あなたを見守る星のように III
「ねえ、なんかやっぱ変だよアルヴィン」
「え? 何が?」
「キョーコちゃんに話しかける時、なんでですますなのさ」
「俺と同じアパートに住んでる藤夜出身のばあちゃんいるだろ? 砕けた言い方だと聞き取れないことあんだよ」
「でもキョーコちゃんはペラペラだと思うよ? 私とローレンスの日常使いの会話を理解してるし」
「藤夜の人は控えめっていうから、分かんないのに聞き返せなない〜とかあったら可哀想じゃん……」
「もー、また変に心配性発揮するんだから。大丈夫だよ。むしろ緊張させてるって。ね、キョーコちゃん!」
呼ばれたキョーコは弾かれるように顔をあげ、対面に座るニコーレに視線を移した。会話の流れを見失っている彼女は、申し訳なさそうに謝罪する。その様子を見てローレンスが笑った。
「また謝ってる」
「す、すみませ……あっ、ごめんなさ……うう……」
「悪いことしてないのに、藤夜の人って不思議」
「ローレンス、やめろって。ごめんなさい、キョーコさん。こいつちょっと制御不能な奴でして……」
「アルヴィンやっぱ変だってその喋り方〜〜」
ただいまの時刻午前五時。
彼らは午前六時までの勤務時間をサテライト特別捜査隊の本部で過ごしていた。
任務終了後の犯人移送と事務報告を終えた通報待機時間である。厳密に言えばアルヴィンたちには常に片付けなければならない書類仕事があるわけだが、然程急ぎのものはなく、キョーコの研修対応に時間を割くことにしていた。
ローレンスが淹れてくれた暖かい紅茶を飲みながら小さな茶菓子を摘む。四人はそう広くはない本部の端にあるソファに座り、机を囲んで会話を交していた。
「キョーコさん。どうですか? あーー……、いや、どうだったかな? 俺たちの魔力属性が何か分かった?」
初対面だし外国の人だし年下だろうとひとりの人間だし言葉の壁もあるだろうしって思って丁寧に話しかけようと努力したつもりだけどなんか結局変に緊張させてしまっている気がするのでこうやって話しかけてもいいですか嫌だったらちゃんとします大丈夫ですか。
ここまで一息。
アルヴィンは言葉では淀みなく、しかし視線は存分に彷徨わせながら言った。キョーコはこの言葉を受けて、やはりアルヴィンは優しい人なのだと確信する。歩み寄ろうとしてくれる少し年上のお兄さんに、キョーコは自分の心を開こうと思った。
大丈夫ですと精一杯微笑むと、アルヴィンも口の端を緩めてくれた。寒い外気にさらされた頬が少し赤みを帯びていて、照れているようにも見える。互いが一歩ずつ近づいた瞬間を、ニコーレとローレンスも笑顔で見つめた。
「多分、お三方の属性は分かったと思います」
「お三方」
「かたいかたい! キョーコちゃんかたーい! 先輩たちって呼んで!」
「あ、はいっ。先輩」
「うわ可愛い。すごくイイ」
「ニコは無視して……、じゃあ誰がどの属性か説明してみてくれ」
話は戻り、本日の研修のまとめとして、キョーコはアルヴィンたちの魔力属性を推測することになった。
魔力属性。
ヨーサリの奇跡、説明の便宜上魔術と称するが、それらには属性がある。創作物でよくある『火属性』や『風属性』などである。魔術でできることは、ヨーサリの身体を巡る魔力の属性によって異なるのだ。
「まずローレンス先輩は【ギャブリエル】です。身体能力が尋常じゃなかったので。ニコーレ先輩は珍しい【フツ】だと思います。……あんまり自信がないんですが、……アルヴィン先輩は【アンジェリカ】かなぁ、と」
魔力属性は魔力のを『母』と言い換えられることがある。何故なら魔術の属性を生み出したとされる女性たちの名前が、魔力属性名として銘打たれているからだ。
人工物強化の【アンジェリカ】
身体強化の【ギャブリエル】
心身治療の【トリーシャ】
自然物強化の【ルーシー】
超感覚、精神作用の【フツ】
飛行、浮遊の【ラウラ】
未分類及び特殊体質の【キャット】
例えば【アンジェリカ】の属性で魔術を行使する者は『アンジェリカの血脈』と表現される。これは魔力が基本的には親から子へ遺伝するためである。『アンジェリカの血脈』は自身のルーツを遡って行けば必ず【アンジェリカ】の弟子、もしくは本人に行き着くとされている。
これらは世界各国が研究した成果であり、国際基準でヨーサリとアシタに浸透している概念である。
さて、キョーコはその知識を元にアルヴィンたちの属性を推測したわけだが、果たして結果は。
「正解。三人分正解だ。百点満点なら百点。でも少し意地悪だが、百二十点満点だと満点じゃない」
