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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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「北門で火事だ!」

「大変だ!南門でも火の手が上がっているぞ!」

 譙州(しょうしゅう)城ではまたもや火事が起き、軍隊が出動する騒ぎになる。中国では城の中に街がある。城の中での火事は行政・軍事から一般庶民の生活まで、何もかも破綻させてしまうのだ。

「最近は譙州だけでなく、陳の各地でも火事が起きている。南京でも大火事が起きたというが、偶然の訳が無かろう。」

 陳稜(ちんりょう)はそう呟きながら、部下からの報告書を読んでいた。

「やっぱり、犯人の痕跡すら見つからない。かと言って、不始末での火事がこうも同時多発的に起きる訳がない。そして、隋の商人が入国している記録がある、ということは・・・。」

 陳稜は譙州刺史(長官)である父親・陳峴(ちんけん)の許可を得て皇帝に上奏することとした。

「ほう、君が譙州刺史陳峴の息子の陳稜か。確か、我が国の防衛のために日々研究をされていると聞く。」

 そう語る皇帝に対して「有難き幸せ」と言いながら平伏している陳稜であるが、内心では忸怩たる思いであった。

 その皇帝の膝の上に一人の女性が座っていたからだ。張麗華である。

(皇帝が張麗華に溺れていることは知っていたが、まさか公務の時に膝の上に乗せるほどであるとは!皇后でもない女が臣下からの上奏を受ける時にどうしているんだ、これでは妲己よりも酷いではないか!)

 殷の(ちゅう)(てい)は皇后の妲己(だっき)に溺れて国を亡ぼした。妲己は国を亡ぼす悪女の象徴とされているが、張麗華は皇后でもないのに皇帝の心を奪っている。陳稜は陳の腐敗が想像を超えていることに言葉を失っていた。

「それで、君の調査によると最近我が国で頻発している火事の背景には、隋の工作員が犯人の可能性が高い、と。」

「さようでございます。」

 すると張麗華が口を挟んだ。

「あら?だけど、この前の南京の事件での犯人は捕まったわよ?別に隋の人間ではなかったわ?」

「ほう、そうか。じゃあ、全てが隋の工作員の仕業という訳でもなさそうだな。」

「だいたい、隋みたいな北狄の野蛮人にそんな知恵が回るかしら?」

「それもそうじゃな。陳稜、その点はどうじゃ?」

「陛下、確かに全てが隋の工作員の仕業とは断言できませんが、彼らは北狄の野蛮人であるからこそ、正々堂々と戦わずに汚い手段を用いることもあるかと存じます。」

「なるほど、それも一理あるな。判った、そなたの建言は朝廷でよく検討する故、下がるが良い。」

 退室した陳稜は深い失望を覚えた。彼は陳こそが中華であり、天命を受けている唯一の帝国であることを疑ったことはなかった。しかし、今の陳の実態をみるとこのままでは北狄の隋にいつ滅ぼされてもおかしくない状況である。

 皇帝は朝廷で検討すると言っていたが、本心では隋の工作員対策よりも張麗華のことで頭が一杯なのは明白であった。陳稜が失望しながら退室すると、一人の官吏が声を掛けた。

「陳稜じゃないか!久しぶり。親父さんは元気にしているか?」

「これは、これは、袁将軍!皇太子殿下はご機嫌麗しくございますか?」

「ちょっと、それに話がある。私の家に来てくれないか?」

 陳稜に声をかけたのは雲麾将軍袁憲であった。陳が誇る歴戦の名将である彼は、皇太子陳(ちん)(いん)の家庭教師のようなこともしていた。

「判りました。光栄に存じます。」

 陳稜が袁憲の家に行くと袁憲は言った。

「君は今の陳をどう思うかね?」

「正直、不安で一杯です。唯一の中華であるこの国が、北狄の隋に狙われている。もしもこの国が亡ぶようなことがあれば、中国の歴史はそこで終わってしまいます。」

「そうだろう。この国を建て直すことは容易ではない。皇太子殿下も、まぁ、残念ながら中原を回復するだけの器はないが、臣下が上手く盛り立てれば帝国を維持することぐらいはできるだろう。だが、その臣下が愚者ばかりだ。」

「と言いますと?」

「例えば吏部郎(りぶろう)(今の人事院総裁。当時では有力な大臣ポストの一つ。)の(さい)(ちょう)なんかは張麗華に媚を売ることしか頭にない男だ。こんな君側の奸がいると不安は尽きない。」

