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何もない部屋というと「殺風景」というイメージが付くかもしれないが、建築技術の発達していないこの時代、むしろシンプルな部屋の方が普通である。
余計な装飾のない、物もすっかり片付いた部屋で、田目王は来客を迎えていた。
目の前の男は大柄で筋骨隆々としていた。
「摩理勢殿、久しぶりであるな。」
田目王は、自分の叔父にあたる目の前の男に語り掛ける。
「田目王様、ご機嫌麗しく。」
その男――蘇我臣境部摩理勢は答えた。
二人以外に、何もない空間。田目王は目の前の大男に自分が吸い込まれるような、そんな感じがしていた。
「ありがとう。」
田目王は、それだけ答える。
「おめでたいお知らせがあります。額田部王様が大后になられます。」
「そうか。」
そう答えながらも田目王は複雑な気分であった。彼にとって兄貴分である――実際には叔父であるが――難波王が、事実上失脚した。前大后の薨御に関連して、だ。
まだ10代の田目王は中々、感情の整理の追い付かない面があった。
「これで上手くいけば、殿下は次の次の大王ですな。」
「え?」
「大王と大后の弟ということは、次の大王は池辺王様で決まりでしょう。何しろ、押坂彦人大兄王様は喪に服しておられ、難波王様も大王位継承者の候補から外されて、大王様のお子様には次の大王に相応しい方はほかにいません。残るは弟様に次いでもらうしかなく、すると池辺王様が最有力候補となる、何しろ、大王様の弟君は多くとも大后様の同母兄でもあるわけですからな。」
「父上が大王、か。」
田目王にとって何となくそれは怖ろしいことのように思われた。
「大王位が近くなると不幸が起きるように見えるな。」
「田目王様、それは大王家に生まれた者の宿命ですよ。国を治めるものにはそれしきのことは耐えていただかねば。」
「それはそうだな。」
そう言いつつ、田目王の中には何か不安のようなものが出てきた。難波王は公式には冤罪であったということになったが、あの一件以来これまでの明るかった性格が一変して、人を引き寄せないようになった。
――あのようにはなりたくない。
そう、田目王が思ったのも止むを得ないことである。
(難波王の無実は信じているのだが。)
田目王にとって大切なのは、難波王が無実かどうかではない。難波王が公式には無罪であるとなっているにもかかわらず、彼のことを犯人視している人たちが存在していること、しかもその中には難波王と近かった者までもがいることに、彼は怖ろしさを感じていたのである。
やや人間不信気味になっていたのかもしれない。摩理勢との会談もあまり乗り気ではなかった。
(若い私があまり我儘を言うのも良くないのは判るが・・・。)
摩理勢が帰った後、自分の置かれた立場を考えながら屋敷の中を歩いた。
父親が次の大王候補として浮上した、ということは、当然に自分は政治的な抗争に巻き込まれる、ということである。幼い頃から権力が身近にあった田目王にとって、そのこと自体は何も嫌なことではなかった。
問題は、その権力抗争において「誰も信用できないのではないか」という冷酷な事実である。そんな田目王は一方で「誰かを信じたい」という強い欲求を持っていた。
「田目王、どうしたの?摩理勢に何か言われた?」
ふと、ある女性の声がした。
「間人王様・・・。」
振り向くとそこには義母であり叔母でもある間人王がいた。
「何かあったの?」
再び問う間人王に、田目王は答えた。
「いいや、何も。」
「本当に?」
「うん。強いて言うなら、ちょっと寂しい、ってことぐらい。」
「それって、私たちが厩戸王に掛かりっきりだから?」
それを聞いて田目王は思わず笑った。
「そんなことじゃないよ。難波王の件。」
「ああ、なるほどね。」
間人王は大きく相槌を打った後、言った。
「私も子育てで忙しいけれど、時間があるときは相談に乗るわね。」
そう笑顔で言いながら間人王はその場を去っていった。