プロローグ このせかいでいちばんだいじなもの
女の子にとっていちばんの夢ってなんだと思う?
アイドルや歌手、パティシエ、大きなお城に住むお姫さま。
それから――魔法少女。
そう、女の子はいつでも憧れている。
空を飛んだり、人を助けたり、困った時には指を一振りすれば何でも解決する、そんな正義の存在に。
でもどの夢も、叶えるためには努力と、あともう一つ大切なものがある。
それは【お金】だ。
「こんなのきいてないわよ!」
カンカン照りの太陽の下、私は思いっきり叫んだ。
人通りの少ない平日昼間の公園、私の足元には不自然なほど巨大なクレーターが広がっている。工事現場で使用される掘削機でも使ったかのような凹みを、私の前に立っている四人の男たちは平然と、しかも素手で作り上げたのだ。
奴らは真っ黒い全身タイツを身に纏い、自ら『悪役集団』と名乗った。めちゃくちゃ胡散臭い奴らだ。
恰好はアホらしいが、あんな馬鹿力を持っているので油断はできない。
対して私が着ているのは、このアルバイトを始めた時に支給されたコスチュームのみ。ひらひらとしたレースがたくさんついたピンクのドレスで、何の変哲も無いただのコスプレ衣装だ。
……私も恰好はアホらしかった。
私は先端にハートマークの石がついたステッキを持ち、彼らと睨み合っていた。
強い風が拭いた。戦闘の邪魔にならないよう、高い位置で二つに纏めておいた私のピンク色の髪が、視界の端で揺れている。
どちらが先に一歩踏み出すか――
唾すら飲みこめない、緊張した時間がその場を支配する。
「ふしんしゃだー!」
突然公園の外から幼い男の子の声が聞こえて、張り詰めた空気が破られた。
声の方向を見ると、小学生の男の子達が五人くらい集まって、不審げな目で私達の方を見ていた。
男の子は鼻水を垂らしながら、左手には野球バットを持ち、右手で私の方を指さしている。
「え? 私?」
「ちがうよ、まーくん。あれはきっと特撮だよ。ほらいつも日曜日にライダーやってるじゃん」
私を指さしている男の子の隣に立っている男の子がこっそり耳打ちしているが、子どもの声は何故かでかい。私の耳にまでハッキリと届く。
「いや、あれどう見ても不審者でしょ……。実際はいないってあんな人。いるとしたら不審者以外の何者でもないでしょ……」
野球バットを持った少年――まーくんは私の方を審感や嫌悪感など色々な負の感情が混じった目で見つめてくる。
あんな目を向けられたのは、産まれて初めてだった。しにたい。
でも、これは特撮の撮影なんかじゃない。
――ガチの勝負だ。
黒い全身タイツを纏った彼らは、本気で東京だか、日本だか、世界だか、詳しくはわからないけれど、とりあえずどこかを征服しようとしている。
私はそんな彼らを倒さなければいけない。
いまだにジト目でこちらを見てくる子どもの視線が痛い。
私は子どもの方を向いて、精一杯の笑顔を浮かべる。
「あ、あのね、お姉ちゃんは不審者じゃなくて、まほうしょう――」
その時だった。
「しゃ――ー!」
黒タイツを身にまとった男が、獣のような奇声をあげながら、私に向かって拳を振り下ろしてきた。
拳は風を切り、鼓膜を震わせるような低い音を立てた。
咄嗟に身体を動かし、後ろに飛び退く。
ドオオオオン。
男の拳は再び地面に深いクレーターを作り上げた。砂埃が立ち上がり、視覚情報が遮断される。このまま襲いかかられたら――考えるだけで背中に鳥肌が立つ。
けれど奴らも真剣に戦っている。この好機を逃すはずがない。
「シャアアアアア!」
「キエエエエエエ!」
「グルァアアアア!」
「ギャッシャアア!」
四方から奇声が聞こえてくる。
避けないと。でも、適当に避けた方向にあの男の子たちがいたら――。
どうしよう、どうしよう。どうしよう。
目が痛い。鼻がくすぐったい。
――でも、諦めないっ!
四方を塞がれているのなら、どこに逃げればいい? いや、逃げなければいい。
これは賭けに近いけれど、敵が私を囲んで四方から拳を振るっているのなら、まとまっていないのなら、一点を突いて、とりあえず一人を撃破し、囲まれている状況から脱すればいいのだ。
手に握っているステッキを強く握る。なんの力も宿っていないステッキだが、大きなハートの石がついているので鈍器くらいにはなるだろう。身を少し屈めて、足を踏ん張って、そのまま勢いをつけてステッキを横に振った。
「どっっせええい!」
ゴンッと鈍い音が響いた。
気にせずそのまま走り抜ける。
砂埃が立ち上がっている場所から抜け出し、目を擦って辺りを確認する。
私の攻撃が当たった男は、地面を芋虫のように転がりまわっている。
けれどすぐにスクッと立ち上がった。き、効いていない!?