アルヴィンはニコーレの肩に触れる。
「実はニコーレにはフツ以外にまだ『母』がいる。そんでもって実はまだ君には披露してない」
だから意地悪な質問だったんだ、とアルヴィンは続けた。ニコーレは少し得意げに、かつ改まって言う。
「実は『トリーシャの血脈』でもあるの」
「……え!? え! とり、……ッえ!?……は、初めて『トリーシャの血脈』にお会いしました!」
「へへー、ニコーレ・ベルトラーミです。ニコでいいよ」
「じゃあ……二、ニコ先輩……よろしくお願いしますっ。キョーコ・シンドーです。あの、光栄です。【トリーシャ】の子にお会いできるだなんて……やっぱりテ・ルーナはすごいです」
「そうだねぇ。テ・ルーナには『トリーシャの血脈』が十数人はいると思うよ」
血液型に人数の割合があるように、魔力属性にも割合がある。
人数が多い方から、ギャブリエル、アンジェリカ、ルーシー、キャット、フツ、ラウラ、トリーシャ。
特に『トリーシャの血脈』は極端に少なく、世界に散らばるヨーサリたちの一%以下、百人いるかいないかのレベルである。多くは医療機関に配属されるが、サテライト特別捜査隊のような組織で活躍する者も稀にいる。『トリーシャの血脈』が治療する相手は大怪我を負ったヨーサリが主となる。彼らが重傷を負った場合は一般的な外科的処置では治療不可能なことが多いためだ。
例えヨーサリであっても『トリーシャの血脈』と言葉をかわした者は少ない。ましてや元々アシタだったキョーコにとっては絵本のキャラクターのような存在だ。
握手が終わっても興奮冷めやらぬ様子のキョーコを見て、アルヴィンは真正面に座るローレンスに目配せを送る。ローレンスはアルヴィンの意図を汲み取るまで少々時間がかかったが、気付いてからはすぐに柔らかい雰囲気で右手をキョーコに差し出した。
「ローレンス・ハモンド。『ギャブリエルの血脈』で大正解。今二十四歳だからキョーコ君からしたら大分おじさんだけどよろしくね」
差し出された手を慌てて握ったキョーコが、手の持ち主を見上げる。すると存外近い距離でキラキラと王子様が笑っていた。自分の顔に自信があるとか、ないとか、そういうのを超越して国が傾きそうな顔をした青年。美しい人には近寄りがたさを感じるキョーコだが、ローレンスはある意味タチが悪い。ホワンホワンという効果音を常に出している。そのせいか妙に親しみやすく、彼のパーソナルスペースにずぶりずぶりと引き込まれていくのだ。
さらに先刻の特別制圧対象への態度もキョーコの心の平穏を乱す。確かこの人小太りな男を椅子にして、なおかつバッサリ言葉の刃で切り捨てていたような。
薔薇よりも美しいが、薔薇よりも刺々しい人。キョーコの頭の中でローレンスの辛辣な物言いが反芻された。そのせいか頬が少し引き攣ってしまう。
「『ギャブリエルの血脈』は多いが、サテライト所属ともなると他のヨーサリよりも頭ひとつ飛び抜けている。ローレンスもそうだ」
「別にそんなにすごくないよ。僕が使える【ギャブリエル】は足を速くしたり拳を固くしたり、その程度。簡単に言えばめちゃくちゃ運動神経がいい人だからね」
「本人はこうやっていつも謙遜するが、魔力の巡りをコントロールするのがとても上手なんだ」
ぎこちない様子のキョーコとその様子を気に留めないローレンスの終わりのない握手を見兼ねたアルヴィンは助け舟を出す。ローレンスはアルヴィンに対し返事をするタイミングで、キョーコとの握手を解いた。キョーコもソファに座りなおす。
アルヴィンの説明曰く、並のヨーサリが仮に百の魔力を持っている時、魔力を行使するということは百の力を行使することと同義となる。ガスコンロの火がつくか、つかないかの世界だ。
優秀なヨーサリとは火の調節が効くガスコンロである。ローレンスはガスコンロの中でもメモリが一から百まであるイメージだ。
細かい調整が効くことにより、例えば『ギャブリエルの血脈』に多い『怪力』という魔力を持つ者は、重くとも繊細なモノを運ぶ際、力を込めすぎて壊してしまう場合がある。所謂並のヨーサリだ。しかしローレンスは持ち上げる時と持ち運ぶ時で魔力の込め方を細かく調整できる。だからモノが壊れることはない。そういった調整を彼は直感的無意識に行える。
更に彼のように優秀だとガスコンロをいくつも持っているイメージになってくる。『怪力』の状態で『加速』も出来るし『跳躍』もできる。
