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蓮と藤  作者: 讃嘆若人
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「国津神の祭祀を怠ると何が起こるのか、ということは歴史が証明している。」

 忍阪の地で中臣磐余は自分の話を聴きに来た群衆相手にそう語った。

「天津神というのは、天孫降臨、すなわち倭国建国の際に筑紫で祀られるようになった神である。元々、我が国にいた神様ではないのだ!我が国の元々の神様は、国津神である。」

 聴衆のうち、半分は理解できた、半分は理解できない、という顔をしている。だが、それも計算の内だ。

 こういう場合は、いきなりわかりやすいたとえを用いるのではなく、若干小難しい話をして「なんとなく、正しい」と思わせるのが肝要なのだ。

「はるか昔、御真木入彦大王はこの大和の地の昔ながらの信仰を抑圧していた。その結果、飢饉に冷害が発生し、多くの百姓が流民となった。しかし、三輪の地に大物主神を祀ると災害はたちまち収まったのである。」

 いきなり歴史の話が始まる。

 磐余は、歴史的に我が国の大王がいかに国津神を軽視し、その結果、国の政治を誤らせてきたかを力説した。

「我が国の昔ながらの神様は国津神なのである。その国津神への祭祀をおろそかにして、世の中が良くなると思うだろうか?」

 そういう磐余の言葉に、群衆はうなずいていった。

 彼らの多くは、神々に関する知識はない。だが、神官の家に生まれた中臣磐余が言うからには事実なのだろう、と判断する。

 彼らは、なんとなく、国津神が良い存在であり、天津神が悪い存在であると認識するようになっていく。

「国津神信仰?」

 押坂彦人大兄王が「なんじゃそりゃ」と言った顔をする。

「なんか、我が国の昔ながらの神様をお祀りしなかったらこの国が悪くなるんですって。」

 磐余の演説を聴いていた彦人の妻・大俣王が夫に今日のことを話ししていた。大俣王は彦人の母で大后の広姫同様、筑紫の王族の出身であった。

「そりゃ、別に地元の神様を祀ることには反対しないけど。それで?」

「要するに、私たち王族が祀っている天津神とか、最近広まっている仏教とか、あるいは韓国や中国、高句麗の神様を祀るのはダメだ、と言いたいみたい。」

「それを、中臣磐余が言っているわけ?」

「そう。」

「大和王権の祭祀を司る中臣一族の人間がそんなことを言い出すと、影響が大きいな。」

「ええ。かなり、磐余のファンも多いみたいよ。」

「変なブームにならなければいいんだが・・・・。」

「これって、やっぱり、中臣氏の意思なのかな?」

「どうしてそう思う?」

「大王家は天照大御神様をはじめ、天津神を祀っているでしょ?これは、大王家にとって代わりたい中臣一族の計画じゃないの?」

「その割には、あまりにも露骨すぎる。こんなに堂々と大王家に反抗するような演説をするのならば、今頃とっくに中臣氏によるクーデターが起きているだろう。それをしないということは、中臣氏に反乱の意思はないということだ。」

「なるほど。だけど、支持者を増やしてから大王家と対立、ということもあり得るんじゃないの?」

「それもないと思う。だいたい、磐余は中臣一族の一員ではあるものの分家の人間だ。今回のは一族としての行動ではなく、彼の個人的な言動だろう。」

「ふ~ん、そういうものか。」

「だいたい、忍阪にはこの私がいるんだよ?そこで堂々と演説をするということは、私と敵対する気はないということだね。まさか、磐余も敵の本拠地に一人では乗り込まないでしょ。」

「なるほどね。彼、今はあちこちで演説しているみたい。」

「心配だなぁ。暴走しなければいいんだが・・・・。」

「ねぇ、彦人は中臣磐余様のことをどう思っているの?」

「う~ん、それは難しい質問だね。」

「そうかぁ。だけど、知り合いでしょ?」

「そうだな。知り合いとは言っても、彼は私よりも年上だけどね。」

「いや、そりゃそうですよ。彦人さんはまだ19歳なんですからね。」

「まぁ、正直言ってそんなに悪いイメージはないな。確かに本音をズバズバいう一面はあるけれども、それも良く言えば裏表がない人だし。」

「本音をズバズバ言うって、彦人に対しても?」

「そうだね。君を筑紫から連れて帰った時なんか、12歳児を妻にするとは何を考えている!ということは言われたよ。なんだけど、その翌日にはちゃんとお祝いの品も送ってくれたし、神道とか歴史のことについていろいろと語り合えて楽しかったな。」