砂埃は薄くなり、辺りが鮮明に見える。
公園の外に立っている男の子たちは、口を鯉のようにぽっかりと開けながら私を見つめていた。
彼らの目は潤んでいき、ブワッと涙が溢れだした。
「う、うわあああああああああん! やっぱり不審者だああああああ!」
男の子たちはそう叫びながら、ものすごい速さで逃げていった。
何はともあれ、一般人に傷を負わせなくてよかった。私は心に傷を負ったけど。
心を切り替えて、私は敵のほうを向く。
彼らはあの砂埃の中、私に豪腕を振るってきたのだろう。私に当たらなかった豪腕は、地面を抉り、それぞれ直径二メートル程のクレーターを残した。
彼らは屍のようにゆらりと立ち上がり、地面に埋まった腕を抜いた。
――あああああ無理これぜったい無理! こんなむちゃくちゃな奴らになんて、絶対に勝てない!
目の前が真っ暗になってきた。今までの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
ポカリを薄めて飲んだ思い出、貰い物の羊羹をぺらっぺらに薄く切ってちょっとずつ食べた思い出に、晩ご飯がうまい棒だった昨日……
よく思い出さなくてもロクな思い出がない。
「こんなんで倒れてたまるかぁあ! それに入院費ってめちゃくちゃ高いんだから!」
「そうマネ!」
突然、幼い子供のような声が耳に届いた。
声の方を見ると、陶器で出来たピンク色のブタの貯金箱が、空中にプカプカと浮いていた。彼の名前はフラン。見た通りのしゃべる貯金箱だ。
何やら魔法の力が宿って、しゃべる貯金箱となって私のサポート役になってくれているらしい。
「紅緒、勝つ方法が一つあるマネ!」
陶器に描かれた顔が、私の名前を呼んでニヤリと笑う。
「なに? フラン」
私は勝たないといけない。正義のために、世界のために、そして、私のために!
そう。私は憧れの職業、
【魔法少女】になったのだから。
「簡単マネ! 魔法を使えばいいマネ!」
「魔法……」
顔が引きつったのが自分でも分かった。
「そうマネ! 紅緒は魔法少女マネ! 魔法少女は魔法を使うマネ!」
フランは自信満々にそういうけれど、私はどうしても魔法を使う気にはなれなかった。
何故なら、魔法を使うためには代償がいるからだ。
ゲームだとMP、アニメなら愛とか意志とか、強い力を奮うには絶対に代償がいる。
この私に強いられている代償は、私が最も捧げたくないものだ。
「早くしないと負けちゃうマネ! 負けたらボーナスでないマネよ!」
「でも……っ」
「いいから、いいから早く『課金』するマネ!」
フランはお腹に貯まった小銭をカラカラと動かしながら、私の周りをくるくる回る。
【課金】
それが魔法を使うための代償だ。
買い物をした時、お金を払うように、魔法を使うためにはお金を払わなければいけない。
でもお金は絶対に払いたくない。
だけど、こんなにも大勢の悪役を今まで相手にしたことがない。
「はやく、はやくしないと負けちゃうマネ!」
「うぅうううううううううううううううううううううう」
こいつらを倒したら、ボーナスががっぽり手に入る。ボーナスはもちろんお金だ。
でも、魔法を使えばそのボーナス料金が減ってしまう。
勝った時は、ボーナス-魔法代。
負けた時は、-入院費。
どちらが得かと言えば、もちろん勝った方に決まっている。
それでも、今回使ったお金で何が買える? あのふやふやした20円の湯でうどんじゃなくて、ちょっと贅沢な冷凍うどんが買えるかもしれない。いや、そんなもんじゃない。もしかしたら、新しい枕や、念願のゲーム機までも買えるかもしれない。
でも、そもそも課金せずに入院しなければ、マイナスは消え、全てプラスになる。
「…………………………しない」
「マネ?」とフランは可愛らしい声で聞き返してくる。
「私は、絶対に課金なんてしない!」
「ええええええええええ! ドドドどうするんだマネ?」
「なんとかなる!」
「ででででも、うちは労災がないから、入院費は出せないマネよ」
「入院しなければいいんじゃない」
「そんな甘くないマネよ!」
「大丈夫。要は、奴らに勝てばいいんでしょう?」
そう言って、私は辺りを見回した。
公園の外、アスファルトの地面の上に、金属製の野球バットが一本転がっていた。
きっと先程の男の子たちが忘れていったものだろう。
私は今まで手に持っていたステッキを放り投げて、代わりに野球バットを手にとった。
そして悪役たちの方を向いて、淑女のようにニッコリと笑ってみせた。
愛野 紅緒。一六歳(高校一年生)
【雇用形態】アルバイト。
【業種】魔法少女。
労災:労働災害保険の略。仕事先で怪我をした時に出る病院代や、その他の手当。普通の会社なら出る。