彼は自身を『運動神経がいい人』と表現したが、それはよく自分を理解できている表現だ。彼は速く走ることができ、高く跳ぶことができ、力が強くなり、動体視力も高くなる。そういった魔力の使い手なのだ。
「ニコーレは異なる属性の魔力を体内で維持できている。ローレンスは魔力を行使する際の循環を調整できている。ヨーサリが魔力と上手に付き合うために一番大切な魔力をコントロールする力にこのふたりは長けているんだ」
「魔力をコントロール……」
「キョーコさん、あなたがテ・ルーナ王国で魔力を学んで、正しいヨーサリになるにはそれを覚えなくてはならないよ」
「あの……」
「ん?」
アルヴィンはどこか誇らしげに隊員のふたりを紹介してくれている。その顔つきは穏和で、とても午前三時の閻魔様には見えなかった。
彼の話の腰を折るのは些か申し訳なかったが、キョーコには話の続きよりも知りたいことがあった。
「アルヴィン隊長のことをもっと知りたいです」
ヒュウ、と口笛。正面からだ。ニコーレである。
軽薄な高音を聴いて、キョーコはその意味を理解する。理解するまでに数秒。しかしその後途端に真っ赤になった。
「あっ、ちがっ、ちがくて! 変な意味じゃなくて!」
「大丈夫、分かってるよ。伝わってる。話がズレたね。……ニコーレ、からかうな」
「ごめんっ、だって可愛くてさぁ〜〜」
「俺の母は君のいう通り【アンジェリカ】だ。それから……ああそうだ、アルヴィン・ケンドリュー。好きに呼んでくれ。改めてキョーコさん。テ・ルーナにようこそ」
ニヤニヤと品なく笑うニコーレを無視してアルヴィンは手を差し出した。革の手袋が外された生身の手のひら。大柄とは言えない体格のアルヴィンだが、それでも十七歳の少女よりは大きな手である。
握り返すと何処からともなく寒い夜の匂いがした。本部のドアは開けられているが、窓は開いていない。室内ではストーブを焚いている。だからそんな匂いはしないはずなのに、キョーコの鼻は確かにその深い匂いを嗅いだ。
ソファから上げた腰をアルヴィンが戻した時、また微かに香る。ああそうか。キョーコは少し感動した。やはり本当のヨーサリは寒い夜の匂いがするのだと。
「私、魔力の制御、頑張ります。突然ヨーサリになったことを言い訳にしないで、ちゃんとしたヨーサリになれるよう頑張ります」
若くしてサテライト特別捜査隊の分隊長を担うアルヴィン。【フツ】と【トリーシャ】という非常に珍しい血脈のニコーレ、【ギャブリエル】を高度に使いこなすローレンス。
わずかな時間ではあったが、彼らの実力や人柄に触れ、キョーコは彼らを羨望だけでなく、尊敬するようになっていた。幼い頃には決して想像もできなかった舞台に今、自分は登ろうとしている。そう考えるとキョーコはたまらなくなった。
加えて先ほどの特別制圧対象への行為と人々の反応。母国とは異なる世界と感情がこの国には広がっている。この国を理解することがヨーサリへの一歩でもあり、ヨーサリを理解することはこの国への一歩でもある。だからこそ、キョーコははやく立派なヨーサリになりたいと思っていた。
キョーコは膝に置いた手を握り、自らを導く三人に向かって決意を語る。語られた側は頷きで応えた。
「そういえばキョーコちゃんは十五歳の検診に引っかかったんだっけ?」
「そうです。そこからは医療機関巡りの後にここまで来たわけでして……あ……、そういえば私の魔力属性なんですけど、」
「「「ちょっと待ったァーーーー!!!」」」
「わ!」
自己紹介の締めくくりには相応しいだろうと、キョーコが自身の母を明かそうとしたその時である。彼女の前に手のひらがみっつ。ぐんっと目の前に突き出され、それらは制止を求めていた。
「実は俺たちもある意味研修中なんだ」
「へ?」
「研修生を受け入れ、自分たちを俯瞰しながら俺たちもヨーサリとして知識と経験を身につけろっていう課題が出てる」
「それはどういった……?」
「あなたの魔力属性を当てるっていうのがまずはひとつめの課題かな」
ヨーサリの戦いにおいて母を知られるということは弱点を知られると同義である。例えば『フツの血脈』は相手の気持ちを読み取ることはできても、『ギャブリエルの血脈』に思い切り殴られれば瀕死の重傷を負う。戦略を立てれば逆もまた然りで、母を知ることができれば有利に戦局が運ぶ。故に特別捜査隊では相手の母を見分け、推測する訓練を隊員へ常に課している。研修生のキョーコはちょうどいい調査対象である。攻撃してくることも逃げることもないのだから。
「まあ私はもう知ってるんだけどね〜〜」
