。」
蔡徴がそう言うとみんな口を閉じる。
「では、袁憲殿だけが反対しているということで、陛下には報告しておこう。」
そして尚書令(宰相)である江総の方を向いて行った。
「閣下はそれで異存はありませんか?」
「よきに計らえ。」
江総は皇帝に媚びを売るしか能のない男であった。文才は巧みであるが、政治的な才能は皆無である。あえて皇帝を諫めるような真似はしない。
「謝由閣下はどうですか?」
蔡徴は、今度は政府のナンバー2である尚書僕射の謝由の方を見る。
「私も異存はない。」
「では、これで決まりですね。」
蔡徴はこの台閣の閣議の結果をそのまま皇帝に伝えた。
さらに蔡徴にはまだ仕事があった。皇太子が廃位となると大規模な人事異動がある。まず、東宮に使えていた人間を総入れ替えする。当然、その分の埋め合わせや転職先等を考えると、実質的には朝廷全体の人事異動である。その人事の案を出さなければならない。
皇帝のお気に入りである江総を宰相から外すわけにはいかない。だが、謝由についてはそろそろ歳である。名誉職に退いてもらった方が国のためではないか。そもそも国政のナンバー2はいざと言う時には責任を取らされる立場である。すると、適任な人材がいるではないか。
「陛下、このような人事案を用意しました。」
「ほう、新しい尚書僕射に彼が?」
「ええ、彼は優秀ですし骨があります。もっとも私は彼とは些か立場が異なるのですが、江総様が尚書令である間は彼も余計なことをしないでしょう。」
「なるほど。それで良いではないか。」
数日後、官僚たちが退去の準備をしている東宮へ人事を伝える使者が来た。
「私は呉州の別駕従事か・・・。」
袁憲の部下である王哀が言った。
「呉州でも頑張れよ、王哀。」
「ありがとうございます。袁憲様は?」
「私の辞令は・・・え?」
「どうなされましたか?」
「尚書僕射・・・一体、何がどうなっているんだ?」