第二章 魔法少女の学校生活-1
キーンコーンカーンコーン。
金森第三高校の校舎中に昼休みを告げるベルが響き渡る。
その瞬間、私は鞄を肩にかけた。
「あ、紅緒~。今日は一緒にご飯食べよーよー」
クラスメイトの子が私を呼んでいる。
けれどわざと聞こえないふりをして、教室を飛び出した。
ごめんなさいっ。でもこれだけは、このお弁当だけは見せられないのっ!
「もやし、おいひい……」
校舎の二階に設置された女子トイレの個室。
私は便器に座ってお弁当いっぱいに詰まったモヤシを頬張りながら、充実している昼休みを送っている。
「お弁当が茹でモヤシって、こんな女子高生聞いたことがないマネ」
フランが哀れんだ目を向けてくる。
「モヤシを舐めちゃ、痛い目見るんだから。腹持ちいいし、栄養もあるし、茹でるだけでそれなりにおいしい。それになによりも安い!」
ああ、もやし。しなっとしたモヤシの風味が口いっぱいに広がる。ああ、野菜を食べているって感じ。これで一袋九円なんてとってもお得。
「このお弁当、二段あるマネ。上の段はモヤシだけど、下にはなにが入っているマネ?」
「下はね、ふふふ」
ぱんぱかぱーんと開ける。
「こ、これは……ぺろっ、塩マネ! 何の変哲もない、ただの食塩マネ!」
「塩は人間の体にとって必須ミネラルなんだから。これと水があるだけで、熱中症も避けられるし、そして、モヤシにかけても、おいしい!」
「かかかかなしい。かなしいマネ! こんな女子高生見たことないマネ! 昨日給料が入ったはずマネ! なんでモヤシ弁当なんて食べてるマネ!」
「だってお金使うのもったいないじゃん。一日でも早く借金を返したいし。それに、日々のこういう努力が大切なのよ。もぐもぐ」
な、なんでだろう。フランがかつてないほど冷たい目で私を見てくる。
「こんなケチな魔法少女はじめて見たマネ……。きっと史上最強のケチケチ魔法少女マネ」
「し、失礼ねぇ。倹約家って言ってほしいわ。もぐもぐ。さて、授業、授業!」
空っぽになった元もやし弁当を鞄にしまい、ドアを開ける。
これが私の学校生活。
さ、さみしくなんてないもん。……ぐすん。
窓から差し込んでくる夕日の光で、教室が朱色に染めあげられる。
広い教室内、私は定位置である窓際の席に座っていた。
「ふはぁー」
ため息を吐くと、疲れがいっきにくる。
いてて、昨日の仕事疲れか、肩と腰が痛い。
「最近紅緒、疲れ気味だね。肌がかさかさだよー」
クラスメイトで親友の荻野 乃々の手が頬に触れた。
顎のラインできれいに切り揃えられたボブヘアー。唇には淡桃色のリップを塗っている。
何の手も加えていない私とは大違いで、乃々はキチンとした今時の女の子だ。
「うんー。ちょっとバイトをはじめて……」
「バイト? どんなの? カフェとか?」
「ううん。そんなおしゃれじゃないよ。まほ――力仕事をちょっとね」
危ない危ない。あわてて本当のことを言ってしまうところだった。
力仕事……まぁ嘘は言っていない。
「そっかぁ、いいなぁバイト。私もはじめようと思ってたんだ」
「そうなんだ。どんなバイト?」
「えっとね、このあいだ求人情報でみた……あ、これこれ」
乃々が鞄から取り出した求人情報誌を開く。
「これこれ。時給が高くて年齢経験不問。しかも土日のみの勤務も可能らしいんだ」
「へぇ~」
乃々が手入れされた指で求人情報の片隅を指す。
そこには――
『子どもの頃に憧れたヒーロー……ではなく悪役になってみませんか?
年齢経験問わず。
必要なのは【やる気】と【羞恥心を捨て去ること】だけ!
時給はなんと一万円!