ニコーレは紅茶のお代わりをカップに注いだ。少しだけ減ったキョーコのカップにも注ぎ足してくれる。満杯のアルヴィンと空っぽのローレンスには淹れなかった。
「僕のグーで倒せる属性かな?」
「その脳筋思想改善しろよローレンス」
「いやぁ僕これくらいしかできないからさ」
ローレンスが恐ろしいことを言っている。冗談めいてないのが本当に恐ろしい。
ニコーレは【フツ】の魔力を使い、他者の魔力属性を感知することができる。感知できるのは近距離のヨーサリが魔力を行使した時のみである。
「キョーコちゃん、さっき少しだけ漏れてたからね。栓の締め方を一緒に練習しよー!」
【フツ】の魔力ならば相手を見るだけで母を知ることも可能だ。しかしそのレベルの【フツ】の魔力を使えるヨーサリは世界に数える程度しかいないだろう。
ニコーレは近距離で相手が魔力を使った場合は相手の母を、中距離で行使された場合は相手との大体の距離を掴むことができる。
「い、今も魔力が漏れてますか?」
「魔力は鼓動みたいなものなの。緊張したり驚いたりすると心臓が跳ねるのと一緒で、魔力もそういう時に漏れやすいんだよ。さっきは色々初めててびっくりしちゃってたからね〜〜。今はちゃんと栓できてるよ。少しリラックスできてるのかな?」
ニコーレの指摘通りだった。キョーコはテ・ルーナ王国に足を踏み入れた時から比べれば大分心穏やかに今を過ごせている。
「……できて、ます。……えへへ、紅茶、美味しいです」
ベルガモットの良い香りと、身体をじんわりと包む温もり。心のゆとりが紅茶を楽しませてくれる。ニコーレからチョコレートを勧められた。キョーコは素直に受け取る。控えめな甘さが緩い微睡を誘った。
カーテンの向こう側はまだ暗く、夜との区別はつかない。しかし、キョーコの気持ちは朝日に向かっていた。
「研修もそうだが、そもそも外国にいるんだ。体や気持ちがついてこられなくなることもあるだろう。こんな散らかったスペースでよければいつでも好きに使ってくれて構わないから」
アルヴィンは今一度微笑む。キョーコも同じように応えた。
「そういえば団服がまだだった。ニコーレ、彼女のサイズ見てやってくれ。キョーコさんは今どこの寮に居るんだ?」
「一昨日まで高等学生寮だったんですけど、昨日からサテライト別棟になりました」
「お、ちょうどいいや。ニコーレも同じ寮なんだ。二人ともそのまま帰っていいよ。ニコーレは帰りに彼女を送ってやってくれ」
「はーい。キョーコちゃん、荷ほどきまだなら手伝うよん」
「いえっ、それは流石に……!」
マグカップを持って立ち上がったアルヴィンは自身の席に戻りつつ指示を出す。彼が立ったのと合わせてローレンスも立ち上がり、菓子のゴミを集め始めた。キョーコの手の中からゴミを攫う行為すらスマートである。
「耳栓も用意してあげなきゃじゃない?」
「あ〜〜、あぶね。また忘れてた。サンキュー、ローレンス」
「明後日仕事始まる前に一式私に頂戴。他の携行品も次からは必ず持たせるよう通達来てた」
「ニコーレもあんがと」
「なんで一日ズレるんだろうね。初日から渡してあげればいいのに」
「初日は書類仕事って相場が決まってるの。私たちくらいだよ、初日から現場に連れ出したの」
ニコーレにはゆっくりしているよう、やんわりとソファに縫い付けられたキョーコであったが、雰囲気を察し自らティーカップを片付け始める。淡い水色のカーテンで区切られた給湯室に洗い物を運んでいく。ローレンスは既にカップを洗い始めていて、濡れた手でキョーコからカップを受け取った。
洗い物係に自らを推薦するキョーコだが、ローレンスはその時既にカップを洗い終えていた。何も手伝っていないのに、ありがとうと感謝されるとくすぐったくなる。給湯室から小股でソファに戻ると、ふいにニコーレに腕を組まれた。
「じゃ、行こっか」
「あ、はいっ。あの、アルヴィン隊長、ローレンス先輩、お疲れ様でした!」
ニコーレの大きな胸がキョーコの肘に当たる。任務中ではないのでキョーコは思い切ってその柔らかさを噛み締めることにした。
アルヴィンはキョーコに応え、軽く手を振ってくれた。ローレンスは両手にいっぱい書類を抱えている。この後片付ける仕事なのだろうか。くんっ、と腕を引かれる。キョーコの二の腕が柔らかい胸に沈んでいた。
室内といえどサテライト棟の廊下は寒い。互いに暖を取り合うふたり。キョーコは小柄だが力強いニコーレにぴったりとくっつきながら、特別捜査隊本部を後にした。