「ウフフ、それは言われますわね。運命の出会いは私が12歳の頃、押坂彦人さまが筑紫に来た際の一目惚れです、って。」

「まさか、筑紫への出張がこんなことになるとはな。」

「お兄様の漢王に押坂彦人様が会いに来た時、たまたま私の姿を見かけて許嫁にと申し込まれたんですよね~。」

「まるで、私が幼女趣味の変態王族と思われるから、これ以上そういう発言は控えてほしい。」

「家の中だから言っているのですよ?」

「使用人の口から洩れるかもわからんだろうに。」

「まぁ、12歳の女の子に押坂様が惚れられたという噂は、あっという間に倭国中を駆け巡り、私も鼻が高くなりましたけれど。」

「いや、それはちょっと、おかしくないか?」

「ウフフ、12歳で結婚の話が出ることはないわけではないとはいえ、遠い大和の国の王族から求婚が来るとはやはり珍しいこと。お友達にも自慢してあげましたわ。」

「あんた、俺と結婚する前に何をやらかしているんだ?」

「え?自慢しただけですわ?」

「そのせいで、私の評価はかなり下がっただろうな・・・・。」

「少女を愛するユニークな王族として名が売れたんじゃないの?」

「そんなことで名前を売りたくはないですね。」

「ウフフ、王族は何をしても目立ちますもんね。私なんかも、自分が王だからというので、みんな社交辞令ばっかりで嫌気がさしましたもん。」

「そうそう、だから裏表のない彼の人柄自体には好感を持っているんだが、問題は国津神信仰とかなんとか、大王家自体を否定する言説を言い出したことなんだよな。」

「だけど、大王家に本当に敵意があるのかまではわかりませんよね。」

「そうだよな。だいたい、彼に大王家と対立するだけの力はないしね。」

「では、気を変えて神社にでも参拝しましょうか?」

 忍阪の生根神社に押坂彦人大兄王と大俣王は参拝に行った。

 大神神社同様に、山そのものをご神体とするこの神社を、二人は気に入っていた。

「あの、衣通姫の産湯に使ったという、神聖な井戸を使っている百姓たちがいるな。」

「あら、その井戸なら私もいつも使ってますわよ?」

「何!?あの井戸はだな、はるか昔、衣通姫という絶世の美女が産まれたときの産湯に使った井戸なんだぞ?」

「ああ、衣通姫の話なら井戸端会議で地元のおばちゃんたちにしょっちゅう聞いていますわ?」

 衣通姫とは、允恭天皇の次女である。息子も入れると第三子だ。

 允恭天皇は大和王朝の19代目の大王で、西暦443年から454年の間、大和の大王の座にあった。もっとも、最初の数年は持病を理由に大王に即位することを拒否していた。

 それを群臣の要請もあって、妃が無理にでも即位するように求めた。その妃が押坂大中津姫である。

 名前からも類推できるように、押坂大中津姫は忍阪を領地としており、大中津姫が本来の名前である。彼女は八幡神として知られる第15代応神天皇の孫娘でもある。また、大中津姫の兄が大郎子と言い、押坂彦人大兄王ら現在の大和大王家一族の祖先にあたる。大和大王家一族の中興の祖が継体天皇であり、その曽祖父が大郎子なのだ。

 つまり、押坂彦人大兄王にとって大中津姫はご先祖様の妹で、そして、自分よりもはるか昔に忍阪の領主をしていた先達である。

 衣通姫は母親の領地である忍阪の地で生まれ、今押坂彦人大兄王と大俣王が見ている井戸の水を産湯にして取り上げられたのだ。

「じゃあ、衣通姫がどんな人間だったのかも聞いているのか?」

「ええ、この話を言うとR15になるとか言われましたけれど、私はもう15歳になったので聞きました。」

 なお、大俣王は数えで15歳なので満年齢はこの時だと13歳である。

「は?おばちゃんたち、一体、私の可愛い妻相手にどんな話をしたんだ?」

「地元のおばちゃんたちによると、衣通姫は露出度の高い服を着ている露出狂だった、なので『衣』が透け『通』っているような服を着ているから衣通姫なんだ、とその露出狂エピソードをいろいろ教えてくれました。」