勤務地はその都度、変わります。交通費全額支給。
詳しくは050ーXXXXーVVVV。
さぁ、みんなで世界を征服しよう! 合言葉は【キー!】
有限会社 マレフィカルム』
記事の下の写真には、全身黒タイツの集団が並んで立っている。
「こ、これ……」
……見間違えるはずものない。
この前、私たちを襲ってきた黒タイツ集団だ。
「おもしろそうでしょー。時給も高いし、怖いもの見たさでちょっとやってみたいなぁって」
「ぜっっっっっっったいやめたほうがいい!」
机をバンッと叩いて立ち上がる。
「ど、どうしたの? 顔こわいよ?」
乃々が震える瞳をこちらに向けてくる。
「ね、ねぇ。乃々、この雑誌くれない?」
「い、いーよー。そろそろ次の号に切り替わるしねー」
「ありがとう!」
私は雑誌と鞄を持って女子トイレにかけこんだ。
「フラン、これ見て」
「また女子トイレマネ……えーっとどれどれー」
フランが鞄からひょいっと顔を出す。
「こ、これは……どうして彼らに浄化魔法が効かないかわかったマネ」
「どうして……?」
「彼らは紅緒と同じ、雇われた悪だからマネ。彼ら自身の心が穢れているわけじゃなく、仕事で仕方なくやっているから、浄化魔法が効かなかったマネ!」
「そ、そんなぁッ!」
私が唯一使える浄化魔法【無料】が使えない強敵。
あああ、やっぱり魔法少女なんて胡散臭いこと、安請け合いでやるんじゃなかったぁ。
「きゃああああああーーーーー!」
トイレの窓の向こうから、女生徒の悲鳴が聞こえた。
「紅緒、事件かもしれないマネ!」
「うんっ!」
私はトイレの窓から外を見る。
夕方の空に照らされて見えるのは、土埃のまう校庭。白い体操服を着た女生徒。そして全身黒タイツの男。
「やつらマネ!」
「ええええ、なんで学校にいるの! どどどどうしよう!」
「はやく行かないとあの女子生徒が、いや~んばか~んな辱めを受けてしまうかもしれないマネ!」
「ででで、でも、魔法通じないんだよ。どうやって戦えばいいの?」
「攻撃魔法を使って追い返せばいいマネ! ユカリのように!」
「で、でも魔法使ったらお金なくなっちゃうし」
「あの子と財布どっちが大切マネ!」
ふえええ。正論だぁああ。
「わ、わかった。どうにかしてみる」
こうなったらやるっきゃない。
「ユカリには連絡しておくマネ。せめてそれまで粘るマネ!」
「う、うんっ!」
フランを右手で持ち上げて、叫ぶ。
「チャージ・ザ・マネー!」
「待ちなさいっ!」
砂埃舞う校庭。
魔法少女に変身した私は、敵に向かってステッキの先を突きつけた。
目の前にいる全身黒タイツの男は、体操服を着た女子高生を人質にとっていた。
女子高生はハーフパンツから出たむちむちの太股をこすりながら、涙目になっている。
「た、たすけてぇ。トイレ行きたいのぉ~!」
なんて、なんて悪質な! 女の子は尿道が短いから膀胱炎になりやすいのにっっ!
「キーッ!」
ヒュンッッ!
耳のすぐ後ろで風を切る音が聞こえた。
目の前には、黒タイツの男が立っている。男の腕が頬の横にあることから、彼の放った拳が掠ったのだと理解した。
「紅緒っ!」
少し離れた場所においたバックから、フランが顔を出して叫んでいる。
「ふぇえええん、おトイレぇえええ~~~~~っ!」
人質になっていた女の子は、男の腕から開放され、むちむちのふとももを全力で動かしながら校舎の方へ駆けて行った。
「キィイ……」
黒ずくめの男がゆらりと私の方を向く。
あ、マズい。怒らせちゃったのかも。
「キィイイイイ!」
男が拳を振り上げた。
死んじゃうっ!
ぎゅっと目を瞑る。
けれど少し経っても、何の痛みも感じない。
「…………………………おい」
ふと、低い男の声が聞こえた。
「………………きいてんだろ、魔法少女」
ゆっくりと目を開ける。
目の前にはやっぱり黒タイツの男がいる。でも、なんだろう。さっきと様子が違う。
「……俺だってこんなことやりたくない。でも家に三歳の娘がいる。あの子に新しいおもちゃを買ってやりたいんだ。頼む、負けてくれ」
黒タイツの男はもごもごと、小さい声で言った。
「ええっと……」
つまり、私がここで負けたら、彼は娘に新しいおもちゃを買ってあげられる。
でも私が勝ったら、それが出来ない――の?
ええっと……これって、この状況って、私が悪者みたいじゃない!
良心が痛い。あ、ああ、瞼の裏で三歳の女の子が「おねーたんありがとう」って微笑んでいる姿が浮かぶ。負けてあげたい。負けたらボーナスは出ないけど、でも時給は出るはず。
でも負ける定義はなんなんだろう。
床に膝をついた時?
心が折れた時?
それとも――
「ちなみに、負けるってどうやったら負けになるの?」
「……目を瞑って、きれいな川が見えたら負けだ」
「それって死ぬってことじゃない! さすがにむりむりっ!」
あり得ない!
私はステッキを彼に向ける。
「ならば、仕方がないな」
男の腕が振り上げられる。その時、私は気がついた。
……あ、勝ち目ない。
再び死を覚悟した、その時――
「チャージ・ザ・マネー!」
どこからか、声が聞こえた。
声のしたほうが、ぱああっと光る。
あの光は見覚えがある。そしてあの掛け声、間違いない。
「魔法少女マネ!」