第一章 魔法少女はじめました―1
ありふれた高校生の日常。
学校に行って授業を受けて、友達と一緒にゲームセンターに行ったりして、充実した高校生活――を送りたかった。
それなのに、なんでこんなことになったんだろう。
築六十年の古びたアパートの一階が私の住む家だ。
スナックで働く母と、二人でせっせと暮らしていた。
夏は扇風機と下着で過ごすことで乗り切り、冬は暖房器具を一切使わず布団に包まって暖をとった。
野菜が高騰化して買えない時は、業務用スーパーで買った30袋入り198円の激安青汁(粉末)を水で薄めて栄養を補給したり、電気代を節約するためにロウソクを使ったりと、苦労は耐えなかったけれど、それなりに幸せだった。
それなのに、私は今、思い出の詰まった家に入ることも出来ず、扉の前で立ち尽くしていた。
扉には一枚の紙が貼ってあった。
『空き家』
油性マジックの太字部分で描かれたような文字は酷く雑で、それが私の心をいっそう締め付けた。
「うっそぉん……」
そんな呟きが口から漏れだした。
あまりにも現実離れしている。いや、私の家庭の貧乏っぷりならいつかはこうなりそうだったけれど、実際に家がなくなってしまうなんて。
母はこのことを知っているのだろうか。
視線を落とすと、ドアの下の隙間に一枚の茶封筒が挟まっていた。
茶封筒には母の筆跡で私の名前が書かれていた。
私は急いで茶封筒を開封し、中に入っていた手紙を取り出す。
『美羽へ
この手紙をあなたが読んでいるとき、もう私はいないでしょう』
手紙はドラマなどでよく見る書き出しから始まっていた。
まさか、母は重い病気を患っていたのだろうか。
そういえば最近、母の金使いが荒くなっていた。家計簿をつけている時に「何に使ったの?」と訊くと、母は言葉を濁して「ないしょ」と微笑んでいた。
あれは、もしかして母なりの気遣いだったのだろうか――
鼻がつんとして、視界が暈けた。
「おかあさん……」
私は手の甲で目元に浮かんだ涙を拭い、ハナをすすりながら手紙を読み進めた。
『何故なら、新しく好きな人が出来たからデ――――ッス☆』
「ハァアアアアアアアア?」
涙が一瞬で引いた。思わず手紙を強く握りしめてしまう。
このまま引きちぎって川に捨ててやりたかったけれど、ぐっと飲み込む。
くしゃくしゃになってしまった手紙を広げて、私は続きの文章を読んだ。
『ってことで、私は彼と一緒に暮らすことになりました。
できればあんたも連れて行きたかったんだけど、よく考えたらあんたももう十六だし、歳以上にしっかりしてるし、家事できるし面倒見もいいし、目を細めて見ればまぁまぁ可愛く見えるし、いける! 大丈夫! ファイト☆
高校のお金はちゃんと払っているからそのまま通えるよ! そんじゃ、ばーいばーい』
もう呆れて言葉が出なかった。
私は手紙を綺麗に折りたたんで、もう一度茶封筒に戻した。
茶封筒の中からちらりと一枚の紙と数枚の福沢諭吉が覗いていた。茶封筒に残された紙を取り出す。
そこには色とりどりのカラーペンで
『十六歳のお誕生日おめでとう 紅緒へ』と書いてあった。
ふらつく足取りで二十四時間スーパーに入り、いつもなら炭酸が抜けて勿体無いと買わなかった二リットルサイズのペットボトルと、円で二個入りのケーキ(半額シールが貼ってある)をレジに持って行く。
茶封筒に入っていた万札を一枚取り出してレジに置いた。
「お会計476円になります」
レジの店員は嫌な顔ひとつせず、笑顔で万札を受けとった。
たった一枚の福沢諭吉は、細かい小銭と数枚の札に崩れしてもどってきた。
スーパーを出て、しばらくうろついた。
夏間近とはいえ、夜はまだ肌寒い。
制服のスカートはかなり短く、夜風が太ももを冷やした。
「誰も……いないよね?」
私は辺りを見回して、誰も居ないことを確認し、腰元で高さ調整のために折っていたスカートを伸ばす。
少しみすぼらしいけれど、膝にかける毛布すらないので仕方がない。
二リットルサイズのペットボトルはやっぱり重く、レジ袋が腕にめり込んでいくような気がした。
「あのへんで、いっか」
通りかかった公園に入って、ベンチに腰を下ろす。
ペットボトルの蓋を開けると、空気が抜けてプシュッと音が鳴った。
コップなんてものはないから、そのまま一気にラッパ飲みする。普段ならできない贅沢にちょっと背徳心を抱きながら、ゴクゴクと飲み干す。炭酸が弾けて喉に甘い痛みを残した。
「ケーキ……」
レジ袋からケーキを取り出す。生クリームのたっぷりのったショートケーキには、色の薄い苺が一個乗っかっていた。
膝の上にケーキの載ったトレーを置いて、レジで貰ったフォークで苺を刺した。
「すっぱい……」
見上げると、夜空にはグラニュー糖をこぼしたような無数の星が散らばっていた。
「ハッピバースデー、わたし」
公園でぽつりと呟く。
私の声は夜の静寂に飲み込まれて消えていった。
――これからどうしよう。
残ったお金は二万と9524円。
食べる分ならやりくりすれば、二ヶ月、いや、三ヶ月くらいは持つ。
一番の問題は住居だ。このままだと野宿になってしまう。
安心して眠ることもできないし、なにより一番嫌なのが――
「シャワーが浴びれない!」
『やだぁ、愛野さんクサァイ』『ちゃんとお風呂入ってないんじゃないの?』
クラスメイト達の嘲笑が頭に浮かぶ。
体裁なんて考えてられない状況だっていうのはわかっている。
でも、やっぱり家が欲しい!