「ちょっと待て!もうそれ以上言わなくてもいい!おばちゃんら、何をデタラメ教えてんねん!全然事実と異なる!」

「え?じゃあ、本当はどんな人だったんですか?」

「R15になるような話ではないからな。これはだな、衣通姫のお兄さんに関係する話だ。」

「へぇ、兄妹で結婚したのですか?そういや、義父様も実の妹の額田部女王を愛しておられますし。」

「ああ、全くだ。おかげで、私の母は今年になるまで正妃になれなかった。」

「なんで血の繋がった妹に惹かれるんでしょうね。」

「よほど、いい加減な男なんだろ。――って、あまり言うと不敬罪になるか。」

「私の夫にもその血が流れているわけですね。」

「勝手に私と親父を一緒にするな!」

「ウフフ、そりゃそうですよ~。ちゃんと、私を選んでくださるぐらいには人を見る目のある方ですもんね。」

「おお、大王の妹よりも自分の方がすごい、と言う意思が透けて見えるね。」

「ところで、彦人の許嫁にも異母妹がいるんじゃないの?」

「ちょっとそれはツッコまないでくれ・・・。」

「はいはい、ところで衣通姫の話はどんな話なのですか?」

「ああ、そうだった。お、そうこうしているうちに生根神社に着いたな。」

「そうですね。ああ、やはりここは気持ちいい!」

「・・・この神聖な空気の場所で、衣通姫の話を?」

「別に年齢制限が付くような話ではないんでしょ?」

「まぁ、そうだな。」

「ねぇ、もしかして兄妹の恋愛の話?だけど、それって今の大王家でも普通にあることだしなぁ。まさか、衣通姫も額田部女王みたいにサイコパスだったとか?」

「いや、君は根本的に勘違いしているようだ。」

「え?」

「まずだな、親父と叔母さんは異母妹だ。額田部女王は親父よりも私と年が近いぐらいだ。兄妹とは言っても、兄と妹というような関係を意識する場面はほとんどないだろう。」

「うん?」

「衣通姫はだな。自分の同母兄と結ばれようとしたんだ。」

「ええ!?」

「それも、相思相愛だ。」

「えええええええええええええええええええええええええ!?」

「わかったか、その異常性が。」

「わかりますよ!異常すぎます、超異常!頭おかしいんじゃないの!?って、あ!」

「うん?どうした?」

「もしかして、古記録に載っていた同母妹と結ばれようとした太子の話?」

「そうだ。で、その太子は父親の後継者になるはずが、伊予に島流しとなった。」

「そりゃそうでしょ!」

「で、妹の衣通姫は後を追って伊予まで来て、二人で心中した。」

「はあぁ!?どんだけ異常なの、その二人!」

「まぁまぁ、他の兄弟と比べると、マトモな人生を送った方かもしれないぞ?」

「え?」

「この二人、実は九人兄弟の長男と次女なんだ。五男四女の九人兄弟がいた。」

「そうだったんですね。まさか・・・。」

「うん。9人とも無茶苦茶な人生を送った。例えば、三男は7歳児に殺された。」

「7歳児!?」

「しかも、当時は一年を二年と数える倍数年暦の時代だから、実際には3歳児の可能性が高い。」

「3歳児に殺されるって、一体、何をどう間違えたらそうなるの!?」

「彼ら9人兄弟の話の詳細を聴きたいかい?」

「・・・いや、遠慮しておきます。」

「ちなみに、この9人の父親は正妃の妹相手に浮気をして奥さんが激怒したという逸話もある。」

「いや、だからもう聴きたくないって!というか、その血が私の夫にも流れていたんですね!」

「流れてない!流れてない!勝手に自分の夫をあんな奴らの子孫にするな!」

「だって、昔の大王家の人たちでしょ?」

「君が筑紫から大和に来る際、大和の歴史を一通り教えたはずだが・・・。」

「え?」

「衣通姫の時代の王統は滅んでいる。だから、その後、私の曽祖父が越からやってきて大和の大王に即位したんじゃないか!」

 允恭天皇は第16代大王の仁徳天皇の息子であるが、仁徳天皇(大雀大王)の血統は彼の玄孫の第25代武烈天皇の時代に途絶えている。

 皇位継承権を持つ近親の王族は、大王位をめぐって争い粛清されたり、衣通姫の長兄のように問題を起こして粛清されたりして、武烈天皇の時代には大王位を継ぐ者がいなかったのだ。