「そうなのですか、そんな輩が・・・・。」

「それに愛国の士の振りをして売国の道を説く者もいる。君も知っているものだ。」

「え?」

「永陽王の側近の高智慧なる者、西戎のカルト宗教の坊主を三顧の礼で南京に向かえたというではないか。あの智顗(ちぎ)とかいう怪僧、一説には隋の工作員だという。」

「本当ですか!」

「ああ、帝国の首都において彼へ帰依する者が絶えないのは、憂えるべきことだ。」

「そうなんですか・・・・実は、私は高智慧には仏教の僧侶など呼ぶのを止めるように忠告していたのです。」

「そうだろ。君はきちんと中華の人間としての誇りを持っている。素晴らしいことだ。君みたいな忠君愛国の士に皇太子殿下を守ってもらいたいものだ。」

「ありがたき幸せです。」

「皇太子殿下は帝国の唯一の希望なのだ。彼がもしも張麗華の謀略か何かで廃嫡されるようなことがあれば、もう帝国は亡び、中国の歴史も終わると思った方が良い。」

「・・・そうなのですね。」

「そんな中、未だに梁の残党どもが正統な王朝だという者もいる。梁の残党の偽帝は隋の長安で暮らしているというのに、だ。」

「梁の残党も隋の傀儡ですね。」

「そうだ。だが、彼らの中にも一人だけ気骨のある者がいる。蕭瓛(しょうけん)という男だ。彼は隋の支配に抵抗しようとしているらしい。」

「そうなのですか。何とか手を組みたいものですね。」

「そこだ、そこ。蕭瓛も梁の正統としてのプライドがあるから簡単には帝国の軍門には下らないだろう。しかし、彼に隋と戦うことを支援する、といえば交渉次第では乗るかもしれん。」

「そうですね、確かに。」

「という訳で君、ちょっと江陵に行って蕭瓛と会ってきてくれないか?」

「判りました。行ってみましょう。」

 陳稜が江陵に行って蕭瓛と会うと、蕭瓛は言った。

「ほぅ、簒奪者の国・陳の使いか。何の用かね?」

「そうですか、殿下にとって陳は簒奪者の国であって、梁は未だに天命を失っていない、と、そういうことですね?」

 陳稜は嘲るような笑いを浮かべながら言う。

「何が言いたい!現に梁は未だ天命を失っていないわ!」

 蕭瓛が怒りをもって応える。

「ならば、その天命というものを見せていただきたい!殷の紂帝も天命を受けて即位したが、酒池肉林に溺れている内に天命を失った。天命を受けたからといって惰眠を貪っていては亡びるも当然、しかるに殿下は梁が天命を受けたといいながら、兄君が北狄に連行されたのを坐して見ているだけとは、如何なる了見か!」

(うるさ)い!私は兄上の長安行きには反対したのだ。」

「ならば、どうして武力でそれを止めなかった!天命が梁にあるならば、負けるはずがないではないか!もしも負けたらそれは梁に天命が無かったということ、その時は潔く陳の軍門に下られよ!」

 それを聞いた蕭瓛は憤怒の表情で暫く黙り込み、そして口を開いた。

「私はこれでも天命を受けた皇帝の弟だ。男子たる者、命を惜しいとは思わぬ。死ぬときは死ぬし、天命に汝らにあるならば潔く従う。だが、天命はこちらにある。必ずや、汝らに天命が梁にあることを見せてやろう。」

「判った。もしも天命が梁にあるならば、この江陵に天子が戻ることがあるならば、私も梁に下ろうではないか!」

 そう言うと陳稜は梁を去った。

 蕭瓛は愈々覚悟を決めた。涙を堪えて靖帝が隋に行くのを見送った、あの屈辱を必ずや晴らしてやる!その決意の下に、皇帝奪還の檄を飛ばした。

 だが、このことは隋の文帝に梁を亡ぼす口実を与えただけだった。

「梁の土地と人民を隋に返還し、皇帝に臣下の礼を行うように。」

 晋王は靖帝にそう告げた。

「承知しました。」

 靖帝は屈辱を呑んでそう応える。

「汝は今後、莒国公に封じる。」

 晋王がそう文帝の詔勅を伝えると、そこで梁は滅亡した。

 隋の軍隊は蕭瓛が抵抗を続ける江陵に迫った。だが、既に靖帝が帝位を放棄したと知り、梁の軍隊の士気は大幅に低下していた。

「兄上を奪還しようにも、兄上に戻る気が無ければ仕方ないではないか!ああ、天は梁を見捨てたのか!」

 そう嘆きながら蕭瓛は戦わずして江陵を離れ、陳に亡命した。

 勝照三年(西暦五八七年、皇暦一二四七年)、梁の年号では広運二年の十月二十六日、八十年以上続いた陳や隋よりも古い歴史を持つ大梁帝国は、滅亡した。


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