その時だった。
「ぱんぱかぱ――ーん!」
少年のような高い声が、私の耳元で聞こえた。
こんな時間に子どもが出歩いているなんて――と思いながら辺りを見回したけれど、誰もいない。
「気のせいかな?」
置いていたジュースを取るため、横に手を伸ばした時、ひんやりとしたものが手に当たった。
そこには、陶器で出来たピンク色のブタの貯金箱が置いてあった。
「こんなの、あったっけ?」
先程の少年の声も気になるけれど、この貯金箱のほうがもっと気になった。
何故なら、貯金箱ならお金が入っているはずだからだ。
「しかたないもん、しかたないんだもん……」
貯金箱を手にとって、揺らしてみると
カラン、カラン。
わずかだけれど金の音がした。
これはきっと神様が授けてくれたに違いない。ありがとう! 神様!
カラン、カラン。
「わわわ、やめるマネ、め、目が回るマネぇええ!」
「ん?」
また少年の声が聞こえた。
もう一度辺りを見回すけれど、やはり誰もいない。
公園の中にいるのは私だけ、けれど声は聞こえる。
「ふぅ、やっと止まったマネ」
声は、私の手元から聞こえてきた。
まさか――
手元を見ると、そこにはピンク色のブタの貯金箱があるだけで、他には何もない。
もしかして――
「いや、まさか……ねぇ?」
一瞬でも貯金箱が話すなんて考えてしまった。
私、疲れているのかな?
そういえば、さっきからピンク色の貯金箱に描かれたブタの目が、まばたきしているように見える。目が霞んでいるせいだろうか。
「ぱんぱかぱあああああん!」
突然、ブタの貯金箱から少年声の絶叫を叫んだような気がした。
いや、実際に叫んだのだ。
普通ならあり得ないし、信じられないけれど、この貯金箱は確かに声を発した。
その証拠に、私の手にはピリピリと軽い痺れが走っていた。
きっとブタの貯金箱の絶叫が、彼の空の貯金箱の中で反響して震えたのだろう。
こんな真夜中に謎の話すブタの貯金箱が現れるなんて……これはきっと呪いとかそういう類に違いない。
「き、きもい!」
私は咄嗟に手を離してしまった。
支えをなくしたブタの貯金箱は、そのまま重力に従って下に落ちる。
割れる――!
私は目を瞑った。
けれど、しばらく経っても陶器の割れるような音はしなかった。
「あれ?」
ゆっくりと目を開ける。
目の前ではブタの貯金箱が重力に逆らって、プカプカと宙に浮かんでいた。
私は目頭を押さえて、もう一度目を瞑った。
「……今日、色々あったもんなぁ……」
「幻覚じゃないマネ!」
貯金箱がまだ何かを言っているが、私は聞こえないふりをした。
「あ、もしかして、全部夢? 貯金箱が話しているのも、家が差し押さえられたのも、公園でハッピバースデー祝ってるのも、全部夢? あーよかった」
「辛いだろうけどそれが現実マネ! しっかりするマネ! 愛野紅緒!」
突然、貯金箱に名前を呼ばれて、驚いた私は顔を上げた。
ブタの貯金箱は目を細めて私を見ている。
「なんで……私の名前……」
「ふふふ、ようやくフランのことを直視したマネね?」
貯金箱に描かれた口角が上がる。
「探していたマネ。愛野紅緒、君の悩みを解決してあげるマネ」
それが、私の人生をひっくり返す出会いだった――なんて、誰にも信じてもらえないだろうけど。
※フランの由来は通貨のフランス・フランです。
フラン (franc) は、いくつかの国における通貨単位である。現在はユーロに切り替わったため、使われていません。
次回以降主人公のプロフィールなどを書いていきます。
いろんな魔法少女が出てくるので、どうかよろしくおねがいします。
(自分の中では完結済みです)