 そこで跡を継いだのが、武烈天皇の高祖父の仁徳天皇のさらに父である応神天皇の玄孫の彦主人王・・・の、さらに息子の継体天皇なのである。

 武烈天皇と継体天皇は、どちらも共通の祖先である応神天皇の来孫(玄孫の子供)に当たる。

「あ、そうか!当時の大王と私たちの家は赤の他人なわけね?」

「コラ!遠い親戚と言え!前の大王と比べて11親等だけ離れた曽祖父が、他に適当な王がいなかったので新しい大王に即位しただけだ!」

「・・・それって、他人ね。」

「とりあえず、私はあのあたりの王族の血は引いていないわけだ。」

「そうかぁ。ねぇねぇ。」

「なんだ?」

「それって、百姓の生活を第一に考えて税を三年間免除にするなどの善政を行い、死後には世界最大の古墳に葬られた大雀大王の血も、今の大王家には流れていないってことだよね?」

「・・・まぁ、そうだな。」

「私が大和に来た時、やたら大王家の人たちが大雀大王のことを自慢していたけど、あの人たち、大雀大王の血は入っていないわけでしょ?」

「・・・そこを突っ込んではいけない。」

 そう言った後、押坂彦人大兄王は何かに気付いたような顔をした。

「どうしたの?」

「ウフフ、誰かが私に会いにこっちに来ているようだ。」

「え?――あ!池辺王様!」

 大俣王が辺りを見回すと、北の方から池辺王が少し離れたところから数人の舎人を従えてこちらへ近づいてきている。

「叔父さんか、久しぶりだな。」

「あのブラコン王妃・額田部王の同母弟よね?」

「こら、本人に聞こえたらどうするんだ。」

「にしても、勘が鋭いからか、彦人は誰が近づくとすぐに気付くよね。」

 押坂彦人大兄王は池辺王の方に笑顔を向けて手を振った。池辺王は少し離れた地点に利根利を待たせて、一人だけで彦人大兄王の方へ駆け寄る。

「太子殿下!従者もつけずに何をしているのか!探したんだぞ?」

「え?叔父上は心配性だなぁ。生根神社は私の庭みたいなもんだし。」

「何を言っている!兄上の後継者は正妃の長男であるお前がなるとみんな思っている。いつ、だれに狙われるかわからん状況で、護衛もつけずにふらふら散歩するんじゃない!」

「そうだった、親父の跡を継ぐのは私だったな。」

「そうだ。ところで本題に入りたい。ちょっと、大事な話なので太子の屋敷を伺っても良いか?」

「別に良いですが。」

 そう言うも、彦人は解せない顔をしていた。

「お忙しいところ申し訳ない。大事な話があるのだ。」

 彦人の家で池辺王は言う。

「どういうことでしょうか?」

「大后殿下についての話だ。」

「母上が?」

「ああ。大后殿下を暗殺しようとしている輩がいる、との情報が入った。」

「母上を暗殺?それはなぜです?」

「誠に残念なことではあるが、筑紫にいる大后殿下の父君には敵が多い。祖父君のことを言って申し訳ないが太子殿下は仏教にも寛容であるが、息長真手(おきながのまて)王王殿下は仏教を嫌っているのだ。やはり、仏教を重んじる者は良く思っていない。」

「それで、母上が大和の大后になったのが気に入らない、と?わざわざ筑紫から大和まで刺客を派遣するわけですか?」

「いや、どうも大和に協力者がいるようだ。というのも、鴆毒が百済から伝来したという情報が入った。鴆毒は古代中国で暗殺によく使用されている猛毒らしい。筑紫にはその毒で気に入らない者を消そうと考えている輩がいるそうだ。その標的の中に、大后殿下もいるという噂がある。」

「あくまで噂でしょ?」

「それはそうだが、大王家の一員としては最悪に備えなければならないのも事実だ。」

「それは叔父上の言われる通りですね。」

「鴆毒を使うとなれば、必ずしも刺客は必要ない。毒を食べ物に混ぜるだけで可能だ。大后殿下にも気を付けるように言ったが、太子殿下にもよくよく気を付けて母君をまもられていただきたい。」

「判りました。叔父上の言われる通りにしましょう。」

 彦人との話が終わり池辺王は部屋を出ると一人の少女と出くわした。

「あ、お客様ですか?」

 少女が言う。少女の後ろから大俣王がやって来て言った。

「この方は叔父様の池辺王殿下ですよ。」

「あ、池辺王様、ですね?お話しは兄上から聴いております。宇遅(うじ)王です。」

 そういうと宇遅王は丁寧に頭を下げた。

「可愛いなぁ。」

 池辺王は思わず呟いた。

「え?そうですか?ありがとうございます。」

 容姿を褒められたからか、宇遅王が笑顔になる。

「ちょっと叔父さん、可愛い俺の妹を狙わないでほしいなぁ。」

 いつの間にか池辺王の後ろにいた彦人が言った。

「あ、お兄様!お姉ちゃんが()名子(なこ)さんたちと一緒に遊びに行くのだけど、一緒に来ないかと誘っています!」

「ああ、そうか。いつなんだ?」

「お兄様の都合の良い日を選ぶそうです!」

「わかった、判った。ところで、巫女修行は順調か?」

「ええ!やっぱり神社に勤めるって楽しいですね。」

 そうした兄妹の会話を聞いて池辺王も口を挟んだ。

「巫女修行?宇遅王殿は将来巫女になるおつもりか?」

「ああ、妹は伊勢の斎宮を目指しているんですよ。」

「そうか、そうか。応援してるよ。頑張ってね。」

 池辺王は宇遅王に向かってそう言いながら微笑むと彦人の屋敷を後にした。

 その後、池辺王が向かったのは難波王の屋敷であった。難波王は押坂彦人大兄王の異母弟である。

「叔父上、お久しぶりです。」

 難波王は突然の来訪者に戸惑いながらも出迎える。

「久しぶり。元気にしているか?」

「はい、お蔭様で。」

「そうか、それは良かった。次男が産まれた時のお祝いのお返しが出来ていなかった、と思ってな。」

「いえいえ、あんな粗品を。厩戸王様の時は充分なお祝いができず申し訳ございません。田目王様に逢う時も恥ずかしくなるほどです。」

 田目王は池辺王の長男で、次男である厩戸王から見ると異母兄に当たる。

「そうか、私は嬉しかったがな。じゃあ返礼の品は特にいらないと?」

「ええ、何と言いますか、その代わりにいつもなんやかんやでお世話になっていますし。」

「まぁ、そうだな。返礼の品はいらないとしても、甥の世話はしたくなるものなのだ。例えばだ、広姫殿への贈り物はしているか?」

「え?大后殿下ですか?」

「その様子だとどうもしていないようだな。」

「え?あ、はい。」

「それは不味いぞ。君は大王の子ではあっても大后の子ではない。大后殿下に何も送っていないとなれば、大王位を伺う野心をもって大后を蹴落とそうとしている、と誤解されても仕方ない。」

「いえ、僕は決してそんなつもりではないのですが・・・。」

「君はそうだろうが、周りはそうは見ない。それが大王家に生まれた者の宿命だ。嫌なことを言うようだが、私も兄上から大王位を奪おうとしている、という心無い噂が何度流れたことか!だからこそ、写真を疑われないためにも君たち兄上の子たちとは親しくしたいと思っている。」

「そうだったのですか・・・。」

「いいか、大王家の内紛が起きると国が乱れる。大王家の者は互いに仲良くしなければならないのだよ。難波王殿もそのことは自覚してほしい。」

「それはそうですね。私は別に大后殿下と喧嘩したいわけではないですし。」

「そうだろ?そこで、だ。私は筑紫から鯛醤(たいひしお)というものを手に入れた。」

「鯛醤?」

「そうだ、鯛を材料とする(ひしお)だな。鯛を塩辛にして発酵させた珍味だ。私から大后殿下に献上しても良いが、私は他にも献上するものをたくさん手に入れている。それよりも、だ。義理の息子である君が献上した方が大后殿下も喜ばれると思うぞ?」

「そうですか?ありがとうございます!そんな高級なものを・・・。」

「これも大王家のためだ。頑張ってほしい。」

「ありがとうございます!」

 池辺王は従者に命じて鯛醤の樽を難波王の家に持って来させた。難波王は有難くそれを受領した。


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